騎士団長令息:レナード・スコット①
中世をイメージした世界が舞台となる乙女ゲームにおいて、必ずと言っていいほどに攻略対象者として登場する“騎士”。
この世界における騎士は、貴族からしか選出されない。
とりわけ騎士団長は、宰相職と同様に世襲制をとっている。
代々騎士団長を務めるのが「スコット伯爵家」だそうだ。
『カガヒメ』の内容を覚えているわけではないけれど、この世界の常識を踏まえて考えると、崖崩れによって兄を亡くした【騎士団長令息:レナード・スコット】は、騎士団長を継ぐ者として描かれていたはずだ。
今のようにもっさりとした髪型ではなく、彼の兄であるアレクシス・スコットと瓜二つの姿で。
しかし、私が存在することによって、彼の兄は死なずに済んだ。
ということは、この世界のレナード君は騎士団長を継ぐ必要はないということだ。
彼の兄が生存しているということには喜びを感じるけれど、私の存在がレナード君の今後に大きな影響を与えてしまったことについては、申し訳なくも思う。
それにしても、まさか彼が攻略対象者だったとは。
グッズやポスターを目にする機会が多かったので、覚えていなくても一目見たらわかるだろうと高を括っていた。
それなのに、ゲームと現実でここまでビジュアルに差があるだなんて。
【騎士団長令息:レナード・スコット】とレナード君の容姿の違いも、私がこの世界に転生したことによるものなのだろうか。
もしもレナード君が攻略対象者だとわかっていれば、わざわざ彼を文学部に誘ったりはしなかった。
攻略対象者とは最低限の関わりしか持たないことが、私の目標だったのだから。
けれども、彼に声をかけたことを後悔はしていない。
学年一の問題児であるダグラス以外に、気軽に話せるクラスメイトがいるというのは、正直嬉しい。
それに、彼のおかげで無事に文学部が設立できて、その結果ローナとの距離も縮まった。
「…さっきから何?」
テーブルを挟んだ斜め前のソファーで教科書を読むレナード君が、視線をこちらに向けることもなくそう言った。
私が彼を盗み見ていたことは、バレていたらしい。
文学部の部室として与えられたこの部屋は、小さいながらに日当たりが良くて快適だ。
「活動に参加するかはわからない」と言っていたレナード君が、毎日勉強をするためにこの部屋に通うほどに居心地が良い。
部屋には二人きりで、周りに聞かれる心配もないこの状況なら、話しても大丈夫だろう。
「この間、モーガン侯爵夫人の誕生パーティーで、レナード君のお父様とお兄様にお会いしたわ」
できるだけなんでもないことのように告げたその言葉に、レナード君が明らかに動揺した。
「ごめんなさい、あなたがスコット伯爵家の御子息だなんて知らなかったの」
やっぱり、“レナード君”なんて呼び方は、あまりにも馴れ馴れしすぎるだろうか。
呼び方を変えた方がいいのかと、彼に聞こうと思った時だった。
「軽蔑したかい?」
「は?」
地の底を這うような低い声に、思わず素っ頓狂な返事をしてしまう。
しかし彼はそれを笑うでもなく、もう一度同じ言葉を繰り返した。
きっと彼にとっては重要なことなのだろうけど、もっさりとした前髪のせいで、今の彼がどんな表情をしているのかがわからない。
「軽蔑? どうして?」
今のところ、彼を軽蔑する要素など一つもない。
むしろ軽蔑されるべきは私だ。
入学してから三ヶ月以上が経過したというのに、隣の席の人間のフルネームすら知らなかったのだから。
しかし、私からの問いに答えるレナード君の声は震えていた。
「騎士団長を輩出する家系に生まれながら、騎士としての素質を持たない僕を、君も軽蔑したのかい?」
振り絞るように発せられたその言葉は、罪を懺悔するかのような響きを有していた。
どういうことなのだろうか。
「軽蔑なんてしていないわ。そもそも、あなたが騎士としての素質を持っているかどうかなんて、私は知らないもの。ついこの前まで、名前すら知らなかったくらいよ」
さすがに、“レナード”を家名だと思っていたことは言わないでおく。
その言葉を聞いて、レナード君が顔をあげた。
ようやく見えた彼の顔には、戸惑いの表情が浮かんでいた。
「ねえ、どうしてそんな風に思うの? 私はあなたを尊敬しているのよ」
言葉を交わすようになって、まだそれほど時間は経っていない。
けれども、彼の頭の回転の速さや優秀さを感じる場面には何度も遭遇した。
そして、それらが全てレナード君自身の努力の上にあることを、私は知っている。
レナード君は、おそらく私の言いたいことを理解してくれただろう。
けれども、私の言葉を聞いた彼は、口の右端だけをあげて笑った。
「いくら勉強ができようが、物事を知っていようが、そんなことは関係ないんだよ」
そう言うレナード君は、笑っているのに悲しそうだった。
「いくら学問で良い成績を収めても、全く認めてもらえない。あの家の息子として生まれたからには、騎士にならなければスタートラインにも立てないんだ」
淡々と言葉を続けるレナード君に、私は何も言えなかった。
“代々受け継がねばならぬものがある”家に生まれた人間の苦悩を知らない私が、その言葉を軽々しく否定することなどできない。
「僕にとって、スコット家に生まれたことは枷でしかないんだよ」
そう言って静かに微笑むレナード君は、何かを諦めたような顔をしていた。