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サフィニア視点



「さあ、そろそろお暇いたしましょうか。いらっしゃい、サフィ」


 サフィニアはシリウスの具合が心配だったので執事長にここに残ってもらうように頼み、王太子妃――メアリーに連れられてアナとともに後ろ髪引かれながら退室した。


 執事長がいれば大丈夫だと思うが、むしろ執事長でどうにもならないことはサフィニアがいたところでどうにもならないので、ひとまず憂いをそっと払う。


「わたしね、あなたとシリウス・バロウが一緒にいるところをはじめて見たのだけど……あの冷酷無慈悲な人間嫌いが、本当によくここまで成長したわねと、なぜだか感慨深さすら感じてしまったわ」


 サフィニアはなんと返せばいいのかわからずに困り顔で微笑むに留めた。


 人との触れ合いを苦手とする彼の態度から人間嫌いと称されるのは理解できるが、冷酷無慈悲な彼などサフィニアは知らないのだ。


 サフィニアに対しても、アナに対しても、彼は最初から優しかった。


 きっとその慈悲深い心でついつい無駄な仕事を請け負ってしまい、その結果いつも目が回るほど忙しくなっているのだろう。優し過ぎるのも問題だ。


「あなたから優しいと話を聞く度にね、疑っていたのだけど、本当にあなたには優しいようでよかった」


「旦那様はとても素晴らしい方です。アナのこともかわいがってくれています」


 不思議そうにこちらを見上げるアナを撫でて、メアリーの後に続く。招かれたのは、彼女のサロンだ。温室を改造したらしく、常に暖かくて見たことのない不思議な植物で溢れている。


 多くの侍女やメイドがメアリーに傅き、テーブルには食べきれないほどの焼き菓子が並べられていく。


 アナを下ろすと、子供用テーブルの方へとまっすぐ駆けて行った。


 何度か訪れていたこともあり、アナは『まぶ』であるジョシュア王子とぬいぐるみを使った独特の挨拶を交わしてから仲良く並んで座ると、大好きな苺のたくさん乗ったタルトを侍女たちに食べさせてもらっていた。


 周りが子供たちのことを見ていてくれるが、念のためアナの挙動を気にしつつ、サフィニアはメアリーと向き合った。


 こうして見ると本当に王太子妃なのだと実感するが、サフィニアの中では教会の扉を叩くだけでは飽き足らず足蹴にして押し入ろうとしていた破天荒なお嬢様の印象がまだ強く、不思議な心地になってしまう。


 結婚が嫌で逃げて来た彼女は、地方へと移動する馬車に紛れて王都から脱出し、そのまま各地を転々としながらサフィニアのいた教会まで流れ着いたと言っていた。


 あの頃、地元から出たことすらなかったサフィニアには、彼女は大冒険をして来た勇者のように映っていたが、それが今では王太子妃であり、自分も貴族の妻となって王城にいるのだ。


 世の中は本当になにが起こるかわからない。


「元々、シリウス・バロウの人間性自体にはそこまで問題はないと思っていたからあなたを紹介したわけだけど、子煩悩だったのは意外過ぎたわ」


「そうですか? アナだけではなく甥っ子のユーリ様のこともとても大切に思われているので、元々子供がお好きだったのだと思います」


 シリウスは最初から一貫してユーリのことを一番に考えていた。そういう心根の優しいところをもっと周囲に気づいてほしいという気持ちもあるのだが、周りにつけ込まれて今以上に仕事漬けの日々になると困るので、やはりこのままでもいいのかもしれない。


 口出しはしないが、できれば仕事の量を半分くらいに減らしてほしいと思っている。それはサフィニアだけでなく、使用人たちの総意でもあった。


「確か、子供は持たないという話は、なくなったのでしょう? いい加減初夜くらいは済ませたらどう? アナみたいなかわいい女の子が産まれたら、今度こそうちの子と結婚させましょうよ」


(旦那様と初夜を……)


 サフィニアは頬を染めてうつむく。夫婦の間でなにが起こるかはだいたい理解しているのだが、いざ自分が、と思うとどうしていいのかわからなくなる。


 それにシリウスのトラウマのことを考えると、サフィニアからなにか行動しようとは思えないのだ。


 自分たちは他人と比べず、このままゆっくり進めて行けばいいと思っている。


「今のところは現状維持でいいと思っています。それに今は、アナに精一杯の愛情を注いであげたいと思うので」


「まあ、確かに子供ひとりでも、なかなか大変よねぇ。それなのに次々仕込もうとするうちの下僕が、うざいし、気持ち悪いったら……」


 メアリーは目が合ったアナに、ばっちぃわよねー、と同意を求めてきょとんとされていた。


 アナの発言で王太子は下僕に成り果ててしまったが、本人たちが気にしていないようでほっとしている。いくら親しくしてくれているからと言って、相手は国母になる人だ。精進潔斎の食事に、「え、なにこれ、豚の餌?」と大笑いしていたあの頃のメアリーではないのだ。


 出会った頃はまだ少女らしさが残っていた彼女も、すっかり大人の女性になっている。結婚し、子供も産んでいるのだから大人の女性に違いないのだが、少し寂しさも感じてしまう。


 自分もいつかこうなれるのだろうか。無理そうな気がする。


「それにしても、王太子殿下は相変わらずなのですね……」


 微笑ましく思わなくてはいけないのに、愛が重たいせいで見ていて暑苦しさを感じてしまうのだ。


「相変わらずも相変わらず。痛い思いをして産むのはこっちなのに、次は女の子がほしいのですって。それで、その次は男の子。本当に冗談じゃないわ」


「お産は命懸けですからね……」


「そうなのよ。それなのに毎晩毎晩……いい加減にしてほしいわ。だからあなたも、初夜を済ませて自分の旦那がまともな性癖かどうかを早めに知っておくべきね。シリウス・バロウ、なんか、ねちねちしつこそうだから」


(ねちねち……?)


「大丈夫です。旦那様は高潔な方なので、そのようなことはなさりません。王太子様と一緒にしないでください」


「あの異常殿下と同列で語れる人間はいないから、安心なさい……。あれに比べたら、誰だってまともだわ。犠牲者はこのわたしだけで十分よ……」


 メアリーは嘆く。わりと本気で王太子のことを嫌っている。昔に比べたら多少の情愛は芽生えているようだが、このサロン内でしか吐き出せない罵詈雑言をアナが覚えてしまわないか少し不安だ。


 サフィニアにできることは祈ることくらいだ。どうか王太子殿下の気持ち悪さと精力が減衰しますようにと神に祈った。


「相変わらずと言えば、あなたも、結婚したのにシスターだった頃の癖が抜けないわよね。服装も野暮ったいし、どうしてそんなに垢抜けないの?」


「わたしの格好、変でしょうか……?」


「新妻というよりは、夫に操を立てた未亡人? 色気ゼロ。それを除いても……センスがいまいちってところがねぇ?」


(センスがいまいち……)


 容赦ない言葉が胸に突き刺さる。


 アナのために縫ったワンピースをシリウスにダメ出しされたことを思い出して落ち込んだ。


 アナが着る服に関しては、今は執事長の光るセンスによってすべて流行のものが仕立てられるようになっているが、サフィニアは違う。どうしてもシスター時代に着ていた服に似たようなものを選んでしまいがちだった。


 だけど今後は、執事長に頼ることも考えないといけないのかもしれない。


 とりあえず執事長がいればどんな問題も立ち所に解決してしまうのがバロウ家だ。逆を言えば、執事長がいなければあの家は終わるとまで囁かれている。


「今度、わたしがあなたに似合う素敵なドレスを選んであげる。シリウス・バロウも度肝を抜かれるようなものをね」


 できればこれ以上、夫の内臓に負担をかけてほしくないと思ってしまったサフィニアだ。現にさっきも胃の不調を訴えていた。メアリーの気持ちは嬉しいが、夫には健やかでいてほしい。


「お気遣いは嬉しいのですが、旦那様の好みに合ったものでお願いします」


「考慮するわ」


 話が一段落ついたところで、サフィニアはアナたちの方を窺った。


 それぞれのお気に入りのぬいぐるみを会話させて遊んでいるのを、微笑ましく見守る。アナは相棒のジェノベーゼであり、ジョシュア王子はライオンのぬいぐるみだ。ふたりはぬいぐるみたちを向かい合わせにして、それぞれの前脚を合わせると、ワルツでも踊っているかのように動かしはじめた。舞踏会ごっこだろうか。かわいいしかない。ぬいぐるみが雄と雄ということからは、そっと目を背けた。


「……そうそう」


 サフィニアはアナからメアリーへと意識を戻した。彼女は子供たちに聞こえないようにさりげなく席を立ったので、反射的に身をこわばらせた。おそらく、相談していた姉の死についてのことだろう。はやる気持ちを抑えて彼女の後に続いた。


 人工的に造られた小川のせせらぎを背に、彼女はにこやかな表情はそのままに扇子を口元に当てると、器用に声だけを潜めた。


「例の件ね、調べたのだけど、確かに肺の病に至る感染症と同じような反応を起こす毒が、あるにはあるそうよ」


 どくりと自分の心臓が鳴る。わかってはいたが、改めて事実を突きつけられると、整理をつけたはずの気持ちが乱れる。


「そう、ですか……」


 そう絞り出すのがやっとだった。


 サフィニアの気持ちを慮ってか、メアリーは小川に目を向けて、少し時間を置いてから切り出した。


「毒で血を吐くのは、めずらしいのね?」


 サフィニアは一度呼吸を整えてから、うなずいた。


「はい、泡を吐いたり嘔吐したりはあるのですが、毒を服用して血を吐くことはあまりないかと。姉を診た医師も、直前に咳き込んでいたこともあって、感染する類の肺の病だと診断されました」


 サフィニアはその場にいたわけではないので、すべて実家の使用人たちから伝え聞いた話なのだが。


「遺体を調べることができれば確実らしいけれど……」


「無理なのです。火葬されていますから」


「……そうよね。感染するかもしれないということを鑑みると、火葬にするという判断自体は、間違ってはいない」


「はい。わたしもその点は仕方のないことだと思っております」


「それを想定して意図的にその毒を選んでいたのなら、あなたの姉を殺害した相手は、相当たちの悪い相手ということになるけれど……」


 そうだろうなとサフィニアも思う。


 姉はきっと、恋をしてはいけない相手に恋をしてしまったのだろう。


 そして、騙された。


 甘言に惑わされて、きっと口封じのために殺されたのだ。


 あくまでもサフィニアの想像だが。


 だだ、これだけは言える。


 相手は貴族だろう。相手が平民ならば、姉が殺されることはなかったはずなのだ。


 もし相手が平民だったのなら、姉を殺す理由があるのは両親くらいだ。


「あなた、大丈夫なの? あなたの姉の姿を見たことがあるけれど、本当に、うりふたつで驚いたもの」


 殺したはずの人間と同じ容姿の人間が存在していたら、標的を殺し損ねたのだと、犯人がそう誤解してもおかしくはないが、こうしてサフィニアは生きている。


「もしかしたら犯人は、わたしたちが双子であることも、境遇も、知っていたのではないでしょうか? 両親は隠せていると思っていたようですが、地元では誰も口にしないだけで周知の事実でしたし。姉の死をしっかりと確認したので、わたしは放置されているのかと」


「いいえ。万全を期すなら、念のためあなたも殺しておくでしょう。わたしなら、絶対にそうする。それこそ、入れ替わっていたら困るもの」


 ならばこうしてサフィニアが生きているのは、なぜなのか。


 無関係と判断されて見逃されているのか、もしくは――。


「あなたがシリウス・バロウの婚約者として名が挙がってしまったから、迂闊に手を出せなくなったのかもしれない」


 得体の知れない恐怖が足元から這い上がって来て身動きが取れなくなった。すっかりと言葉を失ってしまったサフィニアに、メアリーは形のいい柳眉を寄せた思案顔で続けた。


「王太子妃であるわたしが名指した娘が、その直後に不審死を遂げたら、王家の威信が関わる以上、原因の究明に乗り出すのは想像に易い。あなたのことだけではなく、下手したらせっかく病死として処理されたあなたの姉のことも再度捜査をされかねないもの。下級でも貴族籍があればそれは貴族。そして貴族殺しは重罪よ。本来の目的を果たしたのなら、余計なリスクを負う必要はないと考えていたとしても、おかしな話ではないわね」


「でしたら、わたしは王太子妃様のおかげで命拾いしたことになります」


 メアリーは、ぴしゃんと扇子を閉じた。その顔は懐疑的だ。


「どうかしら……? もしかすると、シリウス・バロウに冷遇されて、勝手に死んでくれるだろうと判断されて見過ごされたのかも」


「もし冷遇されていたとしても、わたしは教会暮らしが長いので、普通に考えてそう簡単に死なないと思うのですが……」


 清貧こそ美徳。自分がどれほど飢えていても、困った人がいたらパンを分け与えることを当然だと教えられて育った。実際はそこまでの貧乏暮らしはしていないが、生きるということに関してなら、生粋の貴族よりも知識があると自負している。


 シリウスが前に、サフィニアの精進潔斎の食事について勘違いで給仕係に怒鳴ったことがあった。教会時代の食事は、生粋の貴族にとっては人の食べる物ではなかったのだろう。


 同じ食事を大笑いしてからきちんと食べたメアリーは、やはり変わっていた。


「政略結婚の妻なんて、冷遇されたら終わりなの。普通は世を儚み衰弱死か、気が狂っての自死か、身ひとつで放逐され野垂れ死ぬかのどれかでしょうね。シリウス・バロウの対外的な印象から、そうなるだろうと思われていても、まあ、おかしくはないわね」


 今では遠い過去のようだが、結婚前、シリウスの酷い噂しか知らなかったときに、サフィニアも確かに怯えていたことを思い出した。だから犯人がそう思っていても不思議ではない。


「それよりも問題は、アナのことよ。もしあなたの姉を殺めた人間がいたとして、アナのことを知ってしまえば、狙われる可能性が高いのではなくて?」


「アナの出生の秘密を知るのはわたしと神父様だけです。地元ではどこかの教会から逃げてきたシスターが産んだ子、ということになっています。……意外と身籠るシスターは多いので、その点では疑われることはありません」


 神に仕える聖職者と言えど、人間である以上、清廉潔白な者ばかりではないのが現実だ。光の中には、どうしたって闇が生まれる。サフィニアが安穏と暮らせていたのは、神父様とエスターが守ってくれたからだと知っている。


「それに姉は徹底していました。ほとんど教会の外にも出ず、産婆から両親に話がもれることを恐れていたので、アナを取り上げたのも神父様です。この髪色は目立ちますが、幸いシスター服は髪をすべて覆ってしまいますし、産まれたばかりのアナは今よりももっと薄い髪色をしていたので」


 サフィニアは自分の髪にそっと触れた。姉と、そしてアナと同じストロベリーブロンドの髪。


「だとしても……ね。あの子は成長したら、もっとそっくりになるわよ。あなたにも、実母にも」


 メアリーの懸念ももっともだ。犯人がサフィニアの子だと誤解してくれればいいが、少しでも姉の子かもしれないと疑いを持たれてしまうと、アナに危険が迫る可能性もある。


「それならあのとき、いっそわたしが産んだことに偽装しておけば……」


 後悔が胸を過ぎるが、メアリーはそれを一刀両断した。


「そうしていたら、あなたはシリウス・バロウの妻の座は得られなかったでしょう。あの男は貞淑な妻をお望みだったから。さすがのわたしでも、子持ちの娘を推薦できない。神父様のその判断は正しかったと思うわ」


「……そう、ですね」


「でもね、実は少し、心配していたの。あなたが修道女になってしまっていたらどうしよう、と」


 王太子妃とシスターでは身分が違い過ぎたこともあり、別れて以降手紙のやり取りすらできなかった。互いに近況報告ができたのは、サフィニアが結婚の意を示して再会してからだ。


「すべてを捨てて神に仕えるとなると、それなりの覚悟が必要なのです」


 修道女になれば、神父様やエスターとも気軽に会えなくなる。いつかは、と思っていたが、元々あのままシスターとして神父様の元でひっそり暮らしていけたらそれで幸せだったのだ。


 その時点で自分が修道女に向いていないのは明白だった。


「アナのことを考えるのなら、一度夫に相談してもいいのではない?」


「……考えておきます」


 サフィニアは表情を落としてアナたちのいる方へとそっと目を向けた。


 仲良くぬいぐるみ遊びをする様子に胸が詰まる。


 サフィニアが見ていることに気づいたアナが、ママー! と笑顔で手を振る。


 サフィニアも手を振り返した。


 いつも通りの笑みを作れているだろうかと、不安をひた隠しにしながら。




王太子妃メアリー(21) サフィニアの友人

ジョシュア王子(2) アナのまぶ(マブダチ) ぬいぐるみはレオポン

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[一言] アナにとってジョシュアは「まぶ」なんだろうけど、ジョシュアは「何」になるのか、気になりますね。
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