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次期宰相:ダグラス・モーガン①

【次期宰相:ダグラス・モーガン】。

“宰相”とは、国王の補佐として実際に政治を動かす最高責任者であると、ついこの間の授業で説明されていた。

前世で言うところの“総理大臣”的立ち位置なのだろう。


この世界では世襲制をとっており、宰相職は代々モーガン侯爵家が担っているという。

つまり、レイチェル様の婚約者であるダグラス・モーガンは、モーガン侯爵家の嫡男だということ。

未来の宰相の妻…さすがはレイチェル様だ。


しかし、感心している場合ではない。

目の前にいるレイチェル様は真剣に悩んでいるのだ。

こんなに素晴らしいレイチェル様に婚約解消を言い渡した『カガヒメ』の【次期宰相:ダグラス・モーガン】だけでなく、現時点で彼女を思い悩ませているダグラス・モーガンに、私はふつふつと怒りが湧き上がる。


そしてふと、私はあることに思い至る。

「レイチェル様のご婚約者…モーガン侯爵令息は、本当に私と同じクラスなのですか?」


いわゆる“不良キャラ”だった彼は、『カガヒメ』の攻略対象者の中でも特に人気があったらしく、各種グッズやポスターでも大きく描かれていることが多かった。

そういった理由もあって、名前こそ覚えていなかったものの、彼の容姿についてはかなりはっきりと頭に思い浮かぶ。

けれども私は、教室内でダグラス・モーガンを見かけたことは一度もない。


私のその問いに、レイチェル様が困ったように微笑む。

「先生方によると、入学後一度もクラスに顔を出していないそうなの」

…言われてみると、窓側の一番後ろの席がいつも空いていたような気がする。

なるほど、つまりサボりか。


「それは、侯爵家の嫡男として大丈夫なのですか?」

私達が通う学園は、二つの役割を有している。

一つは、当然ながら“学びの場”を提供すること。

そしてもう一つは、“社交の場”を提供すること。


侯爵家の子息であれば、学園に通わずとも質の高い教育を受けることはできるだろう。

なので、彼らにとって大切なのは二つ目。

将来のために人脈を広げることが、上位貴族にとっては重要であるはず。

宰相という、公にできない仕事も担うような場合は特に。


私の問いかけに、レイチェル様は力なく首を横に振る。

「彼のご両親も、その点をとても心配しておられるの。けれども、ダグラス様は家でも自室に閉じ籠もり、ご家族とすら会うのを避けていらっしゃるそうよ」

きゅっと結ばれたレイチェル様の唇は、小刻みに震えていた。


こんなことになるのなら、『カガヒメ』をやり込んでおけばよかった。

もちろん、そうであってもレイチェル様の悩みを容易に解決できただろうとは思っていない。

けれども、解決の糸口くらいは見つかったかもしれない。


黙り込んでしまった私を見て、レイチェル様が不自然なほどに明るい声を出す。

「ごめんなさいね。こんなことを言われたって、サラも困ってしまうわよね」

そう言って侍女を呼び戻そうとするレイチェル様を、私は慌てて制する。


「待ってください、レイチェル様。確かに、私に解決できるような簡単な問題ではないかもしれません。けれども、どうか話の続きを聞かせてください」

まさかそのように言われるとは思っていなかったのか、レイチェル様の表情が固まる。

「吐き出すだけでも楽になるかもしれませんよ?」

私のその言葉に促されて、再びソファーに腰かけたレイチェル様が、ぽつりぽつりと語り出した。


「私とダグラス様の縁談は、元は政治的な理由で結ばれたものよ。けれども、手紙のやりとりやお茶会を通して少しずつ関係を築いてきたの」

この世界の貴族社会で、恋愛結婚はかなり珍しいものらしい。

上位貴族であればあるほど、政治的な派閥や勢力を考慮して縁談が結ばれるという。


「始まりがどうであれ、縁あって夫婦になるのですもの。お互いを尊重し合える関係でありたいと、今でもそう思っているわ」

そう言って微笑むレイチェル様は、眩しいくらいに美しい。


「幸いなことに、あちらのご家族もみなさまとても仲が良くて、そして私にも良くしてくださって。きっと彼となら良い家庭を築いていけると、そう信じていたわ」

暗い空気にしないようにという、レイチェル様の心配りなのだろう。

強く、はきはきとした口調で話が続けられる。

そんな中で、“信じていた”と過去形で語るレイチェル様の表情が一瞬曇ったのを、私は見逃さなかった。


「けれども、ニ年程前から急に彼の様子が変わったの。攻撃的になられたし、私とのやりとりも形式的なものになってしまって」

そこで言葉を切ったレイチェル様の瞳は、薄く涙の膜で覆われていた。


そんな彼女を目にして、私は思わず席を立つ。

レイチェル様の隣に腰掛けて彼女の両手を包み込むと、硬く握りしめられたその手から、僅かに強張りが取れるのを感じた。


「何か、心当たりのようなものはあるのですか?」

ある時点を境にして明確に様子が変わったというのであれば、何かしらの理由がある可能性が高い。

いくらレイチェル様を敬愛しているからといって、彼女の話だけを聞いてダグラス・モーガンを一方的に悪者にするわけにもいかない。

今のところ、私は99.99%レイチェル様の味方だけれども。


「それが、わからないの。全く見当もつかないのよ」

そう言うレイチェル様の瞳からは、今にも涙が零れ落ちそうだ。

「ダグラス様にも、何度もお尋ねしたわ。けれども何も教えてくださらない。理由がわからなければ、改善することすらできないというのに」


レイチェル様のその沈痛な面持ちが、私の怒りを再燃させる。

どんな理由からダグラス・モーガンがレイチェル様への態度を変えたのかはわからない。

けれども、レイチェル様は彼との関係改善に向けて動いている。

そんな彼女の気持ちを蔑ろにするとは、一体どういうつもりなのか。


そう考える私の隣で、とうとうレイチェル様がぽろりと大粒の涙を零した。

その涙はまるで真珠のようで、はらはらと涙を流すレイチェル様は絵画のように美しい。

美しいからこそ、彼女の姿はますます悲痛なものに感じられる。


“非の打ち所がない淑女”と名高いレイチェル様が、人前で涙を見せるなんて。

それほどまでに、彼女が追い詰められているなんて。


…ダグラス・モーガンに会いに行こう。

レイチェル様の背中をさすりながら、私はそう心に決めたのだった。

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