第一王子と嫉妬
「サラがここに来るのは久しぶりだね。部活動が楽しすぎて、私のことなど忘れてしまっているのかと思っていたよ」
テーブルを挟んで正面に座るエルヴィス様が、優雅に紅茶を飲みながらそんなことを言う。
こうなるとエルヴィス様は少しめんどくさい。
第一王子相手に使うべき形容詞でないことは重々承知しているが、今の彼にこれほどぴったりの言葉はない。
「そんなわけないでしょう。モーガン侯爵夫人からの依頼が大詰めで、そちらにも時間がとられていたんですよ」
今だって、モーガン侯爵夫人への手紙の内容をレイチェル様に添削してもらうために来ただけなのだ。
重厚な生徒会室よりも部室の緩い雰囲気が居心地が良かった、というのは言わないでおこう。
「そうだとしても、サラが文学部の部室に入り浸っていたことは事実だろう? 君達が部室で楽しそうにしている声を聞いて、私がどんな気持ちでいたと思っているんだい?」
エルヴィス様が恨めしそうな顔でそう言うので、私も思わず言い返す。
「いやいや、生徒会室も第三学年の教室も、部室がある部室棟からは離れているではないですか。声なんて聞こえないでしょう?」
私の言葉を聞いて、エルヴィス様は気まずそうな顔をする。
すると、そんな私達のやり取りを見ていたレイチェル様が綺麗な顔で笑った。
「殿下ったら、このところ用もなく部室棟のあたりを見て回られているのよ?」
レイチェル様の言葉を聞いて、自身のエルヴィス様に向ける視線が冷たくなるのを感じる。
「え、何それ怖いです」
第一王子ともあろうお方が、やっていることは普通にストーカーだ。
しかし、エルヴィス様に悪びれる様子は一切ない。
「好きな女性の顔を一目でも見たいという、純真な心からじゃないか」
そう言う彼は完全に開き直っている。
開き直った第一王子は、もはや無敵だ。
こんな状態のエルヴィス様には何を言っても無駄だということはわかっているので、私は何も言わずにモーガン侯爵夫人への手紙に取り掛かる。
清書をするためにペンとインクを取り出すと、レイチェル様にすかさず声をかけられた。
「あら、素敵なガラスペンね」
憧れのレイチェル様から持ち物を褒められて、なんだかこそばゆい心地がする。
「この間、ローナとレナード君と三人で買いに行ったものなんです」
私がそう言うと、横からエルヴィス様が口を挟む。
「え? どれほど誘っても私とは出かけてくれないのに?」
エルヴィス様のめんどくさいモードが続いていることには閉口する。
「エルヴィス様と二人で王都を歩き回ったら、大変な騒ぎになるでしょう?」
近頃は公務にも積極的に取り組んでいるエルヴィス様は、国民にもばっちり顔を覚えられている。
第一王子が城下を歩くだけでも人だかりができて大変だろうに、王子の隣に婚約者でもない女性がいるとなれば、いらぬ混乱が発生することは容易に想像がつく。
「とにかく、その時にみんなでお揃いのガラスペンを買おうということになったんです。たくさんの種類があったのですが、私はどうしてもこれに心惹かれて。とても綺麗でしょう?」
私が誇らし気な気持ちでそう言うと、エルヴィス様が微かに笑った。
「ああ、綺麗だね」
そう言った彼は、愉快そうな口調で言葉を続けた。
「私の瞳と同じ色だね」
エルヴィス様にそう言われて、私は手の中のガラスペンに目を落とす。
あの日の帰り道、「ところで、サラとエルヴィス殿下はどういった関係なの?」とローナがおずおずと聞いてきたのは、そのせいだったのか。
今更ながらに合点がいって、ますます顔が熱くなる。
「…まいったな、冗談で言ったんだけど」
そう言うエルヴィス様も、頬が僅かに色づいている。
「そんな反応をされると、期待してしまうよ?」
そう言うエルヴィス様は、蕩けそうな表情を浮かべている。
ここからどうしよう、と困惑している私を助けたのは、部屋に響いたノックの音だった。
エルヴィス様が眉を顰めて「どうぞ」と返事をすると、そこに立っていたのは思ってもみない人物だった。
「アイリーン?」
エルヴィス様のその言葉に、胸がざわりと波立った。
エルヴィス様は、基本的に他者とは一定の距離を保って接するタイプの人間だ。
私とレイチェル様の他に、女性を呼び捨てにするのを聞いたことがない。
だから、彼の「アイリーン」という言葉は、私に衝撃を与えた。
アイリーン様はその場で軽く会釈をし、にこりともせずに口を開く。
「お忙しいところ失礼いたします。エルヴィス様にご相談があるのですが」
アイリーン様の言葉を聞いて、エルヴィス様が素早く席を立つ。
そのまま彼女の元まで歩を進めると、小声で二言三言会話をし、私達の方へと向き直る。
「今日はこれで失礼させてもらうよ。じゃあね、サラ。また明日も会いに来てね」
エルヴィス様はそう言って、いつものように私の髪を一筋掬った。
しかし彼がそれに口づけを落とす前に、私は勢いよく身体を後ろに引く。
自身の髪がエルヴィス様の手からすり抜けるのを見て、なぜだか悲しい気持ちになった。
私の常とは違う行動に、エルヴィス様も眉を顰めた。
けれどもそれはほんの一瞬のことで、彼はそのまま言葉を発することもなく生徒会室を後にした。
そんなエルヴィス様の行動に対して、「置いて行かれた」と思ってしまった私は、なんと浅ましい人間なのだろうか。
最初に拒絶したのは私なのに。
悶々とする私の気持ちが漏れ出ていたのだろう。
「新しくお茶を淹れ直したから、こちらにおいでなさいな」
レイチェル様にそう言われて、目に涙が浮かぶのを感じる。
「今の自分が、とても嫌いです」
曖昧な立場をとり続けているのは自分なのに、エルヴィス様が他の女性と親しくするのを嫌がるだなんて。
「でも、どうしたらいいのかわからないのです」
だって彼は第一王子だから。
私とは、全く釣り合う人ではないから。
私の唐突な発言に表情一つ変えることもなく、レイチェル様は私をソファーへと座らせた。
「自分のことになると、途端に不器用なのね」
レイチェル様は私の背中をさすりながらそう言う。
「エルヴィス殿下は鬱陶しいほどに意思表示をされていると思うわ。それでも彼の気持ちを信じられない?」
レイチェル様の言葉に、私はゆるゆると首を横に振る。
彼が悪いのではない。
これは自分自身の問題なのだ。
翌日、王立学園ではとある噂で持ちきりだった。
なんでも、ハロルド王太子の婚約者であるアイリーン様とエルヴィス第一王子が、親し気に歩いていたということだ。
二人はそのまま馬車に乗り、王城の方角へと去って行ったという。
エルヴィス様は、今日も生徒会室で私を待ってくれているだろう。
けれども今の私には、そこに行くだけの勇気がなかった。