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次期宰相:ダグラス・モーガン④

私は今、レイチェル様と共にモーガン侯爵邸の客間にお邪魔している。

テーブルを挟んだ目の前に座るのは、この家の子でありレイチェル様の婚約者でもあるダグラス・モーガン。

部屋に漂う気まずい雰囲気に、私は早くも逃げ出したい気持ちだ。


「レイチェル様、私やっぱり帰った方がよいのでは?」

隣に座るレイチェル様に、私は小声で尋ねる。

「そんなことを言わないで。モーガン侯爵夫人も、きっとお喜びになるわ」

レイチェル様はそう言うけれど、私は緊張のあまり吐き気までしてきた。


しがない子爵家子女である私が、一体なぜ。




「今週末、レイチェルが我が家に来ることになっていると聞いている。そこで話がしたい」

ダグラス・モーガンが生徒会室に現れたあの日、彼はレイチェル様に向かってそれだけ告げると、エルヴィス様に会釈をしてから逃げるように去って行った。


一方的に用件を伝えていなくなってしまった彼に、私は腹を立てていたが、レイチェル様は違ったらしい。

「久しぶりに、ダグラス様に名前を呼んでいただいたわ」

目に涙を浮かべながらそう言う彼女を見て、私の怒りはさらに強まる。

本当に、あの男はどれだけレイチェル様をぞんざいに扱ってきたのか、と。


しかしレイチェル様は、私のそんな怒りには気づくことなく、潤んだ瞳で私を覗き込んだ。

「先程言いかけていたことなのだけれど、今週末、サラも一緒にモーガン侯爵邸に来てくれないかしら? 実は、侯爵夫人がサラもぜひご一緒にとおっしゃっているのよ」

先程までの腹立たしさを忘れてしまうほどに、レイチェル様の言葉は衝撃的なものだった。


「ちょっと待ってください。モーガン侯爵夫人とはお会いしたこともありません」

それはそうだ。

同じ“貴族”といえども、侯爵家と我が子爵家では格が違いすぎる。

侯爵夫人との接点など、あるわけがないのだ。


「モーガン侯爵夫人は、どなたかと勘違いしていらっしゃるのでは? そもそも、なぜ私のことをご存知なのでしょう?」

もしかして、ここでも“エルヴィス様の”と言われてしまうのだろうか。


しかしエルヴィス様は、私と仲良くなったからといって、その人が有利になるように働きかけるような人間ではない。

もしもそのようなことを期待してのお誘いであるなら、早い段階で誤解を解いておかなければならない。

なんの使い道もない小娘のために、侯爵夫人の時間を浪費させるのは申し訳なさすぎる。


そう思っていたものの、レイチェル様の返事は予想外のものだった。

「父が侯爵夫人に“歌劇の本”の話をしたのよ。ぜひ発案者であるサラと話がしてみたいとのことよ」

ひいいいいいいい!!!


「確かに、言い出したのは私ですが、あの立派な本が出来上がったのはクラーク侯爵家の力です」

私はただ、前世の記憶を元に提案をしただけ。

私の力では手作り本が精一杯なのだ。


しかし私のその言葉を聞いて、レイチェル様は真剣な表情をする。

「サラ、聞いて。立派な本を作ることができるだけの権力と財産を持つ者は一定数いるわ。私の父もそうだし、おそらくモーガン侯爵夫人もそう。今夫人が求めているのは、サラのアイディアなのよ」

レイチェル様にそう言われて、なんだかこそばゆい気持ちがする。


「サラが来てくれれば、侯爵夫人もとてもお喜びになると思うわ。どうかしら?」

侯爵夫人もレイチェル様も、私のことを買い被りすぎだとは思う。

けれども、レイチェル様にこれほどまでに懇願されて断ることなどできない。

私は彼女からのお願いに、頷くほかなかった。




「ようこそいらっしゃいました。ダグラスの母、イライザ・モーガンです」

程なくして客間に現れたのは、ゴージャスな美女だった。

華やかな装いでありながらも上品で、若々しく見えるものの貫録のあるモーガン侯爵夫人の登場に、私はさっそく狼狽えてしまう。


侯爵夫人はレイチェル様と軽く挨拶を交わした後で、私に向かって口を開いた。

「あなたがベネット子爵家のサラ嬢ね。私もサラと呼んでもいいかしら?」

「もっ、もちろんでございます」

思わず即答してしまったけれども、侯爵夫人に親しくそう呼んでもらってもいいものなのだろうか?


「そう固くならなくても大丈夫よ。実は、私からあなたにお願いしたいことがあるの」

美しく微笑むモーガン侯爵夫人はそう言いながら、分厚いファイルをテーブルに乗せた。

侯爵夫人が私にお願い…?


けれども、ここで今日初めてダグラス・モーガンの口が開かれた。

「母上。申し訳ないのですが、先に私からお聞きしたいことがあります」

ゆっくりと発せられたその言葉は微かに震えており、机上のファイルを見つめる彼は青白い顔をしていた。


「構わないけれど、それは彼女達の前でしなければならない話なの?」

モーガン侯爵夫人のその言葉に、私は内心で頷く。

レイチェル様だけでなく、私がいるこの空間でしてもいい話なのか?


「ええ、今すぐに」

そう言いながらも、ダグラス・モーガンはファイルから片時も目を離さない。

目を離さないどころか、親の仇でも見るような目つきでファイルを凝視する彼からは、異様な気迫が漂っている。


一体何を言い出すのかと思っていると、ダグラス・モーガンは震える手でファイルを指差して言葉を絞り出した。

「母上が数年前から手紙のやり取りをされている男性は、一体どなたなのでしょう?」


私だけでなくレイチェル様も、彼の言葉に目を瞬かせる。

「以前母上の部屋で、そのファイルに挟まれた手紙を見つけてしまったのです。良くないことだとは思いましたが、内容も少し。…恋人に宛てたような手紙でしたが、母上は父上を裏切っていらっしゃるのですか?」


つまり彼は、モーガン侯爵夫人が不貞を働いているのかと聞いているのだ。

まさかそんな、とは思うものの、あり得ない話ではない。

けれどもそれ以上に、無関係な私がいる場でそんなことを聞かないでほしかったという気持ちでいっぱいだ。


そんな私の気持ちなど知る由もなく、モーガン侯爵夫人が話を続ける。

「ダグラスが見たという手紙は、この方からのものかしら?」

そう言って侯爵夫人が示したのは、薄い水色の封筒だった。

差出人には男性名が書かれているけれど、その名前には見覚えがあるような気がする。


「これは、ひょっとしてリリー歌劇団の?」

「そう! さすがレイチェルは詳しいわね」

侯爵夫人とレイチェル様の会話を聞いて、自身の頭の中の情報を引っ張り出す。


“リリー歌劇団”。

五年程前に創設された、恋愛に特化した歌劇を上演している劇団だ。

その特徴はなんといっても舞台俳優で、歌や踊りもトップクラスに上手な()()()()()()()だけで結成されているのが、この“リリー歌劇団”なのだ。

男性役を演じる俳優は全員“女性が理想とする男性”像を体現しており、貴族の女性から絶大な人気を博していると聞いたことがある。


いまいちピンときていない様子だったダグラス・モーガンは、レイチェル様から説明を受けて困惑顔だ。

「つまり母上は、そのリリー歌劇団の俳優と手紙のやり取りをしていたというのですか?」

思いもよらない展開に、彼は半ば放心状態でそう問うた。


「ええ、我が家はリリー歌劇団に多額の出資をしてますからね。報告も兼ねて、劇団設立当時から()()とはやり取りをしているのよ」

なんでもないことのようにそう言うモーガン侯爵夫人は、お手本のように美しい所作で紅茶を口に運ぶ。


「ですが、“愛しい貴女へ”で始まり、“毎夜貴女の訪れを心待ちにしております”などと書かれていましたよ!? 出資者への手紙と言うにはあまりにも…」

「声に出さないでちょうだいな、恥ずかしい。そういう設定なのよ」

“恥ずかしい”と言いながら、侯爵夫人は顔色一つ変えずにお茶を飲み続ける。

さすが宰相の妻、感情が全く読めない。


「ではなぜ、隠すように手紙を保管してらしたのですか!? 私はてっきり…」

興奮状態で叫ぶようにそう言うダグラス・モーガンに、侯爵夫人は鋭い視線を向けた。

「てっきり? まさか私が不貞を働いているとでも思っていたのかしら?」

表情は変わらないものの、その声にははっきりとした怒りが含まれていた。


侯爵夫人は手に持っていたティーカップをソーサーに戻し、長く息を吐いた。

「やましいことなど何もありません。そもそもグレッグも、私がリリー歌劇団のファンであり、手紙のやり取りをしていることを知っています」

父親であるグレゴリー・モーガン侯爵も公認の趣味であると明かされて、ダグラス・モーガンは目を大きく見開いた。


「隠していたのは恥ずかしいから。私のようにいい年をした大人が、男装の麗人に熱を上げていることが知られるのは、やっぱり躊躇われるのよ」

侯爵夫人のその言葉に、ダグラス・モーガンはついに黙り込んでしまった。


そんな彼を目の前にして、モーガン侯爵夫人はさらに厳しい言葉を投げかける。

「この手紙を目にして、あなたが混乱したであろうことはわかるわ。けれども、私に尋ねるとか、差出人の名前を調べるとか、あなたが行動していれば誤解であることがわかったはずです」

まあ、それは確かにそうだ。

私でも見覚えのある名前だったのだから、調べれば差出人を特定するのは簡単だったはずだ。


おそらくそのことは彼も十分に理解しているのだろう。

口を引き結び僅かに顔を俯ける彼は、言い返す気など全くないように見える。


「何事も思い込みだけで行動してはなりません。今後は気をつけなさい」

母親であるモーガン侯爵夫人から叱責され、ただただ項垂れるダグラス・モーガンに、私は初めて同情した。

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