461.負けてもタダでは終われない
「魔王城の専属料理人を勤めて260年……よもや、このような負け方をするとは」
がくりと項垂れるイフリートに、アンナはさらりと種明かしをした。
「安心していいわ。私達がいた日本で800年以上の歴史を誇る料理だもの。ただ生を切っただけではない、その切り口の美しさ、盛り付けの見事さで他国を圧倒したのよ」
今回はアベルとイザヤの腕と、包丁の切れ味の問題で残念だったが、もっと工夫の余地がある。そんな話を交えて、アンナはイフリートを持ち上げた。
「料理人としてキャリアのある貴方なら、もっとすごい料理が作れるわ。完全に生がダメなら、半生はどう? 食材をカットする腕も、火加減を操る力も、イフリートさんの方が上でしょう?」
「……そうだ、私は魔王陛下の料理人だぞ。完璧に仕上げて見せる!!」
煽られたのか、立ち直ったのか。難しい状況だが、イフリートはやる気に満ちていた。魔王ルシファーはバター焼きを選んでくれたが、今後もそうとは限らない。ここは腕を上げ、料理のレパートリーを増やすべきだろう。
勝負の決着はついた。潔く認め反論はしない。だがこのまま終わらせるのは、魔王城の料理人としてのプライドが許さなかった。必ず唸らせる料理を作ってみせる。その気合いで、彼は燃えていた。炎のエレメントなので、実際物理的にも燃えていたが……魔族はそんな小さなことは気にしない。
新しい料理が出てくる可能性に目を輝かせた。その魔族の中に、魔王妃殿下であるリリスも含まれていただけの話だ。
「半生」
先程聞き齧った言葉を反芻する。言葉の通りに解釈するなら、半分生の状態だった。つまり火が完全に通る前に止める……いや、それでは予熱で完全に火が入ってしまう。
バター焼きを作った際に気づいたが、この赤身魚は火の通りが早い。あれこれ試作する隣で、アンナはルシファーに相談を持ちかけた。ツナ缶を作りたい、と。
「つなかん……」
「この魚がツナなの。缶詰なんだけど、わかるかしら」
絵を描いて説明しようとしたが、最終的に夫のイザヤが完成品の状態を話した。缶の絵だけでは伝わらなかったのだ。
「収納魔法ではダメなのか?」
「あれは時が止まるからダメです」
缶詰は長持ちする備蓄方法らしいが、熟成させる意味もある。そう言われたら、難しい。後日方法を研究することになり、ストラスが名乗りを上げた。先日まで取り掛かっていた六本足のネズミ研究が終わったばかり。次の研究材料に口元が緩んでいた。
彼らのやり取りの隣で、アスタロトやベールが浜焼きを始める。貝類を網に並べて焼くベールは手際が良かった。手伝いに入ったルキフェルが、焼けたハマグリを民に分けていく。ちゃっかり横からリリスも貰った。
「これでどうだ!」
悩んだ末に編み出されたイフリートの新作料理は、なんと揚げ物だった。焼くより火加減が楽なのだとか。衣を付けて外はサクッと、内側は予熱で適度に火を通すため柔らかい。ステーキのように焼くだけでは芸がないと、頭を捻った。
「マグロカツ! これ、ホタテでも美味しいわよ」
アンナの提案で、浜焼き用のホタテが追加された。出来立てを魔王ルシファーが試食、リリスも満面の笑みで「美味しい」を連発した。すぐに民の行列ができ、大量の魚や貝が半生カツになる。
「……いいとこ取りね」
人魚のお墨付きをもらい、揚げ物は海の民にも大いに受け入れられた。ただ問題があるとすれば、海の民は海中で生活するため揚げ物は無理だという現実。だが城下町でお店が出ると聞いて、有志が買いに出ると決まった。対価は食材となる魚介類、まさに物々交換だった。




