【小話】プロポーズのその裏で ~セレーナが語る、あの時の真相
レオナルドと補佐官レベッカのプロポーズの最中の、リンリンとセレーナ元王女の様子です。
セレーナの口から、スピレル国の王位継承争いの真相が語られます。
抜き足、差し足、忍び足。
愛する補佐官レベッカのため、すべてを捨ててこの国にやって来たバレン王国の前国王レオナルドが登場すると同時に、リンリンとセレーナはコッソリとその場を抜け出した。
二階のサロンに移動して、お茶を飲む。
庭では、レオナルドがレベッカに絶賛プロポーズ中だ。
そう思うと野次馬根性が抑えきれず、二人は窓から庭の様子を窺っていた。
(あ、跪いて手にキスしたわ!)
リンリンは気づかれないように、黒猫姿でカーテンの隙間から目だけを覗かせている。
セレーナは堂々と窓の前に立っていた。彼女は王族として育ったので、何事にも毅然として立ち振る舞うのだ。
「どうやら上手くいったようですわよっ! ああ、あの熱い瞳。夫に求婚された日を思い出すわ」
興奮し、大声になってもお構いなしで、元王女は食い入るように窓ガラスに張りついた。
(声が大きいってば! ばれちゃう)
リンリンはギョッとするが、ま、二階だし大丈夫かと考え直した。
そして二人が抱き合うところまで見届けた瞬間、セレーナと手を取り合った。
「よ、よかったぁ!」
リンリンが知る限りで二十年愛である。学生時代からとなると、いったい何十年になるのか? まったくもって情熱的で我慢強い二人である。
セレーナは涙ぐみ、ふと思いついたようにメモを取っている。
「まさか、次作のネタにするつもりじゃ…………」
「あら、いやですわ。ちょっと参考にするだけですわよ」
それに、とセレーナは言う。
「次はもう決まってますもの。生まれつき身体の弱い王太子のスペアを産むために、側妃として嫁ぐ公爵令嬢の物語ですわ」
「それって……」
スピレル国の元側妃パトリシアのことである。彼女は十六歳で前国王のオズワルドに嫁ぎ、レナード王子を出産。その後、現国王であるルネと王位継承争いを繰り広げた末、表向きは病死だが、毒杯を賜り処刑された。
その争いに巻き込まれて、王女だったセレーナは竜殺しの毒に侵されることになったのだ。
リンリンの驚いた顔を見て、セレーナはふふふと朗らかに笑う。
「聖道女様のもとへ奉仕活動に赴く際、お父様からすべて伺いましたの。お母様が聖道女様の娘であることも」
それは王家の秘密ではなかったか。本にしてしまって大丈夫なのだろうか。
セレーナは、リンリンの心中を察したように「もう時効ですよ」と悪戯っぽく微笑む。
ルネの治世は安泰だ。帝国の皇女だった王妃との間に三人の子を儲け、先日、第一王子が立太子したばかりである。
「毒に侵されリンリンさんに救われたとき、『幸せになれ』って言ってくださったでしょ? あのあと、結婚して他国に渡って、いかにスピレルという国が保守的で古いのか思い知らされました。あの国は変わらなければならない。だから、いつかこの話を書こうと決意しておりましたの」
「なんで主役が元側妃のパトリシアなの?」
ヒロインなら彼女の母親マーガレットでもいいし、セレーナ本人でもいいはずだ。
「彼女の実家が、建国以来の名家であることはご存知かしら?」
「ええ」
「それは即ち保守派の筆頭であり、王家の忠臣であるということ。スピレルの保守派にとって、能力よりも血統こそが第一なんです。公爵家も何代かに一度は王家から王女を娶り、血統を保っていたほどです」
そういう家の娘だからこそ、婚約者と引き裂かれ、相手から逆恨みをされて侍女と護衛を失う憂き目に遭あっても、王が自分より年の離れたオジサンであっても、むしろ使命感に燃えて嫁いでこれたのだという。
たとえそこに愛はなく、側妃に選ばれたのが嫁げる身分の娘が自分だけだったという消極的な理由でも泣き言一つ漏らさなかった。
王家のためなら死も厭わない。それが彼らだ。
(婚約者がいたのねっ? そういえば、側妃に上がる頃、侍女と護衛が亡くなったと報告書で読んだわ)
しかも嫌々ではなく乗り気だったことに、リンリンはびっくりだ。猫族とはやっぱり価値観が違う。
「その彼女が、なぜ王族であるお兄様を毒殺しようとしたんだと思います?」
「自分の息子を王位に就けるためでしょう?」
「そう。でもそれは自分たちの欲のためではなく、レナードこそが正当な継承者だと信じていたから」
「え? でもルネ様だって正当な王子だったわよね?」
「彼らにしてみれば、たかが男爵の娘の孫ですもの。王と公爵令嬢との子であるレナードとは比べるまでもない。つまり、バレてたの。公爵家の力をもってすれば調べられないことではないから不思議はないけれど、調べたとすれば、パトリシア様の輿入れの前後かしらね。もっと前にわかっていれば、お母様は正妃になれなかったはずだから」
公爵家が疑惑を持ったとすれば、正妃マーガレットと聖道女の面差しが似ていたからだろうと、セレーナが憶測する。
教会でのボランティアは淑女の嗜みの一つであり、公爵夫人も娘のパトリシアを伴って定期的に奉仕活動に精を出していた。これが通常であれば、活動範囲は近場の教会に留まる。
しかし信心深い公爵夫人は、娘が側妃に上がる直前、西の聖教会の奉仕活動に従事させた。やはり近場の教会と聖教会では格が違うし、聖教会での奉仕は、妃としての好感度にプラスに働くと公爵夫人は考えたのだ。
聖道女は滅多に人前に姿を現さないので、ただ奉仕するだけなら両者に接点はない。
だが公爵家の娘であり、寄付金も桁違いのパトリシアには、直接面会したはずだとセレーナは言う。きっとそこで察知したのだ、と。
「えええっ! じゃあ、なんでバラさなかったの?」
正妃の権勢は王妹の血筋あってこそなのだから、そこを崩せば簡単だったはずだ。
「そこが忠臣らしいところですわね。王家のスキャンダルを嫌ったんです。彼らはお父様を説得できると思っていたのね。だけど、そうはならなかった」
何度も血筋の正当性を主張し説得するが、オズワルドは首を縦に振らなかった。
「王家への忠誠と国王への忠義は、似て非なるものです。公爵家にとって、お父様こそが王家の裏切り者のように感じたに違いないわ。お父様はお兄様を王に据える理由を、まだ話していなかったから。そんな折、病に倒れられたの」
「その……理由って?」
「血よ。スピレル王家は、血が濃いのです。血統を重んじるあまり、ずっと近親婚を繰り返してきたから」
スピレル国では、王家に嫁ぐのは外国の王女か国内貴族では公爵家、年回りが近い娘がいない場合のみ侯爵家と決められている。
公爵家は王家に連なる家柄だから親戚も同然だし、侯爵家も古い家柄であれば、必ずと言っていいほど王家の血が入っている。
その濃すぎる血の弊害が問題になり始めていたのだという。
「そのために祖母は……先々代の王妹は、聖道女様の妊娠を知ったとき、自分の子として育て、女だったらゆくゆくは王妃として王家に嫁がせようと決めたらしいわ。当時のブロンデル家は、勢いがあったとはいえ歴史の浅い新興貴族だったから王家と関係のない血筋だし、公爵家でなくとも王女の娘なら、保守派は反対しない。お母様は王妃としてうってつけだったの」
(ひえ~、なんかスゴイ話だわ)
リンリンは目を丸くした。シベンナ王国の諜報部員は優秀だが、すべてを探りきれない闇の深さがスピレル国にはあるような気がする。
「その話をお父様が聞いたのは、お母様の輿入れのときだったそうよ。お母様は何も知らないのだ、と。そして、次世代の正妃は必ず外国から娶るように言われたらしいの」
「だから、帝国の皇女様と縁組したのね」
「そうですわね、後ろ盾としても十分でしたし。お兄様の子どもは元気に育ったものの、それでも、目の角膜が通常より薄いそうよ。そしてレナードは――」
(レナード様は?)
リンリンはごくりと喉を鳴らす。
「子どもができない身体です」
「えっ? それじゃあ…………」
「ええ、国王になっても世継ぎを残せない。だけど婚約者と別れてまで嫁いできたパトリシア様に、お父様は最後まで告げられなかったんです。その判断の甘さがあの騒動です」
前王のオズワルドは数年に一度、秘密裏に王子たちを医者に診せていたらしい。そしてレナード王子が十二歳のとき、異常が発見された。オズワルドが倒れる少し前のことだった。
「子種がありません」とその竜人の優秀な医者は言った。
そのときになって、やっとオズワルドの心は決まった。次代の王はルネだ、と。
それまではレナードの健康状態に問題がなかったので、彼にも迷いがあったのだ。
オズワルドは「余程のことがない限りルネを王太子にする」と内々に意思を表明する。
「余程のことがない限り」の言葉を聞いた側妃が、余程のことを起こそうと決心するのに時間はかからなかった。血統の正しい者が国王になる。それが彼女の忠義であり、正義だからだ。
「竜殺しの毒を使ってまで、ルネ様を暗殺しようとしたのは、王家への忠誠心ってことぉ?」
それも愛だ、とリンリンは気づく。必ず殺す――そう決意させるほどの。
「まぁ、一言で言えばそういうことですわね。お父様の病が癒えたあと、公爵との間では話がついて、すべての泥を公爵家が被ることで継承争いに終止符を打つ算段ができていたの。それがかえって、何も知らないパトリシア様を追い詰める結果になってしまったのね」
「え、泥ってあの国費横領の罪を問われたという?」
「はい。あの家に限って横領などするわけがありませんもの。レナードの件でやっと血統至上主義の限界を悟った公爵が、自ら派閥の粛清を買って出たの。彼は建国以来の忠臣ですもの、王家のためなら滅ぶことも厭わない――」
セレーナの声がかすれた。公爵家は取り潰し、パトリシアも亡くなり、元王女としては胸に迫るものがあるのかもしれない。
「だからこそ、私は彼らの忠義と献身に報い、汚名を雪ぐためにも、パトリシア様の物語を書こうと思ったのです」
彼女はいい感じに話を締めくくろうとしたが、リンリンはあることに気づいて慌てた。
「ちょっと待って! レナード様ってまだご健在よね?」
「はい。一代限りの公爵で……、あ、大丈夫ですよ。『子ができない』なんて書きませんから。ホホホ、そこはうま~くやんわりと…………」
セレーナはへらへら笑って誤魔化しているが、リンリンは不安だ。
(だ、大丈夫かしらっ?)
「それに、これは次代の王子たちが、身分にこだわらず好きな人と結婚するためでもあると思っているの。血統を気にする貴族はまだ多いから」
この二十年、スピレル国も豊かになり裕福な平民も増えてきたという。
保守派が一掃されたことで、格式にこだわる傾向は徐々に薄れてきており、ゆくゆくは男爵家や平民出身者の妃も現れるのではないかとセレーナ元王女は予想している。
そのときに揉めないよう、受け入れられやすい風潮を小説を通して世間に広めたいのだ。
「あー、じゃあ、次回はハッピーエンドじゃないのかぁ」
リンリンは残念そうに肩を落とした。
「え? ハッピーエンドですわよ」
セレーナが目をパチパチと瞬かせる。
リンリンは怪訝な顔だ。
(え? だって最後は処刑されて終わるのよね?)
「公爵家は取り潰しで身分と領地と王都の屋敷は没収されましたが、財産の持ち出しが許されて隣国で恙無くお暮らしですし、派閥の貴族たちのほとんどは代替わりを余儀なくされただけで、取り潰されたのは余罪があった家だけです。それに――」
セレーナは声を落とし、内緒ですわよ、と前置きするとあっさり白状した。
「お父様がパトリシア様を不憫に思い、表向きは病死、裏では毒杯による処刑ということにして、公爵一族と共に隣国へ逃がしました。身分と名前を変えて、とっくに再婚してますわ」
「はあああ? ホントに?」
リンリンはびっくりした。セレーナを皇女毒殺の犯人に仕立てようとして、オズワルドの逆鱗に触れたのではなかったか。
「彼女の人生を歪めてしまったお父様なりの罪滅ぼしみたいね。あのゴタゴタの最中ですもの、曲がりなりにも国王ですからなんとかなりますよ。だからあの頃のお父様の憂いは蟄居させたレナードと毒に侵されたわたくしだけだったの。その憂いもアルベール様とリンリンさんが断ってくださった……本当に感謝しておりますのよ」
(ドロドロどころか、もうぐちゃぐちゃだわ…………)
とんだ策士だ。やっぱりスピレルは侮れないとリンリンは思う。
まさか自分たちも、彼らの手のひらの上で転がされていたのではないかとつい疑いたくなるが……。
――ま、いっか。
「やっぱり物語はハッピーエンドでなくてはね」
セレーナはコロコロと笑い、リンリンも同意した。
そうそう、やっぱり物語はハッピーエンドでなくっちゃ!