516.ケルベロスが大活躍?
「……考えましたね」
「影を使ってくるなら消すだけだ」
反論する間も、息をつかせぬ速さの攻防が繰り返される。影を利用される危険があるなら、消してしまえばいい。言葉にすれば簡単だが、ルシファー以外で実行できるとしたら、四人の大公くらいだろう。
上空に雲はぽつりぽつりと見えるだけ。日陰を作ってもアスタロトは、影の濃淡を利用して襲ってくる。ならば、影そのものを異次元に飛ばせば良いのだ。ルシファーらしい非常識な考えだった。日向なのに影を消した魔王は、にやりと笑う。
しばらく打ち合った後、アスタロトが一度引いた。合わせてルシファーも数歩下がる。互いに距離を置いて睨み合うが、こうなればルシファーが有利だった。武器の長さは一目瞭然だ。
魔力を練って凝らせた剣は、簡単に長さを変更できなかった。魔力なのだから自由自在と考える魔族が多い中、アスタロトは固定概念の外でこの剣を顕現させている。長さや厚み、切れ味も含めて細かく設定したからこそ、こうして実体化出来た。その構成を崩したら、剣の魔力は霧散してしまう。
ふとアスタロトが剣を消す。降参なのかと騒めく民は、次の展開に目を輝かせた。
「私には別の能力もございますので」
「構わんぞ」
仕事バージョンで、魔王らしい口調を心がけるルシファーは、デスサイズを突き立てた。さらりと撫でる仕草をすれば、ケルベロスの姿に変わる。唸る犬達の警戒はアスタロトに向けられた。
「手出し無用だ。帰る前に褒美をやろうな」
獰猛な唸り声を上げる頭を順番に撫でて、ルシファーは下がるよう命じた。素直に従うケルベロスは、後ろで姿勢を低くする。伏せている状態に近いが、いつでも攻撃に移れる体勢だった。
「久しぶりなので、失敗しないか心配ですよ」
アスタロトの体がさらさらと崩れていく。砂か粉で作られた像が、風に負けて吹き飛ばされるように。
「なんだ、あれ」
「すげぇ」
己の目を疑って擦ったり、逆に食い入るように身を乗り出す民が騒ぎ出す。あっという間にすべて崩れてしまった。だが足元に砂や粉の山はない。
「ちっ、腕くらいは覚悟するか」
思わずぼやいたのは、ルシファーだ。アスタロトは消えたのではない。吸血種の上位種にだけ備わる霧化をしたのだ。水蒸気のような状態であるため、魔力感知に引っかからない。細かな粒子になったアスタロトが、どこに集結して実体を持つのか。気配や目で確認するしかなかった。
ぞわりと背筋を走る悪寒に、ルシファーが翼を広げた。後ろも左右も危険だ。となれば、上に逃げる。浮き上がった魔王を追うように、いきなり現れたアスタロトが剣を振るう。わずかの差で避けたルシファーだが、すぐにアスタロトを見失った。
霧になれば、魔力が分散してしまう。集合する直前に察して避けるしかないのだ。神経をすり減らす戦いに、民は飲食を忘れて見入った。あっちだ、こっちだ、憶測でルシファーの周囲を指差す。
唸るケルベロスが一点を睨んだ。その直後、アスタロトが睨んだ地点に現れる。肩を竦めたアスタロトが、両手を頭の横に上げた。
「ケルベロスの嗅覚には敵いません。降参です」
「……助かった」
思わず本音の漏れた魔王に、民はどっと笑った。本気で殺し合う戦いではないが、魔族にとって試合はいつでも娯楽だ。今回も楽しませてもらったと感謝しながら、思わず手を止めた宴会が再開される。
駆け寄ったヤンの背中から愛娘に手を伸ばされ、掴んだルシファーが勝利宣言と、アスタロトへの褒美を与えた。ここでケルベロスは自由時間をもらい、ご機嫌で屋台の肉や魚を食べ漁る。
笑顔と歓声の絶えない宴会は、そのまま翌日になっても盛り上がり続けた。




