魔王様、辞世の句が完成しないと還れません!
「なんで倒せないの!?」
勇者は剣を杖にして、肩で息をつきながら悔し気に言った。
魔王はもう倒れ伏していた。
自分達よりも身の丈がはるかに高く、岩のように大きな魔王。
頭の角は、片方が折れ砕けたまま、その下には流れ出た血が広がっている。
あと一撃。
いや、そこらの兵士がえいっと剣を刺すだけで倒せるかもしれない。
勇者の特殊能力、生命力可視化では、数字の「1」がずっと魔王の頭の上に輝いているのだ。
なのに勇者と魔術師がいくら剣を突き刺しても、魔法を叩きこんでも、その「1」が絶対に削れない。
魔力も尽き、体力も限界にきて……勇者は心が折れそうになった。
魔王討伐のためには邪魔だと肩までで切ってしまった髪が、汗で頬に貼りつく。
もう、何もできそうにない。
だけど「1」残っているのなら、魔王は死んでいないのだ。数日で復活してくるだろう。
「私には倒せないっていうの……?」
勇者は最後の力をふりしぼり、歩き出す。
「カシア!」
仲間の魔法使いが、離れた場所から勇者の名前を呼ぶ。
波打つ金の髪を無造作に結んで、灰と埃で頬を汚したまま、彼女は心配そうな目を勇者に向けていた。
ずっと反目していた魔法使い。
魔力の高い貴族令嬢だった彼女とは、普通の姫だった自分と、ドレスの美しさを競い合ったり、作った花冠の出来を比べて喧嘩したりもした。
でも長い道のりの中、苦楽を共にして反発は友情へ変わった。
「今、やらなくちゃいけないのよブレンダ。魔王の手先を引きつけている兵達のためにも!」
勇者カシア達が魔王だけを相手にしていられるのは、多くの兵で攻め込んで、他の魔物達をおびき出して戦ってくれているから。
きっと多くの者が犠牲になっているのに、それを無駄にはできない。
もしこれで魔王を倒せなかったら、ブレンダだけでも脱出させるのだ。
魔王と戦った経験を持つ人間がいれば、魔王が回復しても倒す方法を探し出せる。
(ただ私は、責任をとるしかない)
多くの兵を犠牲にしたのに、魔王を倒せなかった責任をとって、ここで果てる。
そうしないと、ブレンダが逃げた後で責められるだろうから。
勇者と認められた自分が敵わなかったのなら、ブレンダが満身創痍で脱出しても、当然だと思うはず。
一歩一歩近づいたカシアは、魔王の近くへ来た時に首をかしげた。
「……?」
魔王が何かを指先で書いている。
声が出せないから、なにか言いたいことを書いているのかと思ってのぞきこむ。
――果てる時にも 犬毛が気になる 掃除したいな
「俳句?」
古い伝統芸術に、そういうものがあった木がする。
五七五の言葉数で、心情を現すというものだ。文字数がだいぶん超過しているけど、それに似ていた。
なぜここで俳句。
あまりに異質な物を見たせいで、カシアは頭が混乱する。
今は魔王との最後の戦いのはずなのに、疲れも手伝って、気力がごっそりと抜け落ちてしまったせいで、変なところが気になった。
「なんで毛? センス悪すぎ」
どうして勇者に倒される場面で、飼い犬の毛を気にしているのか。
「こんなところに犬の毛って……あ、さっきのフェンリル」
魔王の前に倒したフェンリルがいた。その毛だろうか?
それより毛が散らばっていると聞いて、カシアまで魔王の広間の埃っぽさが気になり出す。
ここ掃除してないの? いや、壁とか破壊したからそのせい?
すると、地響きのような震え声で、魔王がつぶやいた。
「……やはりそうか」
はっと緊張を取り戻し、距離を取るカシア。
しかし魔王は倒れたまま……涙を流した。
「こんな句では情けなくて死ねん」
そう言ったとたん、魔王の上に【能力発動 辞世の句失敗】と文字が浮かび、魔王が光った。
「え!?」
「な、なんなの?」
カシアも驚いたが、後方にいたブレンダも目を疑ったようだ。
光が納まると、魔王は起き上がり……そこに正座した。
「……」
カシアは剣を構える。
しかし魔王は動かない。
そして頭の上には、生命力の残数「100」の数字が表示されていた。
カシアが、気力を振り絞って攻撃をくわえれば、すぐにでも削げる数字だ。
けれど魔王は回復したというのに、じっと座ったままカシアに言った。
「そなた……俳句のセンスがわかるのか?」
「おかしいってのはわかるわ」
あまりにひどいので、誰でも変だとわかるはずだ。
カシアの返事を聞いても魔王は怒らなかった。
それどころか、頼みごとをしてきた。
「我にセンスを授けるがいい。さすれば我を倒せるであろう」
「は?」
思わず聞き返したカシアに、魔王は丁寧に説明した。
「センスだ。センスのいい辞世の句ができない限り、能力が発動して、我は回復してしまう。辞世の句ができれば、我は元の存在へと還り、魔王はいなくなるのだ」
「魔王を倒すのに……句?」
なんだそれは。
思わずブレンダと顔を見合わせる。
ブレンダの方は、頭に手をあてて「夢を見てるんじゃないかしら私」とつぶやいていた。
カシアも「これは死にかけの瞬間に見た夢?」と思いつつ、気になることを尋ねた。
「あなた、死にたいの?」
「魔王になる以前の、平和な暮らしに戻りたい。我は大樹に暮らす小さな獣だった。この石の城は我の喉に悪影響でせき込んで困っているのに、死ねなくて困っている。ごほっつごほっ」
せき込み始める魔王。
そこでカシアは思う。
フェンリルの毛が気になるのは、この魔王が埃に弱いからか? と。
魔王は倒したい。そして正攻法では魔王の謎能力のせいで倒せないのはわかった。
もはやこんなおかしな状況は放置して、近くの町の宿にでも泊まり、ゆっくり眠りたかったが、何度頬をつねっても痛いので、夢ではないのだろう。
だからカシアは考えた。
魔王を倒すことが、最も優先される事柄だ。
しかしこのままでは、なんど戦っても魔王を倒せないのなら……。
「し、師匠を紹介するわ」
そうして勇者は魔王を連れて、俳句の師を探す旅に出た。
けれどなかなか見つからず、長い事旅をしている間に……魔王と仲良くなってしまい、滅ぼしていいのか悩むはめになるとは、この時は思いもしなかったのだった。