485.また足りない?
大量に生まれた子を受け入れるため、保育所が各地に作られることが決まった。ここで問題がひとつ。転移魔法陣を利用できるため、魔王城近くに作って欲しいと要望が集まる。
「……土地が足りない」
魔王城の転移魔法陣は、中庭に集中している。ここから歩いて移動できる距離となれば、庭を潰すくらいしか思いつかなかった。魔王城の敷地図を広げ、ルシファーは唸る。
薔薇の温室を潰せば、リリス達のお風呂に困る。薔薇の花びらを浮かべるのは日常だからだ。しかし隣の庭を潰せば、シャイターンお気に入りの昼寝用東屋も撤去しなくてはならない。
どちらも無理だ。裏庭は異世界から来た種族に与えてしまったし、そもそも日当たりが良くなかった。子どもの成育環境として相応しくないだろう。地図にバツ印を記載する。
「中庭も無理で、温室もダメ」
ぶつぶつ呟きながら、温室や東屋のある庭もバツを記す。魔王城の中に作るか? だが居住空間も多く、これ以上の増築は無理だ。こちらはアラクネ達の領地に接しているから、やめて……ん?
「もうここしか残らない」
城門前の広場だ。しかしここも用途が決まっていた。魔族が集まる避難所であり、お祭りの広場なのだ。即位記念祭でも利用される土地は、除外しておく方が安全だろう。
「無理か」
「何を唸っているのかと思えば、もう新しい保育所は確保しました」
「は?」
聞いてないぞ? 最近こんなのばかりだ。そんな顔でアスタロトを見上げると、彼は淡々と説明を始めた。
「現時点で調整中です。まず学校を移動します。その空いた校舎をそのまま保育園で利用します」
今までは幼い子を保育所、ある程度の年齢になれば保育園へ入れた。ここまでは親の負担を減らすために預かることが目的で、子ども同士の交流や友人関係を育む意味もある。
各種族がそれぞれ保育所のような環境を作っても、同族ばかりになってしまう。視野が狭まれば、他種族に対しての寛容性が失われる結果を招いた。それらの危険を知るから、シトリーは自ら乗り出して保育所の普及を進めたのだ。
「学校はどこへ移動するんだ?」
「漆黒城と魔王城の間に土地が余っています」
「……あの薄暗い森のことか」
魔の森の中で、なぜか枝が密集する地域だ。アスタロトの作った物騒な空き地もあり、嫌厭されてきた。
「リリス様の許可も出ましたし、多少伐採する予定です」
魔の森の木を伐れば、魔力を対価に奪いながら生えてくる。だが魔の森の娘が「ここなら大丈夫」と太鼓判を押した。その理由は、人族が住んでいた海岸近くの土地にある。広大な空き地を飲み込んだことで、魔の森は以前より広くなった。つまり、木々の数が同じなら隙間が出来るのだ。
「リリスも知ってるのに、どうしてオレが聞いてないんだ?」
「ルシファー様、書類をきちんと読みましたか? 昨日署名していただいた書類の中に、この案件の報告書が入っておりましたよ」
「あ、すまん。読んだ気がしてきた」
まったく覚えていないが、アスタロトが言い切るなら間違いなく読んだはず。夕食後に処理したのだが、その前にひとつ嬉しいことがあった。浮かれていたのは否定できない。
シャイターンが一人で歩いて、ルシファーを「パパ」と呼んだのだ。喜び過ぎて、その後の書類は読まずに署名してしまった。押印もした気がする。まずいぞ。汗を隠しながら、一歩下がる。
「えっと、その……すまん」
最後に出てきたのは、素直な謝罪だった。意外なことにアスタロトは笑顔だ。我が子に喜ばしい出来事があれば、浮き足立つのは魔族の習いだ。責めても仕方ない。
「すべて差し戻しましたので、もう一度目を通してくださいね」
どうやら魔力で署名と押印が無効にされたらしい。長年の付き合いである側近は、ルシファーを執務机に押しやった。




