文学部の設立②
部員を探してくるとは言ったものの、私にはあてがない。
なぜなら、入学以来私はクラスメイトに遠巻きにされているから。
子爵家の子女でありながら、第一王子であるエルヴィス様や、侯爵家の御令嬢であるレイチェル様と仲が良い私に、どのような態度で接したらいいのかわからないのだろう。
私がクラスメイトの立場でも、きっとそうなる。
でもここで、文学部の設立を諦めるわけにはいかない。
顧問を頼んでおいて「部員が足りませんでした」なんて、レベッカ先生に言えようか。
何より、私自身が文学部として活動したいのだ。
どうしたものかと考えながら、クラスの教室に向かっている時だった。
「サラ様? どうかなさいましたか?」
まさか自分の名が呼ばれるとは思ってもおらず、声のする方向へと勢いよく振り返る。
「何かお困りごとでも?」
しかし声の主は驚いた様子も見せず、柔らかな笑みを私に向けた。
「ローナ様…!」
そこには、かつてレイチェル様主催のお茶会で出会ったキャンベル伯爵家のローナ様が立っていた。
そうか、彼女なら。
あの日私が持参した本を読んで「素晴らしい」と言ってくれた彼女なら、文学部の部員になってくれるかもしれない。
「あのっ、よければ少しお話しできませんか!?」
急に距離を詰める私にも嫌な顔一つせず、ローナ様は穏やかな態度を崩さない。
「もちろんです。廊下ではなんですし、場所を移動いたしましょう」
そう言う彼女は、救世主のように見えた。
「実は“文学部”を設立したいと考えているのです」
つい先日まではダグラスの指定席だった中庭のベンチに、二人並んで腰掛ける。
どんな活動をする予定なのかを説明すると、ローナ様は「とても面白そうだわ」と言ってくれた。
社交辞令であったとしても、彼女のその言葉は私を勇気づけた。
「ただ、顧問の先生は見つけているのですが、部員が集まっておりませんで」
自分の人望のなさを曝け出すのは恥ずかしいけれど、そんなことは言っていられない。
「もしもローナ様にご興味がおありでしたら、ぜひとも部員になっていただけませんか?」
私の突然の勧誘に、ローナ様は僅かに目を見開いた。
「もちろん、無理にとは言いません。もしもご興味がおありでしたら、の話です」
躊躇うように口籠るローナ様に、私はそう言葉を続ける。
もしかすると、お優しいローナ様は断ることができずにいるのかもしれない。
部員は集めたいけれど、彼女の意に沿わないことはしたくない。
するとローナ様は、何かを決意したような表情で口を開いた。
「部員になるのはもちろん構いません。ぜひ、仲間に入れていただきたいです」
彼女の言葉に、私は飛び上がりそうになった。
けれども、彼女の話はそこで終わりではなかった。
「実は私も、ずっとサラ様とお話ししたいと思っていたのです」
そう言うローナ様の両手は、胸の前で組まれて震えていた。
「あの日見せていただいた本が、どうしても忘れられなくて」
“あの日”というのは、以前お会いしたお茶会の日のことだろう。
お茶会の場でローナ様が「特に好きだった」と言ったのは、私が書き起こした『シンデレラ』だった。
王道のハッピーエンドが好まれるのはどの世界でも同じなのだ、と思ったことを覚えている。
「あの本の挿絵を、ぜひ私に描かせていただけませんか?」
ローナ様からそう言われて、今度は私の両手が震え出す。
「私は絵を描くのが好きなのですが、子どもっぽすぎるとして両親からはやめるように言われているのです。しかしあの本に、私の描く絵はぴったりだと思うのです」
ローナ様の予想外の申し出に、私は息をするのも忘れてしまった。
娯楽本の作成を始めてすぐの頃から、“絵本”を作りたいという思いは抱いていた。
けれども、絵本向けのイラストを描く人物を見つけ出すことも、自分で描くこともできずに、長年なんの進捗もなかった。
しかし、ようやくその可能性に出会えたのだ。
これは大きな進歩と言えよう。
「サラ様が『違う』と思われるのでしたら、もちろん使われなくても構いません。けれども、一度でいいのでチャンスを頂けませんか?」
まさか絵本作りに関して、ここまで熱い思いを持ってくれている人が現れるだなんて。
私は感動しながらも、同じ熱量で応えねばならぬと気を引き締める。
「わかりました、よろしくお願いいたします」
私がそう言うと、ローナ様はほっとした表情を浮かべた。
「でもまさか、ローナ様がそのように思ってくださっていたとは思いませんでした」
お茶会では褒めてもらったものの、ローナ様がこの世界ではほぼ無名の“読書”という行為を気に入り、さらには作り手になりたいとまで思っているとは予想もしなかった。
嬉しいことではあるけれど、「なぜ?」という気持ちも大きい。
私の言葉を聞いて、ローナ様は目元を和らげる。
「本を作り始めた理由を尋ねた時、サラ様は『面白そうだったから』とおっしゃいました。私はそれが、とても羨ましかった」
羨ましい?
あの時は「ただやりたいからやってるだけ」と答えたような気がする。
「そう言っていただけるのは嬉しいですけれど、ローナ様に羨ましがられる理由がわかりません」
呆れられるならまだしも、羨ましい…?
ローナ様の言葉を聞いて、頭の上にクエスチョンマークが並ぶ私に、彼女は澄んだ瞳を向ける。
「自分の気持ちに素直でいられるサラ様が、自分の力でやり遂げようとするサラ様が、とても眩しく思えたのです」
そう言ってにっこりと笑うローナ様は、とても魅力的だった。
文学部設立に向けて、必要な部員はあと一人。
ローナ様に署名をもらって教室に戻った私は、自分の席に座って教室内をぐるりと見回す。
そして、決意を固める。
本当は、こんなことをすべきではないのはわかっている。
けれども、もう他に方法はないのだ。
「あの、すみません。お話しするのは初めてですよね? 私、サラ・ベネットと申します」
意を決して隣の席の男の子に声をかける。
もっさりとした赤茶色の髪の、大人しそうな男の子。
長い前髪が彼の目を隠していて表情がよくわからないうえに、彼が言葉を発するのを入学以来聞いたことがない。
彼がどんな人物かも知らないし、クラスメイトと言えるほどの間柄でもない。
つまり、ほぼ他人。
「…レナードです」
ぼそりと呟くその声は、想像以上に低かった。
警戒されているのだろうか、家名しか教えてもらえなかった。
一瞬「怒っているのかな?」とも思ったけれども、怒られる理由もない。
まだ自己紹介をしただけなのだ。
あまり良い印象を持たれてはいないのだろうな、という気配を感じつつ、私は自分を奮い立たせて口を開いた。
「実は、新しく“文学部”というものを設立しようと思っているのです。興味がおありなら話を聞いていただけないかと思いまして…」
正直なところ、喋ったこともない相手から聞いたこともない部活動の勧誘を受けたところで、入部してくれるとは思わない。
けれども、クラス全員に声をかけたら一人くらいは興味を持ってくれるかもしれない。
それで駄目なら学年全員に、それでも駄目なら他学年の生徒にも声をかけようと決心していた。
するとレナード君(レナード家の爵位はわからないけれど“様”よりも“君”と呼びたくなるような雰囲気なのだ)は、落ち着いたトーンで問うてきた。
「部活動の新設ですか? 話したこともない僕に声をかけるということは、部員数が足りないのですか?」
…人数合わせだってバレてる。
その通りなんだけど、途端に申し訳ない気持ちになる。
嫌な気持ちにさせてしまっただろうなぁ。
謝罪をして適当に話を切り上げようとしたところ、続く彼の言葉は予想を裏切るものだった。
「いいですよ、名前を使っていただいても。活動に参加するかはわかりませんが」
まさかの!
「本当ですか!? ありがとうございます! なるべくご迷惑はおかけしませんので!」
思わずはしゃいでしまい、クラス全員からの注目を集めてしまった。
そんな私を前にしても、レナード君は嫌な顔もせず、かと言って愛想良くするわけでもなく、淡々と言葉を続ける。
「ちょうど用事があるので、記名が済んだら生徒会室まで持って行きますね。他の欄はすべて埋まっているようですから」
…こういう人物が将来国の中枢で働くんだろうな、と思わせるような優秀さだ。
「いいんですか? ではお言葉に甘えまして、よろしくお願いいたします」
私のその言葉に、レナード君は「ああ」と短く返事をした。
その日のうちに「文学部の設立が承認されたよ」とエルヴィス様から知らせを受けた私は、喜びのあまり目の前の彼に抱きついてしまうのだった。