文学部の設立①
「ダグラス君、お茶を淹れてくれないか」
生徒会室のソファーに腰かけながら、ぼんやりと空を見つめるエルヴィス様が、ダグラス・モーガンにそう声を掛ける。
「は、はい」
おそらく自分で紅茶など淹れたことがないだろうダグラス・モーガンが、がちゃがちゃと音を立てながら食器の準備を始めるのを横目で見つつ、私はそっと溜息をついた。
ダグラス・モーガンが今日付けで生徒会の一員になった。
役職は“雑務”。
彼のために新たに設けられた役職で、平たく言えばただの雑用係だ。
学園内での態度が重視される王立学園では、進級や卒業の際に出席率が重視されると言われている。
入学してからずっと授業をサボっていた彼には、すでに留年の話まで出ていたという。
「私がきちんと面倒見ます」と言うレイチェル様が、彼の生活態度に目を光らせるということで、教師達もしぶしぶ留年を取り下げたらしい。
その一環としての“雑務”の任命だそうだ。
本当に、この男の最大の幸運は、レイチェル様が婚約者であることだと思う。
レイチェル様に教わりながら淹れられた紅茶が、私とエルヴィス様の前に置かれる。
明らかに濃い色をしているそれを口に運ぶと、想像通りの渋さが口いっぱいに広がった。
「うわあ、渋…」
無意識に漏れ出たその言葉を聞いて、ダグラス・モーガンが私を睨みつける。
「嫌なら飲むな。おまえのはついでだ」
そう言ったダグラス・モーガンに、私の目の前に座るエルヴィス様がにっこりと笑いかける。
魔王なんてもちろん見たことはないけれど、もしも存在するならばこんな顔で笑うんだろうな、と思わせられるような笑顔だった。
「ダグラス君? 君がサラを泣かせていたこと、私は忘れていないからね?」
そう言うエルヴィス様の声は凍えるくらいに冷たい。
「本来ならば、君の出席日数云々に関わらず、私が王族の権威を利用して退学にすることもできたんだけれどね。さすがにレイチェルに止められてしまったよ。彼女に感謝するんだね」
エルヴィス様のその言葉に、ダグラス・モーガンは絶句していた。
笑えない冗談だな…え、冗談だよね?
凍死してしまいそうなくらいに冷え切った生徒会室の空気を換えようと、私はダグラス・モーガンに話を振った。
「ねえ、ダグラス・モーガン」
しかし彼は、私の呼びかけを聞いて眉を顰めた。
「前から思ってたけど、フルネーム呼びやめろよ。長ったらしい」
確かに。
実は、私も少し気にはなっていた。
「え、じゃあモーガン侯爵令息?」
今さら他人行儀に呼ぶのも違和感があるけれど、他に何も思いつかない。
「は? 喧嘩売ってんのかおまえ。ダグラスでいいんだよ」
…こいつ、レイチェル様への態度を改めたのはいいけれど、私に対する扱いの酷さはなんなんだ。
文句を言おうと思ったところ、先に口を開いたのはエルヴィス様だった。
「ダグラス君、サラに呼び捨てにされたいのかい? どうして? 理由によっては今日この場で君の国外への追放が決まってしまうよ?」
そう言うエルヴィス様は真顔だ。
「エルヴィス様、さすがに怖すぎます」
エルヴィス様が本当にダグラスを国外に追放するとは思っていない。
けれども、それができるだけの権力を有することは事実だ。怖い。
「“呼び捨てされたい”とかいう話じゃなくて、フルネーム呼びをやめてほしいというだけなんですよ。ねえ、ダグラス?」
私がそう言ってダグラスの方を見ると、彼は悲壮な表情を浮かべていた。
ダグラスの視線の先には、不機嫌を隠そうともしないエルヴィス様。
私、やってしまったかも…?
「サラ。どうしてダグラス君は呼び捨てにするのに、私のことはいつまで経っても“エルヴィス様”なのかな?」
いやいや、そんな話!?
「私の立場を考えてください。子爵家の私が第一王子を呼び捨てにするなんて、畏れ多いにもほどがあるでしょう」
もっと言うなら、本来私は“エルヴィス王子殿下”と呼ぶべきだ。
私が学園内で「エルヴィス様」と呼ぶ度に、不快感を顕わにする御令嬢達を、何度目にしたことだろう。
しかしエルヴィス様は食い下がる。
「それを言うならば、侯爵家御令息であるダグラス君も、呼び捨てにするには畏れ多い相手なのでは?」
まあ、確かにそうなんだけれど。
「ダグラスはなんというか…弟? っぽいので?」
私の言葉を聞いて、今度はダグラスが割って入る。
「おいこら、なんで俺がおまえの弟なんだよ」
そうやってすぐにムキになるところとかが弟っぽいんだよ、言わないけど。
なんなら一人称も「俺」に戻っちゃってるし。
「ふむ。ということは、ダグラス君は未来の私の義弟ということか。ならば厳しく指導してやろう」
怒れるダグラスの横で、エルヴィス様はなぜか納得しているようだ。
もうカオス。
「そんなことより! 実は今日はお聞きしたいことがあって来たのです」
そう、別に私は雑談をしに生徒会室にやって来たわけではない。
「新しく“文学部”を設立したいのですが、どうしたらいいでしょう?」
前世からやってみたかったことの一つ、部活動。
それを今世で体験したい。
しかしこの学園に文学部などと言うものは存在していない。
ならば自分でつくるしかない、というのが私の考えだ。
「文学部というのは、具体的にどのようなことをするの?」
つい先程までは美しい表情を浮かべて無言で微笑んでいたレイチェル様が、ここでようやく口を開く。
「一番の活動は、やはり本を書くことです。どんな内容でも構いません。自分の好きなことを思い思いに書いて、それを部内で批評し合って、より良い作品を作り上げるのです」
ベネット領の領民が書いた作品も、あんなに素晴らしかったのだ。
豊かな知識を持つ貴族の方々が執筆した作品がどのようなものになるのか、考えるだけでワクワクする。
「本を読んだり、それ以外の芸術に触れたりすることも、活動と言えるでしょうね。アウトプットのためには、質の良いインプットも欠かせません」
幸いにも、クラーク侯爵のおかげで、この世界にはすでに“上質な歌劇本”まで存在しているのだ。
「レベッカ先生にお聞きしたら、顧問になっても良いと言ってくださいました。私は他に、何をすればよいでしょうか?」
興奮のあまり、頬が上気しているのを感じる。
しかし、生徒会室にいる他の三人は、若干引いたような顔で私を見ていた。
「えーと、すごい熱意と行動力だね。まさかレベッカ・ローレンス博士とも話をつけているとは」
最初に口を開いたのは、エルヴィス様だった。
「聞いたことのない部活動だけれど、とても素敵だと思うわ」
次がレイチェル様。
ダグラスは何も言わなかった。
「顧問の先生が見つかっているのならば、あとの手続きは簡単だよ。確かここに書類があったはずだ」
エルヴィス様は棚から数枚の書類を取り出すと、そのまま私に手渡した。
「これに記入して、顧問の先生からのサインをもらってくれば完了だよ」
思っていたよりもあっさりと文学部の設立が認められそうなことに、私は胸を撫で下ろす。
パラパラと書類を確認していると、ふと気になるページを見つけた。
「エルヴィス様。この『設立時部員名(三名以上)』とはどういうことでしょうか?」
「うん? 新たに部活動を設立する際には、三名以上の部員が必要だということだよ」
エルヴィス様の返答を聞いて、自分の愚かさに絶望する。
「おまえまさか、部員数が足りないのか?」
ダグラスのその問いに頷くと、「馬鹿だろ」と言われてしまったが、その通りなので返す言葉もない。
「ちなみに、エルヴィス様やレイチェル様は…」
縋るように二人を見るけれど、彼らは力なく首を振った。
「ごめんなさい。生徒会の役員は、部活動に参加できないのよ」
レイチェル様が眉を下げながらそう言うけれど、全ては私の失態だ。
「部員を…探してきます…」
私はそう言い残して、生徒会室を後にするしかなかった。