結末のその先
「王子だそうだ!」
「本当におめでたいねえ」
そんな声を聞きながら、私とエルヴィス様は城下を歩く。
エルヴィス様が私に向って何かを言ったけれど、手を繋いでいる彼のその声すら聞き取れないほどの賑やかさ。
それもそうだろう。
今朝早くに、ハロルド殿下とアイリーン様の二人目の御子が誕生したと発表があったのだから。
新たな命の誕生に喜びを感じると共に、小さい甥っ子がお兄ちゃんになったのかと思うと目頭が熱くなる。
もう一度、エルヴィス様が同じ言葉を繰り返したようなので、彼の口元に耳を近づける。
街中で密着するのは少しはしたない気もするけれど、この騒ぎの中でそれを気にする人間もいないだろう。
「今日も可愛いよ」
蕩けるような笑顔でそう言われて、顔に熱が集まるのを感じた。
「いつまでもそんな、新婚みたいに…」
恥ずかしさのあまりそう言うと、エルヴィス様は不思議そうな表情を浮かべる。
「何を言ってるの? 私は死ぬまでこんな感じだよ?」
そう言うと彼は私の頭頂部に口づけを落とした。
王立学園を卒業してすぐに、エルヴィス様は国王陛下から公爵位を賜った。
与えられた領地が小さかった理由は、「ハロルドの王位を脅かす意思がないことを示したかったからね」とのこと。
「自分の目が行き届く大きさの領地で、愛する妻と慎ましく生きていくのが夢だ」と語るエルヴィス様の瞳は、少年のようにキラキラと輝いてた。
エルヴィス様の爵位授与式と同時に、彼の婚約者の発表も行われた。
もちろん相手は私だ。
この発表に臨む私の心情を言い表すならば、戦地に向かう騎士の気持ちに近かったのだろう。
第一王子の婚約者が子爵家の子女だなんて、どんな罵詈雑言が飛んできたっておかしくない。
そう思ってお披露目の場に臨んだものだから、その場に漂う歓迎ムードには度肝を抜かれた。
「エルヴィス様が、根回しをしてくださっていたのですね」
会場にいる多くの貴族からの温かな拍手を浴びながら、呆然とした心持ちでそう言うと、エルヴィス様は甘く微笑んだ。
「まあ、多少はね。けれども見てごらんよ」
エルヴィス様にそう促されて顔を上げると、そこには見知った顔がずらりと並んでいた。
宰相であるモーガン侯爵とその夫人、レイチェル様のお父上であるクラーク侯爵、騎士団長であるスコット伯爵。
アイリーン様とそっくりなお顔の女性は、おそらくペレス侯爵夫人。
ということは、その隣に立つのがペレス侯爵なのだろう。
「ローナ嬢のご両親であるキャンベル伯爵夫妻はあちらに。そして奥には、ローレンス博士のご両親であるローレンス伯爵夫妻もいらっしゃる」
エルヴィス様の視線の先では、ローナと同じ髪色の女性が目元をハンカチで押さえていた。
「彼らは皆、私の根回しなどとは無関係にサラのことを心から祝福しているんだ。それは、君の今までの行いのおかげなんだよ」
そう語るエルヴィス様の表情は、なぜか誇らしげだった。
そこから結婚までは、本当にあっという間だった。
私は王立学園を卒業したその足で王城へと連れて行かれ、そのまま国王陛下直々にエルヴィス様との結婚が認められた。
「これからの人生、一秒でも長くサラと共にいたいからね」
エルヴィス様はそう言っていたけれど、この日のために彼が奔走していたことを後に執事長から聞かされたのだった。
「今日はレイチェルとローナ嬢が家に来るんだよね?」
エルヴィス様にそう問われて、私は首を縦に振る。
「はい、クレアの後追いも落ち着きましたから」
そう言いながら、私は愛しい娘の顔を思い出す。
レイチェル様とローナに最後に会ったのは、クレアが生まれる少し前のことだった。
あれからもう二年も経ったのかと思うと、今日のお茶会が楽しみで仕方がない。
「二人の近況を聞くのが、今から楽しみです」
事前に交わした手紙では、二人のことはもちろん、それぞれのパートナーのことについても触れられていた。
「ダグラスは宰相補佐として頑張っているそうですね」
「ああ、彼の学生時代の荒れようを知る者達は、皆その変化に驚いているよ」
エルヴィス様のその言葉を聞いて、次回ダグラスに会ったら絶対にからかってやろうと心に決める。
レナード君も、とてつもなく高い倍率の試験に合格し、エリート官僚としての道を歩んでいると、ローナからの手紙に書かれていた。
「私も、二人に話したいことがたくさんあります」
「サラの図書館も、随分と周知されるようになったからね」
エルヴィス様はそう言うと、とても嬉しそうに微笑んだ。
私が公爵夫人になってからも、本作りと図書館の運営を続けることを提案したのは、他でもないエルヴィス様だった。
「サラが目標に向かって頑張っている姿を見るのが好きなんだ」
エルヴィス様のその言葉に励まされて、子育ての合間を縫って活動を続けてきた。
最近では、身分を問わず図書館に通うことがちょっとした流行になっており、図書館は連日に賑わっている。
やはり長きにわたる地道な活動が実を結んだ…と言いたいところだが、これはアイリーン様の力が大きい。
なんでも、アイリーン様が「妊娠中は図書館に通っている」と発言したそうだ。
「幼い息子が喜ぶ“絵本”もありますし、“娯楽本”もいろいろな種類があるのですよ」
王太子妃のその発言の影響力は凄まじく、ここ半年ほどは図書館も目が回るほどに忙しいと聞いている。
本当に、ありがたい話だ。
久しぶりのデートを終えて屋敷に着いた私達を、執事長が出迎える。
「おかえりなさいませ。奥様宛てに、こちらの包みが届いております」
そう言って手渡された小包には、懐かしい名が書かれていた。
「まあ、クリス先生から!」
クリス先生の奥様であるレベッカ先生とは、元文学部の顧問と部員として、今でも年に数回やり取りをしている。
先日お会いした際に、クリス先生が現在他国に留学中だと教えてもらったばかりだ。
異国からの贈り物に心を躍らせながら包みを開けると、目に飛び込んできたのは思いもよらないものだった。
「それは、本かい?」
横で覗いていたエルヴィス様のその言葉に、私は何度も首を縦に振る。
「まさか本当に存在するなんて」
他国の言語で書かれているものの、それはれっきとした“小説”だった。
「ぜひこの本を、この国の人々にも読んでもらいたい…」
そう呟いた私に、エルヴィス様は柔らかな笑みを向ける。
「また忙しくなりそうだね」
そう言ってエルヴィス様は、私の瞼に口づけた。
そろそろクレアが起き出す頃だろう。
レイチェル様とローナを迎える準備もしなくてはいけない。
私が求めていた“平穏な日常”が手の中にあることに、私は思わず笑みを漏らす。
「何かあったのかい? 顔が緩んでいるよ?」
「幸せだなあ、と思って」
私のその言葉を聞いて、目の前の愛しい人も幸せそうに微笑むのだった。
これにて作品完結です。
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
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