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第13話 観測班の視る未来

昭和二十一年(1946年) 久高島


 ツルは、夜明け前に目が覚めた。


 波の音は、いつもどおり聞こえる。

 風も、たしかに吹いている。


 でも――森の奥だけが、変だった。


 胸の奥が、重くなる。

 理由もないのに、落ち着かない。

 あそこに近づいたら、よくないことが起きる。そんな気配が、はっきりある。


「今日は、森の奥が……嫌な感じするね……」


 ツルは小さく言って、布団を抜けた。


 縁側へ出ると、黒猫クルが座っていた。

 こちらを見ると、当たり前みたいに立ち上がり、先に歩き出す。


「行くよ」


 クルは音も立てず、闇の中へ溶けていく。


 ツルはその後ろを追って、観測小屋へ向かった。


 戸口まで来ると、中から紙の擦れる音が聞こえた。

 作業している音だ。


 ツルが戸を開ける。


「おはよう。まだ暗いのに、よう起きるね」


 観測小屋には、神波清一郎と由紀乃、それから陽翔がいた。


 清一郎は机に向かったまま、目だけで頷く。


「おはよう、ツル」


 由紀乃は湯呑みを両手で持っていて、にっこり笑った。


「おはようございます。寒いですよね」


 陽翔は丁寧に頭を下げる。


「おはようございます」


 机の上には、ツルにはよく分からない機械がいくつも並び、針が小刻みに揺れていた。

 紙テープに細い線が刻まれていくのを見ていると、変に背筋が伸びる。


 足元を黒い影が横切って、クルが小屋の隅に落ち着く。

 清一郎は猫をちらりと見て、口元を動かした。


「……また、おまえか」


 嫌がっている声じゃない。


 ツルはそれを聞いて、少しだけ笑いそうになった。


「気になってるんでしょ」


「偶然で片づけたいが、タイミングが合いすぎる」


 清一郎は淡々と言って、紙テープを指で押さえた。


 由紀乃が陽翔に湯呑みを差し出す。


「温かいの、飲みますか。手、冷えてないですか?」


「……ありがとうございます」


「遠慮しないで、飲んだほうがいいですよ。少し楽になりますから、ね」


 由紀乃は押しつけがましくないのに、断りづらい優しさで言う。

 陽翔が一口飲んで、やっと肩の力が少し抜けた。


 ツルは、森のほうへ目を向けたまま言った。


「清一郎。今日はどうね」


「森の奥だけ反応が出てる。昨日より強い」


 清一郎は、紙テープを二、三枚まとめて見せる。


「一台だけじゃない。全部の計測器が同じ動きをしてる。気のせいなら、揃わない」


 由紀乃が別の紙を指さした。


「反応の間隔が短いです。しかも強くなってます」


 ツルは数字の意味は分からない。

 でも、二人の顔つきで十分だった。


「うちの身体も同じ。胸の奥が重い。近づいたら、嫌な気持ちになる」


「嫌な気持ち?」


 陽翔が聞く。


「怖いって気持ちが勝手に大きくなる。怒りも、理由もなく強くなる。頭の中が、嫌なことだけでいっぱいになる感じ」


 ツルは、はっきり言った。

 曖昧にすると、余計に怖くなるからだ。


 清一郎が引き出しから古い綴じ冊子を出した。黄ばんだ紙だ。


「昨日の夜、本土側の古い記録とも照合した」


 清一郎は一行を指でなぞる。


「沖縄戦の最中、この島の奥だけ記録が壊れるほど反応が出ていたようだ。書き方は雑だが、共通点がある」


 陽翔が息をのむ。


「共通点は?」


「『泉の近くは、時計が狂う』」


 由紀乃が口を閉じる。

 陽翔の顔も固くなる。


 ツルは、森の奥を思い浮かべた。御嶽のさらに内側、禁足のほう。

 あそこを“泉”と呼ぶのは、確かに分かりやすい。けど、ただの水たまりじゃない。


「やっぱり、昔から変だったんだね」


 ツルは陽翔を見た。

 この子はまだ、島のことを何も知らない顔をしている。けど、巻き込まれ方だけは、妙に合ってしまっている。


「陽翔」


「はい」


「昨日から、変な感じ増えた?」


 陽翔は一瞬迷ってから、正直に言った。


「……景色が変というか」


「景色?」


「同じ場所が、二枚重なって見える感じ。輪郭がずれて、重なる。距離も一瞬だけ変になる。音も、何か変になる」


 その瞬間、清一郎がペンを止めた。

 目が変わる。鋭い目だ。


「もう一度。昨日“間に合った”瞬間、何が起きた。君の感覚だけでいい」


 陽翔は言葉を探して、短くまとめた。


「景色が重なって、次の瞬間、この景色がいいなと思ったらその景色が現実になっていて……間に合わないはずが、間に合ったみたいな。」


 清一郎は、その一言も逃さず紙に書き込む。

 数字じゃない“現象の言葉”を、丁寧に拾うように。


「視界の二重化。距離感の変化。聴覚の違和感。……計測値はほぼ無反応なのに、体感ではそうなのか」


 由紀乃が静かに言った。


「それ、なんだか凄いかも。」


「……いや、凄いとかじゃ……」


「凄いです。現実を選択できるってあり得ないと思うけど、もしそれができたら……ほんと凄いですよ」


 由紀乃はそう言って、陽翔の湯呑みにそっとお湯を足した。

 ほんの少しの所作で、場が柔らかくなる。


 ツルは陽翔の目を見て言った。


「陽翔。もしかしたら、また同じことが起きるかもしれない。ただ、そのいいなと思う選択が正しいとは限らない。気をつけてね。」


「でも、人が危ない時に――自然に…」


「出る。だからこそ、選択を間違えると終わり。終わると、守れん」


 陽翔は唇を噛んで、頷いた。


「……分かった」


 清一郎が顔を上げる。


「ツル。君はこのハルトくんの現象を、森の奥の異常と“つながっている”と思うのか」


 ツルは少し考えて、答えた。


「正直わからない。でも、つながってる感じはする。森の奥が異変がある時、陽翔も何かが起きる気がする。」


「逆かもしれない」


 清一郎が低い声で言う。


「森の奥が原因というより、ハルトくんの現象が関わることで森の奥の異変が起きる可能性はある。観測と体感が食い違うのが、いちばん厄介だ」


 陽翔が困った顔をする。


「俺、そんな……」


「君が現実の選択を望む望まないは関係ない」


 清一郎はきっぱり言った。

 怖がらせるためじゃない。“現実”として言っている。


 ツルは清一郎の横顔を見て、心の中で思う。

 この人は、ただの軍人じゃない。ただの観測者でもない。

 何かを隠している。けど、今は聞かない。聞いても答えない顔だ。


 清一郎が紙をまとめる。


「この案件は報告書にまとめるとしよう。私に何かあっても大丈夫なように。」


「なんて名前つけるの?それにしても何かあってもって…」


 ツルが言うと、清一郎は迷いなく頷いた。


「久高島影異変案件第一号だ。安心しろ。何かあっても、全て私が責任を持つ。」


 由紀乃が苦笑する。


「堅いですね」


「堅く書かないと上に通らないからな」


 その会話の中に、別の怖さが混じっているのをツルは感じた。

 影の泉の怖さとは別だ。この人に何かあったら怖いという感情だった。


 その瞬間だった。


 計測器の針が、誰も触れていないのに、ぐんと跳ねた。


 紙テープがギギッと鳴り、針先が一度だけ大きく線を引く。

 由紀乃が息を止め、清一郎の目が鋭くなる。


「今の反応……」


 清一郎が数値を見て、言い直す。


「一瞬、計測が途切れた。……いや、途切れたんじゃない。違う反応が上に被さった」


 ツルは数字より、空気を見る。


 森の奥の影が、今この小屋の中まで濃くなった気がする。

 手に自然と力が入る。


 陽翔の顔色が変わる。目が壁の向こうを見る。


 ツルがすぐに声をかけた。


「陽翔。今、何か感じた?」


「……景色がまた重なって見える。でも、色々重なって何がいい選択なのか選べない!」


 清一郎が椅子を蹴るように立ち上がる。


「由紀乃。外は」


 由紀乃は戸口のほうを見て、小さく頷いた。


「……森のほう。気配が増えてます」


 ツルは迷わない。戸に手をかける。


「外に出るよ。ここで固まってたら守れない」


 清一郎もすぐ動く。


「全員、外に出ても森へ入るな。距離を取れ。まず状況確認だ」


 ツルは頷いた。


「うん。まず巻き込まれる人を出さない」


 陽翔は一瞬だけ躊躇して、ツルを見る。


「俺も行きます」


 ツルは短く返した。


「来るなら、さっきの約束守れるね」


「はい」


 クルが先に外へ出る。

 清一郎がその背中を見て、また小さく眉を動かした。確信はない。でも、なんだか気になる猫だ。


 外へ出た瞬間、森のほうから風が吹いた。


 森の匂いじゃない。湿って冷たくて、嫌な感じの匂いだ。

 ツルは低く言う。


「来るよ」


 森の奥で、波紋を作るような水のような音が響いた。

 島の朝の音とは何か違う。ねっとりした、嫌な音だった。


 ツルは森を見据える。


 見てるだけじゃ駄目だ。

 守るために動かねば。


 そう決めた瞬間、夜明けの明るさが徐々に暗くなり、ゆっくりと影のようなものが濃くなった。

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