第一王子の視察①
私が前世を思い出して、あっという間に三年が経過した。
読み書き教室を始めて以来、ベネット領の識字率はどんどんと上昇し、今では幼児を除く領民の九割が簡単な文字の読み書きができる状態だ。
ベネット領は元々勤勉な者が多いからこそ、たった三年でこのような数値になったのだろう。
そんな彼らは、きっと機会さえ与えれば文字の読み書きくらいは簡単に習得できたのだ。
それなのに皆「サラ様のおかげです」などと言ってくるので、申し訳なさすら感じる。
全ては領民自身のやる気と、前世における小学校の国語の授業と国語ドリルのおかげなのに。
本の数もようやく千冊を超える程になってきた。
そのほとんどが前世で有名だったお伽話を私が書き起こしたものだけれど、領民が執筆した本も一割ほどある。
希望者の作品のみを蔵書に加えているのだが、前世でたくさんの物語を読んだ私ですら「おお!」と思わされる作品なんかもあって、ベネット領内では娯楽の一つになりつつある。
書き手が増えれば、さらに質の高い本が増えるだろう。
この世界で歌劇として演じられている作品についても、書籍化できたらいいなぁと思っているものの、さすがにそれらを無許可で書き起こすわけにはいかない。
その辺りの権利関係がどうなっているのかはわからないが、そんなことをすれば確実に揉めるだろうし、訴えられたら絶対に負ける。
気軽に歌劇に行けない領民に、せめてストーリーだけでも伝えてあげたいんだけど。
ともかく、“読み書き教室”として始めた施設は、そろそろ“図書館(仮)”と呼べる程度にはなってきた。
しかし、ここまで好調に図書館(仮)を育ててきたのだが、実は今この瞬間に過去最大の正念場を迎えようとしている。
今朝早くからベネット領に視察に来ているこの国の第一王子が、ぜひともこの図書館(仮)を見学したいと言い出したそうだ。
領民の識字率向上がこの施設のおかげだと、誰かが過大に評価したらしい。
「とても聡明で寛大なお方だ。サラと年も近いから、それほど緊張する必要はないよ」
父は第一王子についてそう言っていたけれど、その声は緊張で震えており、安心できる要素なんてどこにもなかった。
王族に会うということ自体が、私達のような下位貴族にとっては一大事なのだ。
ましてや私にはさらなる懸念点がある。
第一王子ということは、おそらく近い未来の王太子。
つまりは『カガヒメ』の攻略対象者である。
王立学園入学前に、顔を合わせる機会があるなんて思ってもいなかった。
ゲームの中では以前から顔見知りだったというような描写はなかったはず。
ということは、おそらく今日第一王子に会ったとしても、彼の記憶に私の存在は残らないのだろう。
とにかく目立たず、でしゃばらず、空気のような存在として過ごそう。
そう心に決めていたものの、第一王子の馬車が屋敷に近づくにつれて不安が膨らむ。
逆ハーレムルート以外にどんなルートがあるのかはわからない。
けれども様々な乙女ゲームをクリアしてきた私の勘によると、きっと王太子と恋仲になるルートもあると思われる。
逆ハールートだけでなく、そちらについてもなんとか避けたい。
なぜなら私は将来王妃になれるだけの器じゃないから!
そんなことを考えていると、あっという間に王族専用の馬車が目の前に停車した。
両親と共に頭を下げて待つ間も、心臓が飛び出しそうなほどに鼓動している。
しかし、その緊張が霧散するくらいに衝撃的なことが起こった。
「出迎え感謝いたします。顔を上げてください」
少し低めのその声に促されて前を向いた瞬間に、私は息が止まりそうになった。
「えっ…」
私の知っている攻略対象者じゃない…?
「どうかしましたか?」
第一王子に不思議そうな顔をされて、自身の失態に血の気が引く。
「いえ、大変失礼致しました」
そう謝罪するものの、私の頭の中はいまだに大混乱している。
ブロンドの髪に、深紅の瞳。
私の知っている攻略対象者の王太子は、髪色は同じブロンドだけれども、瞳は青かったはず。
瞳の色が違う上に、そもそも顔立ちが全く違うのだから、別人と考えるのが自然だろう。
なぜ第一王子がこの人なのだろう。
ひょっとしたら影武者とか?
でもまさか「あなた本物ですか?」なんて聞けるはずもない。
一瞬私の記憶違いかとも思ったものの、やはり別人だと断言できる。
私がゲームをプレイしたのは一度きりだけど、前世における『カガヒメ』の人気は凄まじかったのだ。
様々な企業とコラボしていたし、私が入院していた病院にすら『カガヒメ』のキャラクターがデザインされているポスターが掲示されていた。
あれは、なんちゃら省だかなんちゃら庁だかが発行しているポスターだったはず。
あまりの衝撃にぼんやりしているうちに、父が第一王子に母と私を紹介していた。
「エルヴィス第一王子殿下。妻のエリンと、娘のサラでございます」
「ロスメア王国第一王子のエルヴィス・ヘイワードです。今日はよろしく頼みます」
第一王子がそう言ってこちらに目を向けたので、母に続いて当たり障りのない挨拶をしておく。
「サラ・ベネットと申します」
「あなたがベネット子爵令嬢ですね。領民の方々からお話は聞きました。読み書きの教室を運営していらっしゃるとか」
エルヴィス殿下は爽やかな笑顔でそう言うけれど、完全なる誤解だ。
「領民に向けて簡単な読み書きは教えておりますが、運営というほどのものではありません」
“娯楽本を作り出す”という自身の欲望から始まった取り組みを、あまり過大評価しないでほしい。
私の言葉を聞いて、エルヴィス殿下はさらに笑みを深める。
「決して驕らない人物であるという評判も、本当のようですね」
これもヒロインとしての力が働いているのだろうか、先程の私の言葉はなぜか謙遜だと思われているらしい。
本当に勘弁してほしい。
しかしここで何を言っても無駄だろうという気もするので、苦笑いで誤魔化しておこう。
「読み書きの教室をご覧になりたいと伺いました。さっそくご案内いたしましょうか?」
とにかくささっと目的を終わらせてもらって、ささっと帰ってもらおう。
「ええ、ぜひとも」
エルヴィス殿下はそう言うと、あろうことか私をエスコートするために腕を差し出してきた。
整った顔立ちにキラキラ笑顔、おまけに自然なエスコート。
どこの世界の王子様なんだ。
いや、この世界の第一王子なんだけどさ。
ここまできて、私は一つの仮説に思い至る。
「エルヴィス第一王子って、隠しキャラなんじゃないの?」と。
なぜ第一王子と王太子が別人なのかについては、今は置いておこう。
とりあえず、身分も容姿も振る舞いも完璧なこの人が、モブキャラであるなんて考えられない。
けれども、ポスターなどには描かれているのを見たことがない。
私が唯一クリアした王道ルートにも、彼の姿は出てこなかった。
そうなると、エルヴィス殿下は何らかの条件を満たしたときのみに出現する“隠し攻略対象者”である可能性が高い。
まさか学園入学前に、隠しキャラに遭遇するパターンがあったなんて。
しかしここで怯むわけにはいかない。
この世界の攻略対象者なのだから、きっと庇護欲を掻き立てるような女の子が好みなのだろう。
だったらこの視察の間に、私がそのような人間ではないことを存分にアピールしよう。
そう決心して、私は差し出されたエルヴィス殿下の腕をとった。