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56 番外編10 はじめての学院1



 とうとうアナが『第二王子の絵画教室』を受講する日が訪れてしまった。


 引率役のシリウスの右手にはアナが、そして左手にはジョシュア王子の手が繋がれている。


 今日一日はシリウスが王子の保護者代理だ。荷が重いが潔く任務に徹している。


 とはいえ護衛としてジョシュア王子つきの近衛たちがぞろぞろとついてきているので、誘拐や襲撃などへの不安はない。


 なにが不安なのかと問われたら、子供たちがなにかしでかさないかということに尽きた。


 今のところ、たんぽぽの綿毛につられて走り出した以外はおとなしくしているが、それもいつまで続くことか。


 今はふたり仲良く、石畳の中に転々と存在する色の違う石だけを踏みながら進むという謎の遊びに興じている。なにが楽しいのかは理解できないが、色が違うだけで特別に見えるらしい。


(もしかすると、出る杭は打たれるとは、こういうことを言うのだろうか……?)


 特別視された結果子供たちに踏まれる石に、わずかばかりの憐憫を注ぐ。


 ふたりは競い合っているのか、どうにかして普通の石を踏まないように、色の違う石が離れた場所にあるとシリウスの腕にしがみついてジャンプする。肩の関節が時折り悲鳴をあげる。


 正直に白状すると誰かに変わってほしいという気持ちもあるが、頼られていると思えば悪い気もしない。


 父親の威厳とは、一朝一夕に得られるものではないのだ。


 立派な口髭が得られない以上、こうしてこつこつ頼り甲斐を見せつけて努力していかなければ。


 “お父様”への道のりは、高く険しい。


 ジョシュア王子がシリウスの腕を支えにぴょんと飛んだ。アナよりも少し小さいので、その分軽い。


 しかし小柄ながらこの王子もなかなか肝の据わった子であり、シリウスを見て泣かないどころか普通に手を繋いで歩き出したことには素直に驚いた。さすが王族。この国の未来は明るい。


「まぶ、れおぽんはー?」


「れおぽん、りゅっく! まぶも?」


「じぇのべーぜはねー、ぽしぇっとなの」


 三歳児でもしっかり会話は成立している。ぬいぐるみが話題の中心のようだが、お互いをまぶまぶ呼び合うので、聞いている方はややこしくもある。


 サフィニアと執事長の微笑ましげな眼差しが背中に注がれているのをひしひしと感じながら、シリウスは十数年ぶりに学院の内門を潜った。


 学院には門がふたつあり、内門を通れるのは学生と事前に審査を受けて許可を得た者だけだ。貴族の子息令嬢が通うのだから、当然王城並に警備が厳しい。


 一歩踏み入れると懐かしさが胸を掠めたが、感慨深い気持ちはこちらを見て怯える学生たちの反応によってほとんど消え失せた。


 いや、相手はまだ子供なのだ。急な王子の来訪に驚き身構える気持ちもよくわかる。近衛たちからの威圧も、恐怖以外のなにものでもないだろう。シリウスを見てびくついているように見えるのは、自分が先頭にいるからに過ぎない。決して暴れ馬の噂のせいではないのだと心を落ち着ける。


 『自然の中でのびのびと学習を』をモットーにしている学院は、敷地内の緑化に力を入れているおかげか、のどかな田舎のような風光明媚さがある。木陰ではうさぎが両脚をびろんと伸ばして寝そべり、芝の上ではやはりうさぎが跳ねていた。


「うさぎが多いですね」


 サフィニアが嬉しそうにそう言い、うさぎが多い理由を知るシリウスは、気まずげな表情で曖昧に相槌を打った。


 情操教育のためにと、うさぎを番で放した愚かな教員がいたことは学院の名誉のため伏せておく。


 天敵もおらず新鮮な草で溢れた学院の敷地内で増え続けたうさぎたちが、我が物顔でぴょこぴょこ通り過ぎて行くのを、アナとジョシュア王子がシリウスの手を振り払って大はしゃぎで追いかけていく。


 待て待て! と言ったところでまったく耳に入っていないふたりに慌てて追いつくと、アナがむしり取った草をうさぎに与えて、ジョシュア王子はうさぎの群れと一緒に走り回っていた。ひとりひとり回収するのに骨が折れた。


(子供がふたりいると、これほど大変なのか……)


 やはりアナの妹計画は気長に見積もっていた方がよさそうだ。


 愛らしいうさぎたちと存分に触れ合い大満足したふたりは、今度こそきちんと手を繋いで歩きはじめた。


「おふく、おそろ!」


 アナが学生たちの制服をびしりと指差す。制服なので着崩さない限りはみなお揃いだ。学年によってネクタイとリボンの色が変わってくるが、基本は左胸のポケットに学院の紋章が刺繍された深緑のブレザーと、下はチェック柄のスラックスと膝丈のプリーツスカートである。


 しかしなぜ、学院は女生徒に膝丈のスカートという、足を晒すようなはしたない制服を採用しているのだろうか。


 誰も彼も当たり前のように受け入れているが、シリウスはかねてより疑問に思っていた。なぜ制服ならば足を晒すことが許されるのか。


 デザイナーが革新的な人物だったのか、もしくは、創設者が変態だったか。残念ながらその二択しか思い浮かばない。


 とはいえ他人事なのでこれまではどうでもいいことだと割り切っていたのだが、今はアナが学院に通う可能性が高い。できれば娘には着せたくない衣装だと、こちらを見上げてきょとんとするアナを黙って見下ろす。


 似合うとかは、正直どうでもいい。娘に露出を許すくらいなら、学院の制服のデザインに口を出す権利をどこかからもぎ取って来ることも辞さない。誰を脅せばいいのだろうか。ジェノベーゼで事足りるだろうか。


 ジェノベーゼが胡乱な目を向けてきたが、もちろんそれは最終手段だと弁えている。


「おそろー」


「おそろー」


 みんながみんなお揃いなのがおもしろいのか、きゃっきゃと笑い合う娘たちを引き連れて歩いていると、思いがけずにユーリを発見した。遠目だが、シリウスが甥を見間違えるはずがないので、間違いなくユーリだ。


 ユーリは友人たちと教室移動をしている最中なのか、教材を片手に三人で談笑しながら歩いている。


 声をかけるべきか悩んでいると、ユーリたちの前方から女生徒が現れた。十歳から寄宿舎に入り本格的に学ぶことができる男子と違い、女子の最低入学年齢は十三歳からなので、一番下の学年だとしてもユーリよりも年上だろう。


 そんなことを考えながら眺めていると、女生徒はなにを思ったのか、ユーリに馴れ馴れしくしすり寄りはじめた。


 シリウスの中で激しい警鐘音が鳴り響く。学院時代のトラウマが刺激される。


 ユーリが女の子に辟易してしまったのは、あの手の軽率な娘たちのせいだろう。


 ユーリには正式な婚約者がいると知っているのだろうか。相手がまだ幼いアナなので、親が決めた政略結婚だと思われていても仕方ないが、だからといって人の体に勝手に触れて、まるで恋人のように振る舞うあの態度は許されない。


 ユーリはやんわりと拒絶しているのだが、優し過ぎて相手にまったく伝わらないらしい。あの手の人間は自分中心で生きているので、きっぱり突き放したところで聞く耳を持つかはわからないが。


 とことこ軽妙に歩いていたアナが、前方のユーリに気づいて、ぴたりと足を止めた。同じタイミングでユーリもこちらに気づいて、目を丸くする。


「あれっ、叔父様!? なんで学院に……」


 ユーリが言い終わる前に、アナはシリウスの手を振り切って突撃していた。


 ボールのように勢いよく胸に飛び込んだアナをしっかり抱き止めてくれたユーリは、相変わらずびっくり顔のままだ。


「ゆーり!」


「えっ、アナ? アナまで、どうしたの?」


 シリウスも慌ててそちらへと向かうと、ジョシュア王子がアナの真似をしてユーリに飛びついた。


 アナの誕生日パーティーで顔を合わせていたからか、ジョシュア王子もユーリに懐いている。王族に覚えのめでたい優秀な甥っ子だ。バロウ家の未来も明るい。


 ふたりの幼児を受け止めた衝撃で、ユーリに絡みついていた女生徒が弾き飛ばされた。ポシェットに収まったままのジェノベーゼが女生徒の脇腹に頭突きを食らわせていた気がするので、そのせいかもしれないが。


 悔しげに脇腹を押さえながらアナたちをにらんでいる女生徒を、そばにいたユーリの友人たちがせせら笑っていた。なかなかあくの強そうな友人たちだが、友人のいないシリウスに言えることはなにもない。いるだけで十分だ。


「だあれ? ゆーりのまぶ?」


 アナが女生徒を指差した。ユーリはちらりと一瞥して、困り顔をする。


「僕もよく知らない人なんだ」


 ユーリの友人たちが後ろで噴き出した。


 女生徒が怒りと羞恥で顔を真っ赤にしてアナたちを標的にして突っかかる。


「なんなのよ、この非常識な子たちは!」


「なんなのと言われても……僕の婚約者と、王子殿下ですけど……」


「こっ、婚約……え、お、王子、殿下……!?」


 いきなり登場した王子相手に青ざめる気持ちはわかる。ジョシュア王子の存在のおかげか、女生徒の勢いは完全に削がれた。


 それを見計らったかのように、ユーリが申し訳なさそうに女生徒へと向き合った。


「ごめんなさい、先輩。先輩の気持ちは嬉しいですが、僕はひと桁年齢の小さな子が好きなんです」


「!?」


 ユーリがとんでもないことを言い出した。


 穏便に断るためだとしても、それはどうなのか。


 ユーリの友人たちは、ロリコン、いやショタかも、と囁き合っている。


 シリウスからしたユーリも十分小さな子の範疇に入るのだが、それは言わない方がよさそうか。


 ユーリのとんでも発言のせいか、それともジョシュア王子の存在のおかげか、女生徒はそれ以上なにも言えずにこの場を去って行った。


 どうやら正しい判断はできるらしい。若いだけあって更生の余地はありそうだ。


「それで叔父様、今日はどうしてこちらへ?」


 問いかけられて、シリウスはユーリへと静かに目を戻した。


「実は、今日がアナとジョシュア王子の絵画教室の初日で。王太子命令で、こうして子供たちの引率役を務めている」


 左右の腕にアナとジョシュア王子をくっつけたユーリは、戸惑い顔で無邪気なふたりを見下ろした。


「えぇ……? ふたりとも、大丈夫ですか? イザーク先生の授業、かなり厳しいと評判ですよ……?」


「さすがに三歳の子相手に知識まで詰め込むようなスパルタ教育はしないだろう。……たぶん」


 芸術関係には目の色が変わる人なのでなんとも言えないが。


「ゆーりも? おえかき?」


「ううん。僕は美術は選択していないんだ」


 シリウスも美術は選択していなかったことを思い出し苦笑する。バロウ家の血筋は、どうやら芸術とは縁遠いらしい。


 特にユーリは、イザークが美術を受け持つことを事前に知っていたので、あえて回避した可能性もある。シリウスなら間違いなくそうしていた。


「あなねー、おえかきなのー」


「じょしゅも! じょしゅも、おえかきっ!」


 お絵描きを楽しみにしてにこにこするふたりに、ユーリは心配そうな顔をしつつもそのやる気を削がないよう、がんばってねと激励する。


 そんな三人を眺めていると、ユーリの友人たちがなにやらひそひそと言葉を交わしているのが目に入った。シリウスがなんとなくそちらへと視線を向けると、彼らはわずかに頰を引き攣らせた、ぎこちない愛想笑いを浮かべて応えた。きっとシリウスの背後にいる近衛たちがよほど怖い顔をしているのだろう。何度も言うが、暴れ馬のせいではない。


 シリウスと少年たちの無言のやり取りに気づいたらしいアナが、ユーリを見上げて尋ねた。


「だあれ?」


「友達だよ」


 ひとりひとり紹介する気はないのか、ユーリがサフィニアばりに雑に纏めた。


 どうやらあまり紹介したくないらしい。さりげなくアナの意識を友人たちから逸らして、自分の方へと向けさせている。


「アナはかわいいから、ちょっと心配になるよね……」


 純粋な少年たちを意図せず弄びそうなアナを不安視するユーリの気持ちも、わからなくはない。かわいいは正義理論が学院でも通用してしまうとあっては、警戒し過ぎても足りないくらいだろう。このままいくとアナが法になりかねない。もう我が家は手遅れで、アナが法なのだ。


 かわいいと言われて得意顔のアナをじっと眺めていたジョシュア王子が、ユーリの腕をくいくいと引いた。


「じょしゅは?」


「うん。ジョシュア殿下もかわいいよ。ふたりは姉弟みたいでかわいいね」


 さりげなくふたりの間に恋愛感情が生まれないよう誘導して洗脳している気がするが、本人たちが嬉しそうなのでシリウスは口を挟まずに静観した。


 ジョシュア王子は今は幼児らしく愛らしい顔つきをしているが、王太子夫妻のいいとこ取りと言っても過言ではないくらいに顔のパーツは整っている。髪は王太子や第二王子と同じ金髪だが、目元は王太子妃に似ているような気がするので、成長すればキリッとした美形になりそうだ。


 願わくば中身も両親のいいところだけを引き継いでほしい。


「学院の敷地はとても広いから、ふたりとも叔父様から離れたらだめだよ?」


「「うんー!」」


 シリウスはにこにこする幼児ふたりをユーリから引き受けて、しっかりと手を繋ぎ直した。


「おえかき、楽しんできてね」


 またね、と手を振り友人たちとともに去っていくユーリに、ふたりは揃って「ばいばいー」と大きく手を振り見送った。


 そして幼児ふたりは改めて、「おえかきー!」と張り切った声をあげて意気揚々と歩き出す。


 絵画教室を行う予定の美術室は、ユーリたちが入って行った本館ではなく、別棟にある。


 まだ建物内にも入っていないことに、ちょっとだけ愕然としたシリウスだった。


 



100m先のユーリに気づいたシリウス

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