試験
『―――また、虐められたのか?』
『う・・・えぐっ・・・』
『しょうがない子たちだな。お前となんら変わらない人間だというのに』
『だって・・・わたし、せんきとしてけっかんひんだって・・・』
『それの何が問題なんだ?お前はこうして痛いと泣いていて、夕食のボルシチを美味しそうに食べるじゃないか。それだけで、お前が生まれてきた意味がある』
『ほんとう・・・?』
『ああ、もちろんだ。だから、エルリィ・・・』
『生きてくれ、私の代わりに、世界を―――』
「―――リ・・・エ・・・エル・・・エルリィ!」
「―――あっ!?」
目が覚める。
照明に照らされた部屋とこちらを心配そうに覗き込むセラの顔を見て、エルリィは、自分が夢を見ていたと悟る。
「大丈夫?随分とうなされてたみたいだけど・・・」
「うなされて・・・?」
気付けば、体は寝汗でぐっしょりと濡れていた。
「部屋が暑かったのかな・・・?雪国の連合国から来たから、暖かいここは少し居づらいんじゃないかな?」
「すみません・・・せっかくのベッドを・・・」
「そこは気にしないで。言ったでしょ?客用だって。でもその様子じゃ、食堂に行くのは無理そうね」
「そんな、私は・・・」
「そんな調子で人前に出ても心配させるだけよ。ご飯、食堂から持ってくるからここで待ってて」
そう言って、セラは部屋を出ていく。
「大丈夫、ここに貴方を傷つける人はいないから」
それだけを言い残して、セラは扉の向こうに消えていく。
その様子を見届けた後、エルリィは膝を抱えて膝を抱える。
(いやだな・・・)
何故、今更あんな夢を見たのだろうか。
(もう、顔も思い出せないのに・・・)
エルリィは、腕を掴んで、自分を呪った。
その夢の最後は必ず、夢に出てきた大切な人が血塗れで倒れている。
その一方で、篝の執務室にて。
「いくら数日分溜め込んでいた書類があるからと言って・・・」
目の前に存在する凄まじい量の書類の山。それらの一部取り、ロキシーはきっちしと篝によるサインが書かれている事を確認する。
「クロスライズを使用するのは控えてください」
そう言って、溜め込んでいた書類仕事を終えた篝にそう言う。
「さっさと終わらせるならアネットの能力が一番だ」
『ボクのクロスライズをこんな事に使わないでほしいな』
その言葉に、ロキシーはため息を一つ零す。
「全く・・・しかし、この書類の書き方を見るに、あまり見ていませんよね」
「お前の眼鏡に適ったのなら俺からは文句は言わない。責任は一緒に取る」
「よくあっさりと言えますよね。エレンが嫉妬で狂いますよ」
「いつもの事だろ」
日もとっぷりと暮れている。
その上、雲もなく、月もよく見える夜だった。
「・・・もうすぐ一年か」
「そうですね」
そう言って、出てくるのはラーズだった。
「革命を成功させ、モルジアナさんが帝位に即位してから、ここまで大変でした」
「一年という期間で、我々は出来る限りの準備を進めてきました。国内の平定、軍備の拡張、物資の確保、外国との交渉・・・課題が多く、問題も多い一年でした」
ラーズの言葉に、ロキシーは感慨深そうに頷く。
「しかし、既に火種は炎となり、燃え広がろうとしています。その事実に、多くの国が気付き、そしてその広がりを抑えようとするでしょう」
「・・・戦争、か」
その言葉の重みを、篝は知っている。
内乱なんて目ではない。国の行く末どころの話ではない。下手をすれば、国が一つ滅びる可能性のあるハイリスクな手段だ。
「多くの血が流れ、多くの悲しみや憎悪が渦巻く・・・けれど、俺たちが目的を達成するためには、戦争は避けては通れない」
篝は自身の右手首の裾を整える。
「必ず成し遂げる。俺の全てを賭けて」
翌日―――
「そういう訳で、今から試験を始めるのだけれど・・・」
試験官役に選ばれたのであろうヒナが、そう言いながら、目の前に立つエルリィを見て呟く。
「昨晩は眠れなかったようね」
「すみません・・・」
寝不足気味なエルリィは、暗い顔で謝る。
(結局、悪夢を見るのが怖くていつものように床で寝てみたけど、いつものと違う床だったから慣れずに寝れなかった・・・)
思っている内容にツッコミを入れたいところだが、ヒナがため息交じりにエルリィに言う。
「分かっていると思うけど、戦場に出る以上はいかなる状況にも対応できなければならないわ。寝不足もその一つ。足手まといは『竜殺しの刃』に不要よ」
その鋭い物言いに、エルリィは唇を引き結んだ。
小柄でありながら鋭く強かな眼差しは、エルリィに新鮮な刺激となり、眠気もある程度吹き飛んだ。
「っ・・・はい!」
緊張は抜けないが、とにかく返事を返す事で、エルリィは意思を示す。
そんなエルリィに、ヒナはしばし見つめた後、目を閉じて頷く。
「それじゃあ、始めましょうか」
「はい!」
「あと」
ヒナの視線が横を向く。
「貴方たちは貴方たちの訓練に戻りなさい」
そこにいるのは、エルリィの事を興味津々にみる何十人もの男女。
(この人たちは・・・)
「えー、いいじゃないっすか見学くらい」
「団長が連れてきたっている期待の新人なんですよ~」
「見るぐらいいいでしょ~」
そんな彼らが口々に抗議しだす。
その光景に、エルリィは信じられないと思ってしまった。
(男と女が一緒になって講義してる・・・)
かつての要塞や、トリグラフでの光景を思い返すと、本当に信じられない気分になる。
しかし、そんな気分も次のヒナの一言で吹っ飛ぶ。
「そう、じゃあ―――貴方たちも私の相手をしてくれるのかしら」
と、凄まじい威圧感を離しながら、ヒナはそう言った。
「あ、俺、射的の訓練で新記録だそうと思ってたんだった」
「組み手の約束を思い出したわ」
「グラウンド百週してきまーす!」
(蜘蛛の子を散らすように!?)
あっという間にそれぞれの訓練に戻っていく『竜殺しの刃』の団員たちに、エルリィは開いた口が塞がらなかった。
「さて、邪魔者はいなくなったわ。試験を始めましょう」
「あ、あの、試験って言いますけど、具体的には何を・・・」
「そうね・・・」
ヒナはスマホのような携帯端末を取り出すと、それを操作し、その画面を少し眺めると、
「とりあえず・・・走ってもらいましょうか」
「ぜぇ・・・・ひぃ・・・・」
一体、どれくらい走らされただろうか。
初めてから少しきつめでのペース走らされ、そこから徐々に加速させられ、気付けば今にも気絶しそうなほどにエルリィは疲れ果てていた。
「も・・・むり・・・・!」
「そう、なら休んでいいわ」
丁度、ヒナの前を通ったらしく、エルリィはようやく止まる事が出来た。
そのまま、グラウンドに倒れこみ、エルリィは回る視界に苦しむ。
(だ、だめだ、視界が・・・)
「五分休憩したら、次に行くわよ」
「つ・・・つぎ・・・?」
ヒナは変わらない表情で無慈悲に告げる。
「ぶら下がりなさい」
「ぎ・・・・ぎいぃぃいいいいぃ・・・・!!?」
今度は鉄棒に捕まってぶら下がるだけだった。
しかし、これが凄まじく辛い。
何しろ自身の体重を自分の手のみで支えるのだから。
「う・・・うう・・・ぐぅぅううう・・・・!!!」
それ故にエルリィの腕は既に限界を迎えていた。少しでも気を緩めばその手は鉄棒から離れ、体は地面へと落ちるだろう。
「ま・・・まだ・・・あ」
それでもなお、耐えようとしたエルリィだが、無慈悲な事に手はずるりと滑り、そのまま地面へと落下。
「ふぎゃ!?」
乙女にあるまじき悲鳴を上げながら、エルリィは地面に沈む。
「お疲れ様、五分休憩しなさい」
「う・・・うう・・・」
立ち上がれないエルリィに、ヒナは無慈悲な言葉を突き付ける。
(が、頑張ろう・・・)
エルリィは、諦めたように空を見上げた。
(あおいなぁ・・・・)
そんなエルリィを他所に、ヒナはたった二つだけ得た記録に注目していた。
(これは・・・)
その時、正午を告げる鐘が鳴った。
「もうこんな時間・・・」
「なんのおと・・・?」
「お昼の時間よ。残りは午後にしましょう」
「・・・・」
「・・・・気絶するように寝たわね」
そんなエルリィにため息を吐きつつ、ヒナは改めて記録の方を見る。
たった二つだけ取った記録。
それがここまで時間を取るとは思わなかった。
(持久走、約六十キロを約三時間。鉄棒のぶら下がり、約二時間を耐える・・・持久力と忍耐力は申し分ないわね)
ヒナは眠るエルリィに視線を向ける。
(他の記録ではどのようになるかしら)
内心、楽しみを隠せないヒナであった。
そんな時、ヒナの端末が震える。
「?・・・ロキシーから?」
ヒナは端末を通話モードにし、応じる。
『進捗はいかがですか?』
「今、持久走と鉄棒下がりが終わったわ」
『今?随分とかかりましたね』
「持久力に関しては申し分ないわ。残りの試験は午後に回そうと思っているのだけれど」
『仕方ありませんね。本来であれば手頃な人に任せようと思っていたのですが』
「みんな癖があるものね。貴方が私をまともだと思ってくれて嬉しいわ」
『はあ・・・まあ、色々あって、丁度、手が空いていたのが貴方だけというのもありますが』
そんな会話をしている時に、エルリィが唐突に目を覚ます。
「ふがっ、しゅみましぇん」
「何に謝っているの・・・?」
ねぼけまなこを擦りながら、エルリィが起きる。
『どうしました?』
「いえ、気絶していた彼女が起きただけよ」
(電話してる・・・)
短い睡眠ながらも状況を把握できないエルリィは、ふと周囲を見渡した。
広いグラウンドの奥には、原生しているのか小さな林があった。
そこに、鮮やかな赤髪を持った女性が入っていくのが見えた。
「・・・・!」
その赤髪を持つ女に、エルリィは思わず目を奪われた。
それは、エルリィのどの記憶を呼び起こしても見た事のない、見事な赤髪だった。
それに吸い寄せられるように、エルリィはふらふらとその赤髪の女を追って林の中へと走っていった。
『では、そういう事でよろしくお願いします』
「ええ、分かったわ」
通話を終えたヒナは、ため息を一つ零して、振り返る。
「さあ、食堂に向かいましょ・・・ん?」
その時には、もうエルリィの姿は影も形もなかった。
疲れ切った体に鞭を打って、エルリィはあの赤髪の女を探した。
「どこに行ったんだ・・・?」
まるで花に吸い寄せられていく蝶のようにふらふらと林に出来た道を進んでいくと、ふと開けた場所に出た。
「わあ・・・」
そこに、広い湖が存在していた。
「これは、湖?初めて見た・・・」
ここに来てから、何もかもが新鮮の連続だった。
しかしここにきて、エルリィはここ一番の感動を覚えた。
生まれて初めて見る湖は、日に照らされてきらきらと輝いていて、だからこそ綺麗だとエルリィは思った。
(入ったら、気持ちいいんだっけ・・・?)
いつか、誰かの会話で聞いた内容を思い出し、エルリィはそわそわと湖に近付き、そっとその指先で湖に触れてみる。
心地よい冷たさを指先に感じて、エルリィの期待は極まる。
疲れ切った体に思考は鈍り、エルリィの頭の中にはもう湖に入る事しかなかった。
辛うじて残った理性では、衣服を濡らしてはまずいという考えしか残らず、故にエルリィは着ていた衣服を全て脱ぎ捨てた。
そうして一糸纏わぬ生まれたままの姿を晒したエルリィは、そっと湖にその足を踏み入れた。
「ふわぁ・・・」
その冷たさは、疲れ切った彼女の体には劇薬だった。
疲労して火照った体に染み渡る冷たさ。その心地よさにエルリィは一気に虜にされる。
そして、今度は全身を浸からせたらどうなるだろうか、という期待に胸を膨らませ、思い切って、湖の深い所へ、どぼん、と飛び込んでみた。
(き、きもちいい~!!!)
その快感はまさに、エルリィにとって未知への一歩。
噂に聞いていた初めて食べる料理に舌鼓を打つように、その歓喜は一入であった。
しかし、いつまでもそうしていたい、と思うのも束の間。水の中では呼吸を出来ない事を知っているエルリィは、少し息苦しくなったので、水面に上がろうと閉じていた目を開けた。
目の前に、美しい赤髪を持った女性がこちらを覗き込んでいた。
「・・・・・っ!!!?」
エルリィは泡を吹いた。




