次期宰相:ダグラス・モーガン②
レイチェル様の話を聞いた翌日、私は一限目の授業を欠席してある場所に向かった。
乙女ゲームにおいて、サボりの不良がいる場所は、人気のない中庭か屋上と決まっている。
この学園の屋上は落下事故防止のため常時施錠されているので、おそらく彼は中庭にいるのだろう。
そう思って来たところ、私の読み通り、中庭の隅に置かれたベンチに探していた人物を見つける。
顔を右腕で覆いながら仰向けに寝転んでいるその人物は、顔は見えないものの間違いなく私の知る【次期侯爵:ダグラス・モーガン】だ。
特徴的なシルバーブロンドの髪が、太陽に照らされて輝いている。
驚かせることが目的ではないので、わざと足音を立てながら彼に近づく。
しかし、彼はぴくりとも動かない。
相手になんの反応もないまま、とうとうベンチのすぐそばにまで辿り着いてしまったので、意を決して口を開く。
「あの」
「…なんだよ」
ある程度予想はしていたものの、彼の口調は荒々しい。
貴族女性であれば、その返事を聞いただけでこの場を立ち去る者もいるだろう。
けれども、彼の口調はなぜだか私を懐かしい気持ちにさせた。
前世でのクラスメイトの喋り方に近かったからかもしれない。
少なくとも、彼に対して「恐ろしい」などといった気持ちは湧かなかった。
「はじめまして、私サラ・ベネットと申します」
そう言うと彼は僅かに目を見開いた後、口の端を少しだけ上げた。
「ああ、エルヴィス殿下の」
そう言う彼の声色からは、入学初日にクラスの生徒達から感じたような“嫌な感じ”が滲み出ていた。
本当ならば「どういうことか」と問いただしたい。
私は私であって、“エルヴィス様の”などと言われる覚えはない。
けれども、私には別の目的がある。
口から出かかった言葉を呑み込み、なるべく穏やかな微笑みを浮かべることに注力する。
「モーガン侯爵家御令息のダグラス様ですよね?」
全く自己紹介をしようとしない彼に、私からそう問いかける。
「レイチェル様のご婚約者でいらっしゃるとか」
その言葉を聞いた途端、彼は見るからに機嫌を悪くした。
「そうだけど何? あいつになんて聞いたんだ?」
“あいつ”!?
この男がレイチェル様に対して、攻撃的な態度をとるようになったとは聞いていた。
けれども、まさかここまでだとは思いもよらなかった。
「レイチェル様から何かを言われたわけではありません。私が、自分の意思であなたに会いに来たのです」
そう言う私の声は、怒りで震えていた。
しかし、ダグラス・モーガンは何をどう勘違いをしたのだろうか。
「ふん、どうだか。どっちにしろ、そんなに怯えてたんじゃ話にならないだろ。そもそも、こっちはあんたと話すことなんてないんだ」
彼はそう言うと、先程と同じような姿勢でベンチに寝転んだ。
「あんた、あいつの知り合いなんだろ? 俺が“しつこい"って言ってたって、あいつに伝えといてくれよ」
その言葉を聞いて、私の中で何かが切れる音がした。
「お互いを尊重し合える関係でありたい」と言っていたレイチェル様の気持ちが、こんな形で踏み躙られるなんて。
「…自分で伝えればいいではないですか」
「あ?」
もちろん、ダグラス・モーガンがレイチェル様に対してそんなことを言えば、私は怒り狂う自信がある。
けれども、彼にはそれだけの度胸はないのだろう。
こんな態度をとりながらも、形式的なものとはいえレイチェル様と手紙のやりとりを続けているのだから。
「レイチェル様の何が不満なのか知りませんけれど、それほどまでに彼女を邪険に扱うのであれば、婚約解消を提案なさればどうでしょう?」
レイチェル様は侯爵家の御令嬢。
婚約が解消されたとなると不利益を被ることにはなるだろうが、こんな男に添い遂げることが彼女の幸せに繋がるとも思えない。
「この婚約は政治的な力関係も加味して結ばれたものだ。国王陛下の許可もいただいているのに、そんなことが簡単にできるわけがないだろう」
ダグラス・モーガンのその言葉に、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
したくせに。
『カガヒメ』の中の【次期侯爵:ダグラス・モーガン】は、【ヒロイン:サラ・ベネット】を好きになったからといって、あっさり婚約を破棄したくせに。
目の前の男は、『カガヒメ』で婚約者を捨てたあの男と、全くの同一人物ではないと、心の中で何度もそう唱える。
でなければ、今すぐにでも殴りかかってしまいそうだ。
しかしそう唱えたとて、この男が婚約者以外の人間を好きになる可能性を秘めていることを、私は知ってしまっている。
「政治的な理由からできないと言うのであれば、別にパートナーを持つことを提案してみるとか」
この言葉は、彼に対するちょっとした挑発だった。
あなたがレイチェル様を雑に扱うならば、あなたも雑に扱われるだけの覚悟を持ちなさいと、そう言うつもりだった。
しかしその言葉を聞いて、ダグラス・モーガンは自嘲気味に笑った。
「わざわざそんな提案しなくたって、そのうちあいつも他の男に目が行くようになるさ」
…は?
「あなた、馬鹿なの?」
怒りに任せて思わずそう言ってしまい、私は慌てて自身の口元を押さえる。
今までも不敬な会話をしていた自覚はある。
けれども、侯爵家の御令息に対する言葉として、さすがにこれはまずいだろう。
目をつけられてしまうと、後々面倒なことになるかもしれない。
訂正しなければならないと、急いで口を開く。
「失礼、あなたはお馬鹿でいらっしゃるのですか?」
…丁寧に言い直したものの、なんら改善していない。
なんなら、むしろ煽っているかのようで、悪化している。
当然ながら、私の言葉を聞いたダグラス・モーガンは、全身から不機嫌オーラを放っている。
だが、言ってしまった言葉は取り消せないし、私にも譲れないことがある。
「あなた、今までレイチェル様の何を見て来たの?」
そう言った私の言葉は、彼に対する敵意を存分に含んだものだった。
「たとえあなたがそうだったとしても、レイチェル様はそんな方じゃないわ。自身の役割を精一杯果たそうとされる方なのよ。あなたのように、不誠実なことはなさらない」
たった数ヶ月の付き合いしかない私ですら、それくらいのことはわかる。
なのに、どうして婚約者であるこの男が、レイチェル様のことを理解していないのか。
悔しくて悔しくて、涙が次々に溢れ出す。
なんでこんな奴が、レイチェル様の婚約者なの。
なんでレイチェル様が、こんな奴のために心を痛めなくてはならないの。
突然目の前で女性に大泣きされることなど、おそらく経験がなかったのであろう。
私の涙を見て、ダグラス・モーガンがは途端におろおろとしだす。
けれども、視線を彷徨わせていた彼が、ある一点を見た途端にぴしりと固まった。
「やあ、ダグラス君。一体これはどういうことかな?」
彼の視線の先には、自身の怒りを隠そうともしないエルヴィス様が立っていた。
これは、非常にまずい。
なぜエルヴィス様がここに、とか、生徒会長が授業をサボっていいのか、とか、疑問に思うべきところはたくさんある。
けれどその時の私は、いかにしてこの場を切り抜けようかと考えるのに必死だった。