372.海には海の事情と生態系がある
海の中でも結界が張れる実力者を募ったところ、魔王軍の数人が手を挙げた。普段から日常的に結界を張る魔力がなければ、海の中で魔力切れになると危険だ。念の為、結界維持のために簡略化された魔法陣を持たせる。
緊急用の転移魔法陣も渡した。結界魔法と紐付けて、結界が解けた瞬間に転移するよう設定してある。ここまで準備を整え、彼らを伴って海へ向かった。指揮官としてサタナキア将軍、ドラゴンが三人とエルフ族が二人同行する。
海辺に降り立てば、気付いた迎えのタコが登ってくる。やたら大きく、ぐにゃりとした頭を揺らしながら挨拶をした。
「お待ちしてました」
「出迎えご苦労。どのくらい生まれたんだ?」
「10万くらいですね」
「……は?」
桁がおかしくないか? 首を傾げたルシファーだが、タコは見た方が早いと促す。逃げられる心配をしているらしい。一般的な魚が大量の卵を産むのは知っている。稚魚の段階でかなり喰われてしまい、百匹に一匹しか育たないなんて噂も聞いた。
だが今回要請されたのは、魔族の子の保護である。いくら生まれる数が多く、大半が喰われてしまうとはいえ……やはり桁がずれている気がした。
海に溶けるように色を変えて泳ぎ始めるタコを追って、ルシファーが全員をバブルで包む。一緒に移動したのは、海の底に刻まれた深い溝にある横穴だった。するりと入るタコが示す先に、小さな卵がびっしりと産み付けられている。
「これは何の子だ?」
「こちらの魚が親です」
紹介されたのは、数十匹の小魚を従えた一匹の魚だった。小魚がオスで色鮮やかなピンクに青いラインが入っている。メスは一回り大きいが、色は地味な黒だった。よく見れば、メスもうっすらラインがあるようだ。
「青縞魚の一族です。卵から孵った稚魚は魔力を欲する海の魔族の餌になるため、生存確率は一千匹に一匹ですね」
さらっと過酷な生存競争を知らされ、陸の魔族の顔が引き攣る。一千匹に一匹は陸では考えられない。多産系の魔獣ですら、生涯に産む子どもの数は数十が限界だった。
「えっと……基本的にどう手助けすればいい?」
困惑しながら尋ねる。海の生物の生態はよくわからないし、喰われてしまう稚魚が多いなら、それを守れば他の種族が飢えてしまう。海の環境を壊すわけにいかないのだ。可哀想で助けるのは間違っていた。
そのくらいはルシファーも理解している。だから尋ねたのだが、意外な答えが返ってきた。
「魔力を注いでやって欲しいんです。卵に注ぐ魔力が足りなくて。稚魚になれば、後は放置です」
「放置……」
思わず繰り返したサタナキア将軍が口を手で覆う。だが後ろでもドラゴンやエルフが似たような反応を見せた。魔獣の子であっても、ある程度の年齢になるまでは親の庇護下にある。それすらないのは、驚きだった。
「稚魚にすればいいのか?」
「ええ、卵のまま腐ると海のゴミですが、稚魚なら餌になります」
タコの説明によれば、その稚魚を食べることで産卵する種族や、我が子を育てる魚もいるらしい。孵化に失敗すれば、そちらの生態系が崩れる。言われた通り、まずサタナキアが魔力を注いでみた。曇った乳白色の卵は、魔力を得ると透明になっていく。
完全に殻が透き通ると、パチンと弾けて泳ぎ始めた。続けて大量の魔力を流す将軍の額に汗が浮かぶ。ドラゴンが交代し、さらにエルフへ引き継がれた。しばらく様子を見ていたが、ルシファーが動かなくても数は足りるようだ。
「陛下の手を煩わせるのは、魔王軍の名折れですからな」
サタナキア将軍に手出し無用を告げられ、魔力を使った彼らへの回復に魔力を注ぐ。すべての卵を孵化させるまで、半日ほどかかった。
「ありがとうございました」
常にメスは一匹しかおらず、メスが死ぬとオスの中から新たなメスが生まれる。どこかで聞いたような生態に相槌を打ちながら、地上へ帰還した。海辺で思い切り空気を吸い込み、安堵の溜め息を吐き出す。
「やっぱり陸の方がいい」
漏れたルシファーの本音に、全員が無言の頷きで同意した。




