520.フラグではありません
叱られたらどう返すか。いろいろ想定問答を頭の中で作りながら、ルシファーは何食わぬ顔でベールに従った。魔王なので、人前で焦ったり怯える姿は見せられない。
手招きされて距離を詰めたところで、思わぬ提案を受けた。
「この後ですが、明日は行事が入っております。しかし夜の予定なので……休暇を延長して明日のお昼まで自由にお過ごしください」
「あ、うん。助かる、ありがとう」
驚きすぎて、言葉がカタコトになる。ベールがオレを甘やかす発言を? それも休暇の延長だ。撤回される前に逃げよう。そう考えるのも当然だった。
「じゃあ、部屋に戻るから」
「はい。お疲れ様でした」
「……ベール、長生きしろよ」
何だか心配になってそう呟き、彼の肩をぽんと叩いて消えた。おそらく殺しても死なないが、あまりに穏やかな姿を見せられ他に言葉がなかった。
訝しげに首を傾ける銀髪の美形を置いて、ルシファーはさっさと転移する。中庭で一度様子を見てから、階段を登った。幸い、侍従としかすれ違わない。魔犬族は小型で、二本足で歩く犬といった外見だ。よく働く彼に、夕食以外は用意しなくていいと伝えてもらった。
呼び出されたせいで、厨房に伝えるのが遅くなってしまった。料理長のイフリートが作り終えている可能性もあるが、冷蔵室もあるから大丈夫だろう。魔王城では、巨大な冷蔵室と冷凍室が用意されている。部屋一つを魔法陣で冷やしているため、食べ物や食材の保管にぴったりだった。
この城で働く魔族は、トラブルがあると飛び出していく。魔王や大公だけでない。文官や魔王軍も同様だった。決裁権限を振り分けたことに加え、転移魔法陣を利用した日帰り出張が容易になった影響だ。
そこで食事をする時間がないだけでなく、伝える時間もないまま飛び出すものが増えた。最初は怒っていた料理長だったが、彼も考えた。急な呼び出しは仕方ない。ならば作った料理を保存する方法を考えればいいのだ。
収納魔法が使えればいいのだが、炎の精霊イフリートには無理だった。次に提案されたのは、収納空間のように時間経過を止める魔法陣の設置だ。冷蔵室より確実に保存が可能だった。ただ、生命を持つ者が中に入ったら止まってしまう問題点が発覚し、危険なので撤去された。
試行錯誤した魔王城の厨房は、今日も元気に稼働中である。そこへ魔王一家の朝食と昼食不要の連絡が入り、イフリートは作ったばかりのオムレツを冷蔵室へ移動させた。あとで賄いにしよう。
イヴの大好物であるオムレツを片付けたと知らず、ルシファーは部屋の前で足を止めた。……中から転移したんだっけ。鍵を開けようにも持って出ていない。周囲をきょろきょろと見回し、魔力感知で誰もいないのを確かめ、内側へ転移した。
眠る妻と娘、幼い息子。天使達が眠るベッドにそっと潜り込んだ。イヴがごろりと寝返りを打ち、まだ短い足を絡める。その温もりに口元を緩め、目を閉じた。
空腹は飴で誤魔化した。このまま昼過ぎまでゆっくり寝て、午後から収納空間にある料理を食べよう。確か数百年前に保存したシチューがあったはず……。
カビたり腐ったりする心配がない収納空間だが、心理的に数百年前のシチューを食べたいとは思わない。その感覚が他の魔族とズレているルシファーは、目覚めてから温めたシチューを提供した。何も知らずに食べた後で事情を知ったリリスに「もう!!」と怒られることになるが、それは午後の話。
今はただ、平和な眠りに浸る魔王であった。




