72 番外編26 ララとブラウニー展
「ララとブラウニー展……?」
シリウスが訊き返すと、サフィニアは嬉しそうにこくりと首肯した。
「『ララとブラウニー』シリーズの絵本の世界を再現した展示と、物販があるそうです」
夜遅くに帰宅したというのにまだ起きていたアナが、異常な興奮状態でベッドで飛び跳ねていることにはもちろん気づいていたが、『ララとブラウニー』シリーズが絡んでいるのなら納得の反応だった。
「最近の絵本は変わった催しをして宣伝するのだな」
絵本の販促としてはあまり聞いたことのない試みではあるが、アナにとっては夢のような企画だろう。『ララとブラウニー』の世界に没入でき、物販もあるのだ。それは深夜まで跳ね続けるはずだ。
だが、とりあえず。
「アナ。もう寝なさい。子供は寝る時間だ」
「ららのっ、どれすっ! ららのっ、どれすっ!」
ますます興奮する様子に、シリウスは深いため息をついて諦めた。疲れたらそのうち寝るだろう。
「ララのドレスも販売されるのか?」
「ええ。前の抽選のものとは違うみたいですが、ララのドレスもブラウニー着ぐるみも販売されるそうです」
「それはよかったな」
アナはすでにララのドレスを手に入れたかのような満面の笑みでシリウスへと飛びつき、あまえてきた。
「パパ、かってー」
「私が買うのか? 自分で買えるだろう」
ジェノベーゼオリジナルが売れれば売れるほどアナのおもちゃ箱資金は潤うのだ。
シリウスの稼ぎよりも多いと傷つくので、そのあたりの管理はすべて執事長任せになっている。
「かうのー!」
「買わないとは言っていないだろう」
「かってぇー! かってぇー!」
「わかったから、買うから、寝なさい」
アナを適当にあやしながら、サフィニアへと目を戻し、遅ればせながら確認を取った。
「……元々買う予定ではあっただろう?」
「もちろんです。ララのドレスはアナの念願でしたから」
「そうだろうな……」
抽選が外れて大号泣していたときのことを思い出すと、何着でも買えばいいという気持ちにすらなる。
「ララのドレスは一種類だけなのか?」
「一巻から三巻分の、三種類があるそうです」
「みっつ!」
「わかったから、三種類とも買えばいいから、今は寝なさい」
シリウスがそう言うと、アナはなぜかジェノベーゼを寝かしつけはじめた。
「じぇのべーぜ、ねんねよ? ねんね」
「ジェノベーゼではなく、アナが寝なさい」
何度言い聞かせても聞く耳を持たない娘はジェノベーゼの目を閉じさせようと奮闘しているが、残念なからぬいぐるみは目を閉じない。
油断して本当に寝ているときには目を閉じるのだが、それはそれとして。
「予算の範囲内なら好きに買えばいいが、買い占めるようなことだけはないように」
「それは大丈夫です。ララのドレス以外は、現物を見て応相談ということにしているので」
アナはあれもこれも全部ほしがりそうだが、そのあたりサフィニアがきっちりしているので大丈夫だろう。
「楽しんで来なさい」
「やなのー。パパもなのー」
行きたい気持ちはあるが、仕事がある。
行きたい気持ちというか、関係者にひと言物申したい気持ちが抑えきれない。
いい加減、五歳の子供に過酷な試練を与えるのをやめてもらいたいのだが。
いつまでもララとブラウニーの栞でごまかせると思ったら大間違いだ。
「パパはお仕事だから、ママと執事長さんとメイドさんたちと厨房のみなさんと庭師さんたちと一緒に行きましょうね?」
思ったよりも参加人数が多い。しかしよく考えると我が家の使用人たちはアナを抽選に当選させるだけのために、みな三巻を一冊ずつ買っているのだ。それをきっかけに読む人が増えていてもおかしい話ではなかった。
サフィニアが宥めると、アナはしょんぼりしながらつぶやく。
「パパ、かわうそ……」
どうやら子供ながらに、行けないシリウスを不憫に思っているらしい。
それほどまでに『ララとブラウニー展』は、アナにとっては重要なイベントのようだ。
娘に憐れませるのというのも複雑だ。
「その催しはいつからはじまる予定だ?」
「今度の連休に合わせて開催されるそうです」
世間が連休でも、王太子の執務室に連休などない。せいぜい交代で半休取れたらいい方だ。
そこでシリウスはしばし思案した。一日休むことは難しいかもしれないが、少しくらいなら、時間を作れないこともないのではないだろうか。
「数時間抜け出すくらいは、できるかもしれないな……」
シリウスのつぶやきを聞きつけたアナが、ぱっと顔を輝かせた。
「パパ、くる!?」
「予定が調整できたらな」
きらきらした目をしたアナは、ジェノベーゼを抱きしめながら、ようやくベッドに転がった。
すかさずサフィニアが布団をかけて、寝る体勢を整える。
「よかったね」
「よかったのー。パパ、かわうそちがったー」
はじめからカワウソではない。
「ららみれないのねー、かわうそでしょー?」
アナは好きなものはみなで共有したいのだろう。シリウスだけ参加できないことが気がかりで楽しめないなどということがないよう、明日から少しずつ仕事の調整をしなくては。
アナの頭をひと撫ですると、にこっとしてからようやく瞼を下ろした。
「ママ、けだましゃんしてー」
「毛玉さんが一匹、毛玉さんが二匹、毛玉さんが三匹……」
「ママ、けだましゃん、にげたー」
「逃げた毛玉さんは牧羊犬が捕まえるから大丈夫。毛玉さんが四匹、毛玉さんが五匹……」
「いまの、じぇのべーぜなのー!」
「ジェノベーゼはアナの隣にいるでしょう? 毛玉さんが六匹、毛玉さんが七匹……」
「おおかみしゃん、きたのー! けだましゃん、にげてー!」
アナの頭の中にある牧場は一体どうなっているのだろうか。これでは眠るどころの話ではない。
「いいから早く寝なさい」
元々寝つきのいい娘だ。三十匹目の毛玉さんが狼と和解して平和条約を結んだあたりで、ようやく寝息が聞こえてきた。
そして、ララとブラウニー展当日。
なんとか時間通りに合流できたシリウスは、その盛況ぶりを眺めて、少しだけ回れ右したくなった。
娘が自分の足へとしがみつき、恒例の挨拶をしている間に、シリウスはサフィニアへと問いかける。
「なぜこれほど人が?」
想像していた倍の人混みだ。この絵本はそれほど人気だったのだろうか。
「展示を見るだけなら無料だからだと思います」
「入場無料なのか?」
それは人が集まるのもうなずける。
だが同時に、一体どこからそんな予算が出ているのだろうかという疑惑も湧き上がった。
しかも劇場をひとつ貸し切っての催しだ。展示品を作るだけでも材料費に人件費に場所代……と、いくらあっても足りないだろうに。
物販の方で利益を出す算段があるのだろうか。
それとも、裏に誰か大物貴族でもついているのだろうか。
(そんな慈善家、いたか……? この国に)
考え出すとキリがないが、そのおかげで子供たちが平等に展示を楽しめるというのなら、多少のことには目を瞑ろう。
興奮を抑えきれない娘が走って行ってしまわないように、シリウスとサフィニアでしっかりとアナの手を繋いで列に並ぶ。
今にも飛び出して行きそうな気がしていたアナだが、意外と順番を待つことはできるらしく、にこにこしながらポシェットから顔を出すジェノベーゼとしゃべっている。
ゆっくりと一歩ずつ進み、ようやく順番が来て正面入り口を潜り抜けると、アナの顔の輝きが最高潮に達した。
アナだけではない。シリウスとサフィニアも思わず圧倒される展示に出迎えられた。
そこにあるのは巨大な絵本。
ララとブラウニーが家族と楽しく暮らしている見開きのページ。しかし本のような平面ではなく、ララたち登場人物などは絵本の中から飛び出したような細かな演出がされている。
まるで演劇で使う大道具のセットのようだ。
(……ああ、だから劇場で開催なのか)
「ららーー!!」
アナが辛抱たまらず叫んだ。
「アナ、大きな声は出したらだめよ。静かに見学しましょう、と、入り口に書いてあったでしょう? アナがお利口さんなところを、ララに見てもらいましょうね」
アナはサフィニアに言われてはっとして、にこにこしているララのパネルを見た。
「あな、おりこうしゃん」
憧れのララの前で失態などできないアナは、優等生のような姿勢で展示に臨む。
先に進むごとに絵本のページと物語も進んで行き、冒険のパートでは、ララとブラウニーが冒険の旅を一緒に体験しているような気分にさせられる、いい演出だった。
ちらりと見下ろしたアナは、どっぷりと没入しており、心なしかジェノベーゼもアナと同じ目をして世界観に入り込んでいるように見えた。
シリウスとしても、素直にいい展示だと思った。
だからこそ、本当にどこから予算が出ているのかが気になって仕方がない。
子供のように無邪気に楽しめないことが悔やまれてならない。
展示をすべて見終えると、物販のコーナーに出た。
早速とばかりにアナはララのドレスに突撃する。サフィニアがアナのサイズよりも若干大きめの三着を選んだが、シリウスは黙って見過ごした。
アナの成長は早い。おそらくすぐにぴったりサイズになり、そして、すぐに着られなくなるだろう。
そのときが怖いので、執事長に頼んでさらに上のサイズものをこっそりと買っておいてもらうことにした。もちろんサフィニアには黙ってだ。馬鹿正直に話して叱られにいくほど愚かではない。
念願のドレスを無事確保したアナは、満面の笑みでシリウスを仰ぎながら宣言した。
「あな、ららになるの」
「……そうか。よかったな」
「ぼうけんの、たびに、とびたちます」
「冒険の旅はまだ早い。そんなことよりも、ほかにほしいものはないのか? 後であれもほしかったと後悔しないよう、しっかりと見ておきなさい」
冒険の旅から気を逸らしてやると、アナは周囲をきょろきょろしてから、お座りした状態の大きめのブラウニーのぬいぐるみを持って来た。
「ぬいぐるみならジェノベーゼがいるだろう」
そう言いながらアナが抱きしめているぬいぐるみを見下ろした。ただのぬいぐるみかと思ったが、背中になにやら平たい紐が二本ついている。どうやら普通のぬいぐるみではいようだ。
「これは?」
「それはリュックだと思います。ぬいぐるみリュック」
「ぬいぐるみリュック……?」
「アナ、背負ってみる?」
「うんー」
サフィニアがブラウニーの背中から出ていた紐を調整してから、アナの小さな肩へとかけさせた。ブラウニーと背中合わせになる形で背負ったアナは、どうなっているのか見たいのか、その場でくるくるしている。鏡の前へと連れて行くと、至極満足そうにうなずいた。
「あな、ぴったし?」
「ええ。かわいいわよ、アナ」
アナはもう一度鏡を覗いて、にっこりとする。気に入ったようだ。
変わったものがあるなと興味深く眺めてから、ひとまずリュックを下ろさせようとシリウスが手を伸ばしてブラウニーの頭を掴むと、アナは慌ててリュックの紐を両手で握りしめながら抵抗した。そのまま逃走を図ったので、急いで追いかけて捕獲する。
「やなのー!」
「おとなしくしなさい。まずは買わないと。それから、存分に背負いなさい」
「それ、あなのー! あなのなのー!」
リュックを取り上げると、アナが必死の形相で両手を伸ばし、飛び跳ねて取り戻そうとする。サフィニアに暴れるアナを取り押さえていてもらっている間に、シリウスはブラウニーリュックの支払いを済ませるために走った。
「とったぁー! うわぁぁん! パパが、とったぁぁーー!!」
アナが泣きながらシリウスを指差すので、周囲の目がかなり痛い。じりじりしながら列に並び、ようやく会計を終えると、わんわん大声で泣いているアナの元へと大急ぎで戻る。
「アナ、買ったから、もう背負ってもいい。背負うか?」
買ったばかりのブラウニーリュックを見せて気を引くが、アナはぼろぼろと涙をこぼしながらサフィニアのスカートにぎゅっと抱きついてしまい、シリウスが声をかけても返事をしなくなってしまった。
ブラウニーリュックを持ったまま、シリウスは途方に暮れる。
「嫌われただろうか……?」
「すみません、拗ねているだけですから」
アナは拗ねていないとばかりに、うーうー唸りながら首を振っている。
「アナ。パパが買ってくれたのよ? ブラウニーリュック、いらないの?」
「………………いるの」
長めの沈黙の後、アナがブラウニーリュックへと手を伸ばしたので、シリウスはほっとしながらその小さな背中へと背負わせてやった。
ブラウニーリュックを取り戻したアナだが、そこで機嫌を直すことなく、泣き止みはしたがむくれたその顔を俯けている。
「アナ。パパにありがとうは?」
「……」
「アナ。いい子はありがとうが言えるでしょう? ララが見ているわよ? いいの?」
ララが見ているという言葉が効いたのか、アナはシリウスの足へとしがみついて、ぐいぐいと顔を押しつけた。
「……パパ、ありがとうー」
足にしがみつかれることに、これほどほっとしたことはない。
そのまま抱き上げると、アナは赤くなってしまった目でシリウスを見て言う。
「あなの、とっちゃ、めっ、なの」
「わかった。もう取らない。だが、商品はきちんと買わないと、泥棒になる。それはわかるな?」
「どろぼー……」
「いつもの店なら、アナがどこの家の子かわかっているからその場でお金を払わなくてもいいが、こういうところはきちんと支払いをしてからでないと、アナのものにはならない。泥棒になると、牢屋に入れられる。牢屋はわかるな? ララとブラウニーが捕まって入れられていた場所だ」
本当に、五歳の子供にどれほどの苦難を強いるのか。
「かびたぱん……」
「そうだ。カビたパンだ」
鉄格子越しに投げられたカビたパン。
ララとブラウニーが一体なにをしたと言うのか。
冤罪で捕まったのだとしても、心優しいララは誰かを恨んだりはせず、ブラウニーと一緒にカビたパンをかじって言うのだ。
このパンが捨てられずに済んでよかったね、と。
そして牢の格子から注ぐ月明かりを、うっすら涙を滲ませたまっすぐな瞳で見上げて、ぽつりとつぶやくように誓うのだ。
誰もカビたパンを食べなくてもいい国にしないとね、と。
牢番がそんなララの姿に感銘を受けて牢を開けて逃す。
ララは五歳にしてすでに国を背負う覚悟を持っていることを表現し、読み手の涙を誘う場面だ。
「らら、ないちゃうの……」
「そうだ。アナもジェノベーゼと牢に入れられたら泣くだろう?」
もちろんアナが冤罪で牢に入れられるようなことがないよう、シリウスが全力で阻止するだろうが。
シリウスが手を貸さずとも、罪人を粛清して回ったジェノベーゼがいれば十分かもしれないが。
「だがもうお金を払ったから、これはアナのだ。アナのものになったから、もう誰も取らない」
アナはこっくりうなずいた。サフィニアがその目元と頬をハンカチで拭うのは嫌がらずにされるままにしているが、まだ拗ねた顔をしている。
「おかね、はらうの。あな、しってるの」
アナはポシェットからポポラス通貨を取り出した。そのユーカリの葉ではなにも買えないのだが、お店屋さんごっこをしているだけあってそのあたりはきちんと理解しているようだ。
「知っていたのか? だったらなぜ泣いたんだ」
「……パパ、とったの。いっぱい、あるのに。あなの、とった」
アナがブラウニーリュックの置かれている棚を指差した。多少売れてはいるが、確かにまだたくさんブラウニーが残されている。
「……?」
「これ、あなのなの。パパの、あっち」
これは、もしかして……。
アナの選んだブラウニーリュックを、シリウスもほしくなって横取りした、と。そう思っているのだろうか。
今背負っているのはアナのだから、シリウスはあっちの在庫のブラウニーの中から、自分の好きなものを選べとばかりに、指を突きつけている。
まさかの誤解に言葉も出なかった。
シリウスは別に、ブラウニーリュックをほしいと思ったことは一度もない。しかし物珍しげに見ていたのは確かなので、それが物欲しげに見えたと言われたら、反論のしようがなかった。
それならばシリウスではなくサフィニアがアナからブラウニーリュックを取り上げていたら、このように泣かせることはなかったのだろうか。現にララのドレスはサフィニアが持っていてもなにも言わないのだ。シリウスが取り上げてしまったせいで変な誤解が生じてしまったということなのか。
自分は一体、娘にどう見られているのかと愕然とする。
娘から奪い取ったブラウニーリュックを嬉々として背負う大人に見えているのだろうか。
……いや、しかしそんなことよりもだ。せっかく楽しみしていたララとブラウニー展。このままだと泣いた記憶の方が強く残ってしまうかもしれないという焦りが湧いた。
早急に娘の記憶の上書きをしなければ。
ついでにシリウスの印象も、ブラウニーリュックを娘から奪う浅ましい父親から、何度でも展示につき合う心の広い父親へと、塗り替えなくてはならない。
「……アナ。もう一回、展示を見に行くか?」
「もいっかい? いいの?」
「ああ。何度見てもいい」
何度見ても無料なのだ。その点はララとブラウニーの背後についている謎の出資者に感謝だった。
「いくー!」
ようやくいつもの笑顔を取り戻したアナに、シリウスはそっと胸を撫で下ろしたが、その後、展示を十周させられるはめになるとは、露ほども思っていなかったのだった。
「アナ、いいか? ブラウニーリュックを背負っていいのは子供だけだ。私が背負っていたら怖いだろう?」
「? パパ、ぬいぐるみ、にあう」
「似合わない」
アナにとってはシリウスがブラウニーリュックを背負っていようが、そこに違和感は生じないらしい。
これがもし城だったら、すれ違った人たち全員が目を剥く自信がある。王太子の執務室からは何人かが、呼吸や腹筋の異常で医務室送りになること間違いないのだ。
「ママー。パパ、にあうでしょー?」
「パパはなんでも似合うものね」
「ひつじしゃん。パパ、にあうでしょー?」
「大変お似合いになられますね」
「めいどしゃん。パパ、にあうでしょー?」
「「アナ様のおっしゃる通りです」」
なぜだ。味方がひとりもいない。
「パパとじぇのべーぜ、なかよし。ぬいぐるみ、にあう」
それはそうだが、それとこれとは話が別だ。
ぬいぐるみリュックが似合って、ぬいぐるみと仲良しなファンシーな父親。
威厳のある父親への道のりが遠過ぎてつらい。




