女子会への招待①
夜会から一ヵ月。
レイチェル様の口添えもあって、クラーク侯爵と会う場を設けてもらうことができた。
「こちらも慈善事業でやっているわけではない。その本を出版することで、来場者が減るというのでは困るのだよ」
最初にお願いを伝えた際、クラーク侯爵はそう言って渋い顔をした。
自分よりも格段に身分の高い大人の男性からのその言葉に、私は早くも怯みそうになる。
しかし、快諾はされないだろうということくらいわかっていた。
この日のために考えてきた“書籍化によるクラーク侯爵の利点”を、私は頭の中で整理する。
なぜか当然のように私と横並びで腰かけているエルヴィス様の存在が、これほどまでに心強く感じるだなんて。
私は細く息を吐き、クラーク侯爵の目を正面から見据える。
「もちろん、それは十分に理解しております。しかし、観客は“話の内容が知りたい”と思って劇場に足を運んでいるのでしょうか?」
「どういうことかな?」
侯爵の言葉に促され、私は話を続ける。
「話の内容を知りたいだけであれば、一度観劇した人間が同じ演目に足を運ぶことはないでしょう。ですが、クラーク領の劇場の来場者は多くがリピーターであると伺っております」
私がそう言うと、侯爵の眉が僅かに動いた。
「来場者の心を惹きつけているのは、役者の演技やオーケストラの演奏、さらには劇場という非日常な空間そのものなのではないかと、私は考えているのです」
前世の私も、一度だけ劇場でミュージカルを観たことがあるが、それは原作を本で読んだり劇のDVDを病床で見たりするのとは、まったくの別物だった。
「演目のストーリーを本に書き起こす許可をいただき、それを庶民に“新たな娯楽”として提供するのが、私の目的です。書籍化することによって利益が生まれるのであれば、それには一切関与いたしません」
今の私が望んでいるのは、金銭的な収益や名声なんかじゃない。
バラエティに富んだ質の良い娯楽本なのだ。
しかしこの娯楽本が利益を生み出す可能性も十分にあると、私は考えている。
観劇に来る人のほとんどは金銭的に余裕のある人物だ。
前世にはパンフレットというものがあったし、高価であっても美しい装丁の本を求める人は一定数いるのではないだろうか。
何度も観劇するような、熱心なファンが多いのであれば尚更だ。
おそらくクラーク侯爵も、同じように考えたのだろう。
彼は顎に右手を当てて数秒考える素振りを見せた後、「試作品を見た後で、前向きに検討してみよう」と口にした。
その言葉を聞いて、私は思わず横に座るエルヴィス様に目を向けた。
興奮のあまり、自分の頬が高揚しているのを感じる。
そんな私を、エルヴィス様は目を細めて眩しそうに見ていた。
「クラーク侯爵、ありがとうございます」
そう言って頭を下げる私に、侯爵は微笑ましげな目を向ける。
「レイチェルからも聞いていたが、君が作っているという“娯楽のための本”には私も興味があるからね。試作品が完成したら、真っ先に見せてもらいたいものだ」
そう言う侯爵の声は、父親のような優しさを含んでいた。
「近いうちに脚本家を紹介しよう」と私に告げたクラーク侯爵は、次に思い出したようにエルヴィス様に視線を向ける。
「ところで、エルヴィス殿下は何をしにいらしたのかな?」
エルヴィス様の存在には勇気をもらったものの、それについては私も疑問だったので、クラーク侯爵の言葉に思わず頷いてしまう。
「私はサラの付き添いですよ」
なんでもないことのようにそう言うエルヴィス殿下に、クラーク侯爵は呆れたような溜息をこぼした。
「何事にも関心を寄せなかったエルヴィス殿下が、ここまでご執心なさるとは」
侯爵のその言葉を聞いて、私はただただ黙り込むしかなかった。
「席を外すがゆっくりしていってほしい」とクラーク侯爵に言われてすぐに、誰かが部屋をノックする音が響いた。
「二人とも、温室でお茶でもいかがかしら? サラ様にお話ししたいことがあるの」
クラーク侯爵と入れ替わるように客間に入って来たレイチェル様からそう誘われて、私は顔が綻ぶのを感じる。
「もちろんです。レイチェル様からのお誘い、とても嬉しいです」
私のその言葉に、エルヴィス様が少しムッとしたのを感じる。
レイチェル様に対して私が憧れを抱いていることを、エルヴィス様はあまり快く思っていないみたいだ。
まあ、だからといって彼に遠慮するつもりもないけれど。
レイチェル様に案内された温室には、ティーセットと様々なお菓子が並んでいた。
三段重ねになったケーキプレートには、サンドイッチやケーキ、焼き菓子が盛り付けられており、見ているだけでワクワクする。
「我が家のシェフはとても腕が良いのよ?」
そう言って悪戯っぽく笑うレイチェル様を見て、その美しさと可愛さに同性である私ですら胸がときめく。
夢のような空間に現実味が湧かず、ぼんやりとしている私を、レイチェル様の声が現実へと引き戻す。
「もしよければ、私も“サラ”と呼んでもいいかしら」
レイチェル様は私の横を陣取るエルヴィス様に、可笑しそうな視線を送りつつそう言った。
「ちょっ「もちろんです!」
エルヴィス様の声が聞こえた気もするけれど、それどころではない。
侯爵令嬢を友達と呼ぶのはおこがましいけれども、今までよりも距離が縮まった気がしてとても嬉しい。
「ありがとう」
そう言って微笑むレイチェル様が可憐すぎて、私はいよいよ目眩までしてきた。
「ところでサラ、実はあなたにこれを渡したいと思っていたの」
レイチェル様はそう言うと、私に一通の封筒を手渡した。
「招待状よ。今度うちでお茶会を開催しようと思っているの。私が仲良くしているご令嬢を数名お招きしているのだけれど、ぜひサラにも来てほしいわ」
レイチェル様にそう言われて「ぜひ!」と即答しそうになるが、ぐっと言葉を飲み込む。
「失礼ですが、他にはどういった方をお招きされているのですか?」
そう、親しくしてくれてはいるけれど、レイチェル様は侯爵令嬢。
ご友人もそれ相応に高い身分の方々なのであろう。
「侯爵家の方と、伯爵家の方よ。みなさま私やエルヴィス殿下の幼馴染で、穏やかな方ばかりだから心配する必要はないわ」
「やっぱり」と思う一方で、私は思わず別の点に食い付いてしまう。
「エルヴィス様とレイチェル様は、幼馴染でいらっしゃるのですね」
二人のやり取りから仲が良いのだろうとは思っていたけれど、幼馴染だったのか。
「そうなの。でもね、私は幼い頃からお人形のような表情で生きているエルヴィス殿下しか知らなかったの。だから、あなたと出会ってこれほど生き生きしている殿下を見ていると、幼馴染としてとても嬉しい気持ちになるのよ」
レイチェル様のその言葉に、私は目が潤んでしまう。
周囲の人間がエルヴィス様の幸せを願っていることを知らずに、彼が死んでしまわなくて本当によかった。
「サラ、泣かないで? 私の友人も同じように思っているはずだから、ぜひあなたにもお茶会に出席してほしいの」
レイチェル様に目元をそっと拭われながらそう言われて、断るという選択肢などあるだろうか。
「ありがとうございます。ぜひ参加させていただきます」
私のその言葉を聞いて、レイチェル様が目元を和らげた時だった。
「ところで」
急に横から声を掛けられて、驚きのあまり身体がびくりと跳ねてしまう。
エルヴィス様の存在を、すっかり忘れてしまっていた。
エルヴィス様は私のそんな反応など気にも止めずに、レイチェル様に視線を向ける。
「そのお茶会には私も参加していいのかな?」
「そんなわけないでしょう。少しはわきまえてくださいませ?」
エルヴィス様からの質問に即答するレイチェル様は、微笑んでいるにもかかわらず、少し恐ろしくも感じられた。