452.早朝からのひと仕事
雨の音で目が覚めた。久しぶりのまとまった雨は、明け方から叩きつけるような豪雨に変わる。目が覚めたルシファーは、リリスを起こさないよう部屋を出た。
パチンと指を鳴らして着替えを済ませ、執務室の椅子に座る。と同時に、早朝から書類が運び込まれた。翡翠竜が、小さな足でよちよちと入室する。
「あ、魔王陛下……おはようございます。現時点での被害報告です」
「ああ、ご苦労だった。アムドゥスキアス。寝るならソファを使っていいぞ」
付け足したのは、彼が真っ赤に腫らした目を擦っているからだ。アムドゥスキアスは災害復旧担当に命じられた。普段はあまり大きな仕事はないが、こういった暴風雨などがあれば、すぐ対応する。自然災害は翡翠竜の担当だった。
「お言葉に甘えて……ぐぅ」
ソファに飛び上がって着地すると、そのままの体勢で睡眠をとり始める。相当疲れていたらしい。猫のごめん寝のような形だが、本人は苦しくもない様子だ。侍従のベリアルが通りがかりに毛布をかけた。
「ベリアル、悪いがリリスが起きたら知らせてくれ。朝食は一緒に摂る」
「はい。承知しました」
コボルトは魔犬なので、優れた嗅覚と聴覚を誇る。室内の女主人達が目覚めれば、扉を開けなくても察知可能だった。魔王の私室前にコボルトを交代で配置し、ベリアルは城の日常業務に戻る。
災害復旧の手伝いも行うが、基本的にベリアルの仕事は魔王城の生活を支えることだった。アムドゥスキアスが事前に手配した指示書に沿って、作戦が決行されて報告が入ってくる。ルシファーは感心しながら書類を処理し続けた。
意外に使える。今後は平常時もアムドゥスキアスを活用するか。
報告書によれば、まだ土砂崩れや崖崩れはない。しかし要注意箇所がいくつか報告された。斜面から水が染み出している地域は、すでに避難も完了している。魔王城の空き部屋は、またも避難した魔族で埋まり始めていた。
「うーん、自然災害が増えた気がする」
「あふっ、魔の森が寝てるからじゃない? おはよ、ルシファー」
「おはようございます、陛下。こちらは至急案件です」
ルキフェルは欠伸を噛み殺しながら、やや湿った水色の髪を熱風で乾かし始める。それを咎めるベールが、温風に変更した。親子さながら仲の良い二人に渡された書類に目を通し、大急ぎで避難指示を出す。
「他に危険そうな場所はないか」
「現時点での報告はここまで……」
「ちょっと! 海の監視は誰もしてないの?!」
飛び込んだベルゼビュートにより、文官の報告は遮られた。というより、否定されたの方が近い。
「海?」
「崖が崩れて海の民が数人、巻き込まれたわ。救助して治療したけど、軍の見回りが他の地区へ回ったみたいなの。もし私が通らなかったら、死んでるわよ」
本来の担当者が別地区の避難へ向かい、見落としが発生した。その報告に急ぎ、ルシファーは対策を講じた。全員に己の持ち場を守るよう命令を出す。非番や予備役の魔王軍に招集を掛け、各地の災害に対応させた。
「……おや、私はいらなさそうですね」
災害が大きくなると踏んだアスタロトが顔を出し、肩を竦める。だが忙しい場面では、立っている親でも利用するのが魔王だ。
「いいところに来た。隣の大陸にいる幻獣の安全確保にベールを出す。軍を纏めてくれ、アスタロト」
理由と命令を的確に発し、ルシファーは地図を広げる。
「ルキフェルはドラゴンの谷から森の奥まで。ベルゼビュートは海の方角を頼む。海の中は構わなくていい」
承知の返答を聞きながら、ルシファーは眉を寄せた。非常物資が足りるだろうか。試算するならベルゼビュートを呼び戻す必要がある。考え込むが、窓の外から光が差し込んだ。
「晴れる、のか?」
助かった、心の底から安心して椅子に座り込んだ。僅か数時間、されど緊迫した状況の緊張から逃れ、ルシファーの表情が和らぐ。差し込んだ光はぼんやりと、だが確実に大地を照らし始めた。




