386.海からの献上品
海はゆったりと変化し続けていた。種族の数が増え、海底に海藻の森が出来る。珊瑚が産卵して生息域を広げ、降り注ぐ陽光を浴びた新しい海藻が芽を出した。
海藻……と呼んでも構わないか、判断に迷う。ほぼ樹木のような巨大な植物がいくつも出現した。魔力のあるなしに関わらず、魚達はこの海底樹木を活用し始める。大型の捕食者から身を隠し、産卵して子孫を増やす。そこには海始まって以来の、平和な営みが生まれていた。
「これが魔王の配下になる効果か」
巨大な魚影が感慨深げに呟く。数百年を生きた硬い鱗が自慢の魚は、海王より魔王の治世を望む。圧倒的強者に惹かれるのは、地上でも海中でも同じらしい。かつての海王達が霞むほど、魔王ルシファーの存在は眩しかった。
「俺らも魔王配下のがいいなぁ」
水かきと発達したヒレが特徴の水中生物は、竜に似ていた。地上で言うなら、竜族が近い。翼の代わりに、大きなヒレと尻尾がゆらりと水を掻いた。
「てことは、献上品がいるんじゃねえか?」
巨大ウツボが心配そうに指摘した。ぶくぶくと泡を吐く二枚貝は、牡蠣のような姿をしていた。中に貝柱はなくアザラシに似た生き物が住んでいる。
「あたし、知ってるよ。浜焼きにハマってるみたい」
「なら、蛤を献上するか」
「こないだはタコ食ってましたぜ」
「それも捕まえとけ」
数百年を生きた長老魚の指示で、それぞれは動き出した。魔力がなければただの海洋生物、献上するのに問題はない。あっという間にかき集められた供物を手に、人魚達が使者に立った。久しぶりに大量の子どもを得た人魚は、あと百年ほどは子育てに忙しい。数年前の集団見合いは、しっかりと功を奏していた。
海辺を巡回する魔王軍か、ベルゼビュート大公に声を掛ければいい。誘う必要はないので、歌わなかった。待つこと数時間、ベルゼビュートは夫エリゴスと共に呼び止められる。
「何よ! エリゴスは貸さないわよ」
警戒心MAXのベルゼビュートは、両手で獣姿のエリゴスの耳を塞いだ。
「安心して。これを渡したいだけなの」
「献上品よ、魔王様にお渡しして」
「海の皆で集めたの」
以前に真珠や珊瑚でひと騒動あったのは知っているので、食べ物のみにしてみた。そんな説明に、ようやくベルゼビュートは警戒を解いた。だが夫を結界で包むのは忘れない。
「預かっていくわ」
収納へ海水ごと放り込んだ。海水は生物ではないので、包んだ状態なら中の生き物は死なない。以前、紫珊瑚のカルンを持ち帰った経験から研究したルキフェルの結論だった。
収納空間は生物が入れられない。もし入れても死んでしまう。しかし水中で呼吸のできる魚を、水ごと取り込んだ場合……生きたまま収納できるのだ。応用した実験では、昆虫を入れた箱を収納して取り出した事例もあった。もちろん生きている。
収納へ入れた浜焼き具材一式は、新鮮なまま魔王城へ届いた。すっかり忘れていた海の存在を思い出すのに、最適なタイミングだった。海への視察を行うことが決まる。
「視察の前に、もらった食料を食べるとしよう」
量が多かったので、転移魔法陣を使った招集が行われ、次から次へと魔族が現れた。その度に収納から取り出される新鮮魚介類は、皆の胃袋を満たす。ついでに非常食の入れ替えを行うことになり、アスタロトやベールが肉を供出した。ベルゼビュートも穀物類を提供し、宴会は盛り上がりを見せる。
「海へお返しした方がいいんじゃないか?」
ルシファーの発案で、今度はどんぐりや山菜、キノコ、肉に至るまで。様々な食材が集められたが、海の生物が食べられるかどうか分からない。悩んだ挙句、全部渡して食べられるものを判断してもらうことも、視察の確認事項に追記された。
交流は始まったばかり、これから仲が深まって行くのだろう。




