学園教師:クリス・ローレンス①
「クリス先生? ああ、クリス・ローレンス博士か」
王立学園に入学してから初めての週末、エルヴィス様との定例お茶会の場で、私はさっそくクリス先生について聞いてみた。
「彼はローレンス伯爵家の次男で、土木工学者だよ」
この国の王立学園は、王族も通うような学園だ。
教師も、その道のエリートと目されている人物が担当している。
「最年少で博士号を取得した天才と言われていたのだけれど、近頃は目立った功績を残していないようだね。そもそも、土木工学者としても最低限の活動しか行っていないらしい」
エルヴィス様の言葉に、妙に納得してしまう。
失礼を承知で言うと、クリス先生の姿は“天才”や“エリート”といった言葉が似合うようには思えない。
なぜか妙に自信がなさげで、顔色もいつも悪いように見える。
とは言え、人を見かけだけで判断することはできない。
「クリス先生は、内気で謙虚な方なのでしょうか?」
私がそうエルヴィス様に問うと、彼は静かに首を振った。
「数年前に会った時は、どちらかと言うと自信家でやる気に満ち溢れた人物に感じたよ」
エルヴィス様はそう言うと、一度躊躇うように言葉を切った。
「どうかなさいましたか?」
「いや、彼の変化の原因はおおよそ見当がついているんだ」
エルヴィス様は困ったような笑顔で続ける。
「二年前の崖崩れが発生したあの道路は、ローレンス博士が調査と設計を行ったものなんだ」
エルヴィス様の言葉を聞いて、前世の記憶が蘇る。
『私の過ちによって、この国の第一王子は命を落とされたのです。私は、大罪人として非難されて当然の人間なのです』
そう言っていた【学園教師:クリス・ローレンス】は、確かに周囲の人間からそういった扱いを受けていたはずだ。
あまりの衝撃に、上手く酸素が取り込めない。
震える拳を握りしめて、私はエルヴィス様に問いかける。
「その一件で、クリス先生には何かしらの処分が…?」
運良く怪我人が出なかったとはいえ、この世界においてもクリス先生が罰せられた可能性は十分にあるのだ。
「いや、あの事故において、ローレンス博士の過失はほとんど認められなかったんだ」
エルヴィス様は私の手をそっと握りながら言葉を続ける。
「事故の原因は、土木構造物の設計の際に用いられる計算方法に不備があったことなんだ。あの事故以前に作られた土木構造物は、全てその計算を用いて作られたものだから、その後早急に対処されたと聞いている。死者が出る前に判明して本当によかったよ」
手から伝わるエルヴィス様の体温に、私は心が落ち着くのを感じる。
「では、クリス先生を非難する人物は多くないということですか?」
ゲームの内容とは異なりますようにと、私は希望を込めてそう尋ねる。
「私の知る限りではいないかな。死者や怪我人が出なかったおかげでもあるんだろうけどね」
エルヴィス様の返答に、私は胸を撫で下ろす。
少なくとも、『カガヒメ』の【学園教師:クリス・ローレンス】に比べて、この世界のクリス先生の状況は悪くなさそうだ。
現役教師と生徒の恋愛には嫌悪感を抱くけれども、今のクリス先生が嫌いなわけではなく、彼にも穏やかに過ごしていてほしいと思っている。
しかしそうだとすると、一つの疑問が残る。
「では、どうしてクリス先生はそれほどまでに気に病んでいらっしゃるのでしょうか?」
エルヴィス様の言う通りであるのなら、クリス先生が自身の研究に身が入らないほどに思い悩む必要はないはずだ。
「そこがよくわからない。ローレンス博士が必要以上に責任を感じて、自分自身を追い込んでいるように思うのだけれど、一体なぜそこまで思い詰めているのか」
エルヴィス様も私と同様に思っているようで、そう言いながら眉間に皺を寄せた。
「でもまあ、彼自身に話を聞いたわけではない。全て私を含む周囲の憶測でしかないからね。ひょっとすると、他のところに原因があるのかもしれない」
エルヴィス様は肩をすくめてそう言うと、すっかり冷めてしまっている紅茶に口を付けた。
ここからは切り替えて他愛もない話を、と思った時だった。
「それにしても、どうして他の男のことなんて聞いてくるんだい?」
エルヴィス様の声に身体が硬直してしまう。
エルヴィス様は冗談めかしてそう問うているけれど、目は全く笑っていないので、おそらくこれは本音だ。
ここで答えを間違えてしまうと困ったことになりそうだと、私の本能が警鐘を鳴らす。
「私のクラスの担任がクリス先生なのですが、他の先生方とは雰囲気が違うように感じたので」
これについては嘘ではない。
基本的にはその道のエリートばかりが集められた教師軍団なので、彼らは常に堂々とした振る舞いをしている。
そんな中で、オドオドとした様子のクリス先生はかなり目立つ。
しかしエルヴィス様は、私の言葉に目を細める。
「ふうん。つまりサラにとって、クリス先生は“特別”に見えるということ?」
エルヴィス様の笑みが深まる様子に、私は底知れぬ恐ろしさを感じる。
「特別だとは思っておりません。特殊だなと思っているだけです」
なるべく平常心を装ってそう言ってみたものの、胸の鼓動が早くなっていることに気がついて、さらに焦りが増してしまう。
むしろ教師と生徒の禁断の恋には断固反対の立場であると叫べれば、どれほど楽だろうか。
しかしエルヴィス様は途端に自身の右手で顔を覆って視線を逸らした。
耳が真っ赤になっているので、私が何か気に障ることを言ってしまったのかもしれない。
「エルヴィス様、どうかなさいましたか?」
私がそう問いかけると、エルヴィス様は肩をピクリと震わせた。
「いいや、申し訳ない。あまりに子供じみたことを言ってしまったね」
聞き取るのがやっとというほどの小声に、私は胸がときめく。
嫉妬した自分に照れてる第一王子、可愛い。
「好きな女性から他の男の話を聞くのって、こんなに面白くないものなんだね」
そう言って顔を上げたエルヴィス様は、普段と変わらぬエルヴィス様だった。
すぐに平常心を取り戻せる王族スキルが羨ましい。
そしてふと、私はあることを思い出す。
「そう言えば、入学式の日にハロルド王太子殿下の婚約者でいらっしゃるアイリーン様に声を掛けていただきました」
何気ない雑談のつもりで発した言葉に、エルヴィス様が眉を顰める。
「アイリーン嬢に? 何か言われた?」
「いいえ、ご挨拶しただけです。…彼女が何か?」
エルヴィス様に深刻そうな顔でそう問いかけられて、胸がざわつく。
そんな私を見て、エルヴィス様は目元を和らげた。
「サラが気にすることはないよ。けれども、もし今後彼女に誘われることがあったなら、私も同席させてほしいかな」
エルヴィス様の濁したような物言いに、私はますます不安が膨らむのを感じた。
お読みくださっているみなさま、ありがとうございます。
あらすじ欄に「全30話程度」と記載しておりましたが、少し長くなりそうなので「全40話程度」を目安に書き進めようと思います。
引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。




