初めての夜会②
結論から言おう。
私の家庭教師は、なんと王妃殿下だった。
ドレスの打ち合わせをした翌日に王城に呼ばれていた私が、その事実を知ってどれほど驚いたことか。
そして、夜会の出席を安易に引き受けたことを、どれほど後悔したことか。
「エルヴィスから話は聞いております。息子の命を救ってくださったこと、本当に感謝しております」
王妃殿下は頭も下げそうな様子でそう言うので、いっそ気絶してしまいたいと思ったほどだ。
父によると、王妃殿下とエルヴィス様に血の繋がりはないそうだ。
それが原因で、エルヴィス様とハロルド殿下のどちらを王太子にするか、貴族の間でも意見が割れていたという。
その話を聞いて以来、ひょっとすると王妃殿下はエルヴィス様を良くは思っていないかもしれないと邪推していたが、どうやらそんなことはなさそうで安心する。
しかし、やはりここでも私は過大評価されている。
「もったいないお言葉でございます。エルヴィス王子殿下からどのようにお聞きになっているかは存じあげませんが、殿下がベネット領に留まられる理由となったのが私が発案した施設だったというだけで、私が直接何かをしたわけではございません」
いつかは言わねばと思っていたことがようやく伝えられたことに、胸を撫で下ろす。
それもこれも、エルヴィス様との月一お茶会のおかげで“王族の圧”のようなものに耐性が付いたからだろう。
王妃殿下は私のその言葉を聞くと、ふふっと笑った。
その笑い方が、血の繋がっていないエルヴィス様の笑い方とよく似ていて、自分の身体のこわばりがほぐれるのを感じた。
「それも聞いていますよ。けれども、あなたは確かにあの子を救ってくれたのです」
依然として誤解が解けていないような気もするけれど、これ以上王妃殿下の発言を訂正するだけの度胸は私にはないので、黙って頭を下げるにとどめることにする。
「さて、今日は夜会のためのレッスンに来たのですよね。短い時間で申し訳ないのですが、きっと役に立てると思います」
それはそうだろう。
“王妃から直々に教育を施された”ということ自体が、一つのステータスになるのだから。
しかし、だからこそ真剣に取り組まなくては。
王妃殿下から指導を受けたにもかかわらず、私が失態を犯してしまったら。
私や両親だけでなく、王妃殿下の顔に泥を塗ることになるかもしれない。
そんな思いもあって、レッスン中は王妃殿下の言葉を一言一句聞き逃してなるものかと、必死に食らいついた。
遠慮するのは逆に失礼だと思ったので、質問もたくさんした。
あまりに没頭していたので、そんな私を王妃殿下がまるで母親のような瞳で見つめていることには気がつけなかった。
夜会当日。
すれ違う人全員が、エルヴィス様から借りたネックレスを見ているような気がする。
外見こそ美少女な私だけれど、内からにじみ出る気品というものが足りていないのだろう。
煌びやかな宝石の方に目が行くのは当然だ。
エルヴィス様は当初「私にエスコートさせてほしい」と言っていた。
しかし、それがどれほど波紋を呼ぶ行動かということくらい、貴族社会に疎い私ですら想像がつく。
彼の申し出は丁重に断り、今私は一人だ。
エルヴィス様が言っていた通り、本当に気軽な夜会なのだろう。
皆くつろいだ様子で、ただただ楽しそうに他者と会話を交わしている。
けれども社交性のない私には、すでに出来上がっているグループに入り込むことなど到底不可能だ。
さて、どうしたものか。
上位貴族に知り合いなどいるわけもなく、私はひたすら壁の花に徹する。
なぜエルヴィス様は、私をこの夜会に参加させたのやら。
そう思いながらノンアルコールカクテルを傾けている時だった。
「サラ! よかった、ここにいたんだね」
エルヴィス様がそう言いながら、大股でこちらに近づいてくるのが目に入った。
さすが上位貴族の子息令嬢ばかりとあって、不躾な視線を送る者はいないものの、皆がこちらを意識しているのはピリピリと感じる。
「ドレスもネックレスも、とてもよく似合っているよ」
エルヴィス様が蕩けるような表情でそう言うので、私は顔に熱が集まるのを感じる。
彼のあまりの色気に、私の後方にいた人々が一斉に息を呑んだほどだ。
「エルヴィス王子殿下、本日はお招きいただきありがとうございます」
このような状況で気軽に「エルヴィス様」と呼びかけることなどできない。
エルヴィス様がほんの一瞬不機嫌そうな表情をしたのは、気づかなかったことにしよう。
するとエルヴィス様は軽く笑って、私の髪に口づけを落とした。
これにはさすがに周囲が微かに騒めいた。
なんてことをしてくれるんだ、この人は。
しかしエルヴィス様は何事もなかったかのように、そのまま言葉を続ける。
「実はね、君に会わせたい人がいるんだ」
そう言うと、すぐ後ろにいる女性を手で示す。
「クラーク侯爵家のレイチェル嬢だよ」
「レイチェル・クラークと申します。レイチェルとお呼びください」
美しい笑みを湛えてそう名乗るレイチェル様に、私は思わず見惚れてしまう。
すらりとした長身に、滑らかな肌。
切れ長の目をした彼女は、まさに“クールビューティー”という言葉がぴったりだ。
「お初にお目にかかります、レイチェル様。私、サラ・ベネットと申します。どうかサラとお呼びください」
そう言って腰を折るけれど、頭の中は疑問でいっぱいだ。
どうしてエルヴィス様は、侯爵家のご令嬢と私を引き合わせたのだろうか。
そんな私の心を読み取ったかのように、エルヴィス様が口を開く。
「クラーク侯爵家は劇場を所有しているんだ。以前歌劇作品の権利関係について、サラが聞いてきたことがあるでしょ? 直接話をするのが一番だと思ってね」
そう言われて、私は胸が温かくなるのを感じる。
いつかのお茶会で私がぽろりと溢した内容を、エルヴィス様は覚えていてくれたのか。
エルヴィス様が作ってくれたこの機会、無駄にはしたくない。
「お言葉に甘えまして、レイチェル様にお聞きいただきたいことがございます」
できるだけ簡潔に失礼のないように、けれども熱意は伝わるように、慎重に言葉を選ぶ。
「現在我が領では“娯楽のための本”を作っております。その一環として、なかなか歌劇に行くことができない領民のために、歌劇作品を書き起こした本を作りたいと考えております」
握りしめた拳が緊張で震えているのを感じるが、レイチェル様の目を見つめて言葉を続ける。
「しかし、どなたに許可を取れば良いのかもわからない状況でして。お力をお貸しいただくことはできますでしょうか?」
最後まできちんと伝えられたことに安堵し、思わず息が漏れてしまう。
そんな私に対して、レイチェル様は少し考えるような仕草をした後、柔らかく微笑んだ。
「でしたら、父に伝えておきますね。可能であれば、サラ様から父宛にもお手紙をいただけると、よりスムーズに話が進むかと思います」
レイチェル様にそう言われて、私は目を見開く。
自分の希望が叶う可能性が僅かにでも見えたことが、嬉しくてたまらない。
「レイチェル様、ありがとうございます。クラーク侯爵には、明日にでも手紙をお出しいたします」
レイチェル様にそう伝えた後、隣に立つエルヴィス様に身体を向ける。
「エルヴィス様、レイチェル様と引き合わせてくださって、ありがとうございます。ちょっとした雑談の中での話題でしたのに、覚えてくださっているとは思いませんでした」
そう言ってすぐに、いつもより自身の声が弾んでいることに気がつく。
まずい、はしゃぎすぎてしまったかもしれない。
「サラに喜んでもらえて嬉しいよ。君が楽しそうで何よりだ」
エルヴィス様は、そんな私の態度を咎めるでもなく目元を和らげてそう言った。
しかしその言葉を聞いたレイチェル様が、意味ありげな目線をエルヴィス様に送ったのを、私は見逃さなかった。
私、少し席を外した方がいいかも…?
「私、何か飲み物をとって来ますね」
そう言ってテーブルへと歩を進めるサラを目で追いながら、レイチェルが口を開く。
「お母様の形見の宝石をあんな風につけさせて、おまけにドレスの色まで赤色で。エルヴィス殿下はよっぽどサラ様を気に入っていらっしゃるのね」
そう言う彼女は、心底面白そうな顔をしている。
「ドレスの色は、私が指定したわけではないよ」
嘘ではない。
あのネックレスを渡せばおそらく赤系のドレスになるだろうとは思っていたけれど、指定はしなかったのだから。
信じてもらえたわけではないのだろうが、レイチェルはそれ以上追求することはしなかった。
「貴族らしからぬ子ですけれども、前向きで一生懸命で、私は好きですよ」
彼女のその言葉に「だろう?」と返すと、今度こそレイチェルは声を出して笑った。