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罪を聴く者

作者: 星野哲彦

 僕は死者だ。

僕は現在、神の国で聴罪記録管理係という仕事をしている。


懺悔室という、教会に設置された小さな二つの個室を知っているだろうか。

片方の個室に信者が入室し、もう片方の個室に神父が入室する。信者は個室の中で語り、神父以外の誰にも聞かれることなく、自らの罪を神に伝えることができる。ここで行なわれた会話は基本的に口外禁止となっていて、神父だけがその罪を知ることになる。


しかし、この懺悔室には隠された別の仕組みが備わっている。


懺悔室で語られた罪は神父が聞くだけではなく、神の力によって文章化され、僕に与えられた事務室の印刷機によってその内容がプリントされる。信者達は神父に話すことで神に話が伝わると思っているが、その告白は実際に神の国に届くようにシステム化されているというわけだ。


僕の仕事は印刷された罪の記録を仕分けすること。

毎日何百枚も印刷される罪の内容に目を通し、プリントされた紙を無罪、軽罪、大罪という名の三つの箱に仕分けていく。

仕分けの基準は僕が決めた物ではない。僕はこの聴罪記録管理係に就く前に、三ヶ月の研修を受けた。僕はそこで神の定めた罪の基準を学び、現在はその基準に従って仕分けを行なっているので、そこに僕の価値基準が入り込む余地はない。例え、僕がちょっと基準を甘くして仕分けたとしても、三つの箱は三人の神によって改めて検閲されるので、僕が手心を加えたことはすぐに発覚してしまう。そうなれば困るのは僕だ。きっとこの役目から外されて地獄に落とされてしまうだろう。

僕がこの役目に就いて五年が経つ。五年間の間に無数の罪を確認してきた。

妻がいるにもかかわらず浮気をした。

友人を貶めるような密告をした。

強盗に協力をした。

いじめられている生徒を見捨てた。

毎日毎日罪の記録を読んでいると、気がおかしくなる人もいるらしいのだが、その点、僕はこの仕事に向いている性格をしてるらしい。面接の際に神が僕にそう言っていた。

これはあくまで業務であり、送られてくる罪はただのデータに過ぎない。これを裁く基準を設けているのはあくまで神で、僕ではない。僕のやっている事は定規や秤を使って品物の大きさを調べるのと変わらない。僕はこんな風な思考でこの仕事に臨んでいるから、大量の罪を読んで精神を痛めるなんてことはない。


ある日、こんな内容の罪のデータが僕の元に送られてきた。



「私は六年前、家族を強盗によって殺害されました。

それは私が夕飯を買いに出かけている間に起きたことでした。

娘の誕生日が近かったので、私はすき焼きを作る計画を立てていました。スーパーに行き、野菜を買い、豆腐を買い、普段買わないようなちょっと質のいい肉を買い、会計を済ませて家路につく。家を出発してから大体一時間半くらいかけた買い物だったと思います。

 家に帰り、鍵を開きドアを開けたところで私は異変に気づきました。鉄と泥を混ぜたような嫌な匂いが家の中から漂ってきたのです。

私が出かける前は、娘がおままごとをしていて、夫がその相手をしていました。夫は普段仕事が忙しい人だったので、娘とそうして遊ぶ機会はあまり多くありませんでした。ですからその日、買い物を私が引き受け、娘の相手は夫に任せることにしたのです。娘も夫と遊べることをとても喜んでいました。

 家に帰ったら変わらず夫と娘が遊んで待っている。そう思っていたのに、私が家の中で見た物はタールのように重たく汚れきった絶望でした。

 まず、廊下の床に大きく広がった血だまりの中に倒れている夫が目に入りました。夫の背中には大きな穴が開いていて、そこから血がたくさん零れているようでした。夫を助けようと近づくと、夫の体の下に娘がいることに気づきました。娘の首は刃物か何かで掻き切られていてそこからも血があふれ出ていました。

 その光景を見た後、私がどうしたのかはあまり覚えていません。次に思い出せるのは、警察の方から、金品が盗まれているから強盗の犯行だろうという、どうでもいい話を聞かされたことです。

 金品が目的という言葉は私にはしっくり来ませんでした。奪われたのは私の家族の命です。金品が目的なのに、どうして私の家族が死ななければならなかったんでしょうか?

 ……失礼しました。今更取り乱しても仕方ないですよね。

 事件からしばらく経った後、警察から犯人が逮捕されたことを聞かされました。犯人は必ず死刑になる。その言葉を聞いて少し安心したことをよく覚えています。犯人が死んでも私の家族は帰ってきませんし、私の気分が晴れるわけでもありませんが、私の家族が死んでいるのに、犯人が生きているという状態は我慢なりませんでした。

 ところがそれから半年後、犯人が責任能力無しという判決を受けて、病院に入院したという話を聞きました。

 その話を聞いたとき、私は思いました。何故、私の家族を殺した犯人を治療する必要があるのだろう。私は犯人が生きていることが我慢できないだけで、責任を取って欲しいだなんて思っていません。どんなことをしても私の家族は帰ってこないんですから、責任の取りようがありません。だから、犯人の精神状態なんて私の知ったことではないんです。そのまま死刑にすればいい。こう思うことはおかしいことでしょうか?

 当時の私は今以上に取り乱していたと思います。何度も家の中で獣のように叫びました。包丁で壁を何度も刺して大家さんに止められたこともありました。しかし、辛抱強く両親や友人が説得してくれたおかげで、私はなんとか普通の生活を送れるようになりました。

 私は引っ越しをすることを決めて、そして、遠くの海が見える町に住むことにしました。海を眺めていれば、いつか心が洗われるかも知れない。何の根拠もないのにそんなことを思っていたんです。実際その町で暮らすうちに私は事件のことを少しずつ忘れるようになりました。家族のことを忘れたかったわけではないんですけどね。

 ところが、ある日、私はその町で信じられない物を目にしました。犯人がその町にあるパチンコ店の前を堂々と歩いていたのです。見間違うはずもありません。男が捕まったとき、男の顔はテレビに映し出されていたので、私はその顔を何度も何度も頭の中で滅多刺しにしていたのですから。

 私は男を尾行して男の生活がどういった物かを調べました。

 男は小さなアパートの部屋を借りていて、そこで一人暮らしをしていました。生活費は運送業者のアルバイトでまかない、浮いた金でパチンコをする。男の生活はそんなつまらない物でした。

 男を調べながら私はいろいろなことを考えました。私の家族がいなくなって、代わりに残された男の生活は果たしてこの世界にとって価値があるのか。男はどういう流れで世間に許されて、どのようにしてこの町にやってきたのか。

 気づけば私は毎日、男を尾行していました。だからこそ、何度もその機会は訪れました。

 今なら誰も見ていない。鞄の中に入っている包丁で刺しても誰にも気づかれない。しかし、私は長い間、あと一歩を踏み出すことができませんでした。臆病者ですね。

 しかし、ついにその日は訪れました。男は都合良く海近くの崖を歩いていました。パチンコで大勝ちして気分が良いのか、酒を片手にふらふらと歩いていたんです。ふと、男は酒を置き、崖の側で横になり始めました。時刻は夜。周囲に人はいません。

 私はなるべく音を立てないように男に近づき、男の体を思い切り蹴っ飛ばしました。男は驚いてよろめき、崖の下に落ちていきました。

 水しぶきの音で誰かに気づかれるかも知れない。そんな考えもよぎりましたが、誰かがそこを通るようなことはありませんでした。崖の上には酒の瓶が残されています。男が酒を買ったことは酒屋の店員が覚えているでしょう。男は酒に酔って崖から落下した。誰もがそう思ってくれるに違いありません。

 実際、私が罪に問われることはありませんでした。

 その夜から二ヶ月が経過しました。私はどうしても神父様を通して天国にいるであろう私の夫と娘にこのことを伝えたかったんです。二人がどう思うかは分かりませんが……。

神父様、私の行動は罪ということになるのでしょうか?」



データには神父の言葉は記録されない。しかし、僕にとっては神父が最後の問いにどう答えたかなんてどうでもいいことだった。

データを読み終えた僕はまず、罪の基準が書かれた資料を確認した。何度も確認したので内容は覚えていたのだが、その時の僕はどうしてもその資料を確認したいという強い気持ちに駆られた。資料にはこう記されていた。

殺人……いかなる条件を問わず大罪。

僕は悩んだ。このデータを大罪の箱に入れなかったとしても、箱を受け取った神はすぐにデータを大罪の箱に戻して処理するだろう。それでは意味がない。

僕は決断し、印刷機の横にあるパソコンに向かった。パソコンの画面に映し出された過去の印刷記録から、今読んだばかりのデータを引っ張り出し、編集機能をONにする。

そして、僕は記録を書き換えた。『私は、崖から誤って落ちた男のことをただ黙って見ていました』と。それから僕はそのデータを再度印刷し、その紙を軽罪の箱に入れた。

本来、聴罪記録管理係にこんな権限は与えられていない。ただ、僕はいつかこんな日がくるのではないかと思って、パソコンにこの編集機能を組み込んでいた。何度も使えば神にばれるかもしないが、一度だけなら大丈夫のはずだ。

何故僕がこんなことをしたのか。それはこの告白をしたのが僕の妻だからだ。

以上、これが僕の犯した罪の全てである。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  語り手が淡々としているのと結末、文字数が少ない事で全体をマイルドにしていて余り辛い展開のものを読まない私でもするすると読むことが出来ました。  途中もしや語り手は◯人(ネタバレしないよう…
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