次期宰相:ダグラス・モーガン③
「つまり、ダグラス君のレイチェルへの態度の酷さに、思わず泣いてしまったということかい?」
私達以外には他に誰もいない生徒会室の、パーテーションで区切られた奥のスペースで、エルヴィス様がひっそりとそう問いかける。
呆れたような表情の彼に、私は無言で首を縦に振ることしかできない。
ダグラス・モーガンと私が二人揃って授業をサボっていたこと、そして私が泣いていたことに、エルヴィス様は大いにお怒りだった。
このままでは余計なトラブルが発生するかもしれないと、なんとか彼を生徒会室に連れて来た私は、部屋に着くや否や涙の理由を洗いざらい白状させられたのだった。
「サラの心優しい性格は、尊敬しているよ。けれども、これはダグラス君とレイチェルの問題だ。部外者が口を挟むような内容ではないと思うよ」
エルヴィス様にそう言われて、私は返す言葉もない。
確かにその通り。
レイチェル様に頼まれたわけでもなく、私が勝手に動いているだけなのだ。
「エルヴィス様のおっしゃる通りです。けれども、レイチェル様が他の男性に心変わりするだろうと思われていること自体が悔しくて」
レイチェル様はそんなお方じゃないのに、と続ける私に、エルヴィス様は同情的な視線を向ける。
「それは私も同じ気持ちだよ。レイチェルは伴侶となる者を簡単に裏切るような人間ではない」
そう、この世界では“不貞=裏切り”だと考えられている。
『カガヒメ』のエンディングがあんなだから、てっきり黙認された行為なのかと思いきや、不貞をした人間に対する周りの目は厳しい。
一夫多妻が認められているのは、血筋を絶やすことができない国王だけなのだ。
すると、エルヴィス様がふと不思議そうな顔をした。
「それにしても、ダグラス君はどうしてそんなことを言い出したのだろう? モーガン侯爵夫妻といえば、仲が良いことで有名だ。政略結婚から愛を育んだ良い例が身近にいるにもかかわらず、なぜ?」
確かに、モーガン侯爵家の仲が良いことは、レイチェル様からも聞いている。
「何か、彼が不安に思うようになる出来事があったのでしょうか?」
そう問いかけてはみたものの、エルヴィス様が知っているわけがない。
これに関しては、いくらこの場で考えてみたって答えなど出るはずもないのだ。
もう一度彼と話をしてみようかと考えているその時、パーテーションの向こう側でかたりと小さな音がした。
「…ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなかったのよ」
そこには、青白い顔のレイチェル様が立っていた。
「声を掛けるタイミングを見失ってしまって。でも、そうなのね。彼は私の心変わりを疑っているのね」
先程までの会話がレイチェル様の耳に入ってしまっていたことに、今度は私の血の気が引くのを感じる。
とにかく、まずは謝らないと。
「レイチェル様、申し訳ありません。お二人の婚約とは無関係な私が、勝手なことを致しました」
ダグラス・モーガンとレイチェル様の仲が改善するための糸口が掴めればと思って会いに行ったものの、むしろ私が引っ掻き回してしまった可能性まであるのだ。
「大丈夫よ、わかっているから。私のためにありがとうね」
レイチェル様はそう言って微笑むけれど、顔色は依然として悪いままだ。
そんなレイチェル様を気遣うような表情を浮かべながらも、エルヴィス様が口を開いた。
「レイチェル、この際だから聞いておこう。何か、ダグラス君に心変わりを疑われるような出来事に心当たりはあるかい?」
その言葉を聞いて、私は思わずエルヴィス様を睨みつけてしまった。
レイチェル様はそんな人間じゃないって、ついさっき言っていたくせに!
私の不満がエルヴィス様に伝わったのだろう。
「一応ね。レイチェルにその気がなくとも、そう見えてしまった可能性だってあるのだから」
エルヴィス様は眉を下げながらそう言った。
しかしレイチェル様は、その問いかけをきっぱりと否定した。
「いいえ、全く。そもそも、普段会話をする男性もエルヴィス殿下くらいですもの」
確かに、レイチェル様が他の男性と会話をする姿は見たことがない。
おそらく“高嶺の花”的な扱いを受けているのだろう。
「モーガン侯爵夫妻が、実は不仲であったりは?」
「それもありえません。モーガン侯爵家には、幼い頃から定期的に足を運んでおります。いくらお二人が心の内を隠すのがお上手だといえども、さすがに隠し通すのは難しいかと」
やはり、なぜダグラス・モーガンがあのように考えるようになったのか、その理由に全く見当がつかない。
こればかりは、本人に聞かなければわからないのだろう。
「ダグラス君は授業にも出ていないと聞いている。彼の今の態度が、次期宰相として相応しくないと考えている者もいるからね。もしもレイチェルが望むのであれば、反抗的な態度をとる理由については私から聞くこともできるよ」
エルヴィス様も同じように思ったようで、レイチェル様にそう提案をした。
けれども、レイチェル様は首を横に振った。
「私が直接お話しします。婚約者ですから」
そう言って微笑む彼女は美しく、そして強かった。
「今週末にモーガン侯爵邸にお呼ばれしていますから、その際に時間をとっていただけるようお願いいたしますわ」
「ところで」と言って、レイチェル様が私に視線を移した時だった。
生徒会室の扉がノックされる音が響いた。
「どうぞ」
エルヴィス様のその声に反応して、扉がゆっくりと開けられる。
「…レイチェルに話があるんだ」
そこには、バツの悪そうな表情を浮かべるダグラス・モーガンが立っていた。