367.引きこもりより楽しい時間
待っていたのは重鎮ばかりだが、モラクスは彼女らの肩書きを知らなかった。長く引きこもり過ぎた影響だが、今回は良い方向へ働く。緊張せずに済んだのだ。
「あら、久しぶりね。モラクスだったかしら」
ピンクの巻毛を指先で弄る女大公ベルゼビュートは知っている。小さく「はい」と答えて、ぺたんと座り込んだ。お茶会に呼ばれたのに、テーブルセットではなかった。
小さな子がいるので、温室の床に分厚い絨毯を敷いて、その上に寝転がったり座ったり、自由に過ごせるよう手配されている。座ったモラクスの隣に、ルシファーはそっと彼女の娘を下ろした。
「そういえば娘の名は付けたのか?」
ぶんぶんと首を横に振る。小ぶりなドラゴン姿のモラクスは、低い声で言い訳を始めた。曰く、自分一人で育てているから、名前がなくても不便ではない。何を付けたらいいか迷っている最中だ、と。
引きこもって数千年、10年温めた卵が孵って5年ほどか。ざっと年齢を見積り、さすがに迷っている最中はないだろうと苦笑いした。
「さっき、ロキちゃんがモリーって呼んだじゃない。あれ可愛かったわ」
リリスが笑顔で助け舟を出す。モラクスは大きく頷いた。あの呼び名は可愛いと思う。素直に同意し、娘にモリーを譲った。そんなモラクスの頭をぐりぐりと撫でて、ルシファーは立ち上がった。
「ならば、ベールやルキフェルにはオレから伝えておく。リリス、2時間くらいで迎えにくるぞ」
「分かったわ」
夫婦の会話が終わって立ち去ろうとするルシファーの黒衣の裾を、モラクスは反射的に掴んだ。というより、ドラゴンの短い前足で押さえた。
「ん? 大丈夫。ベルゼもいるし、リリスも守ってくれる。安心していい。不安ならオレを呼び出せ」
小さく頷いた。女性の友人はいなかったから、お茶会は興味がある。それに母親同士の会話なら、少し話せるかも知れない。何より、モリーの成長度合が普通なのか、確認したかった。モリーに友人も必要だと分かっている。モラクスはかなり勇気を振り絞った。
「あの、火竜のモラクスです。娘のモリーで生まれて5年くらいです」
膝によじ登る娘と自分を紹介した。モラクスの耳に、よろしくの声が届く。顔を上げれば、見知らぬ5人の女性が微笑んでいた。
イポスと大公女4人である。キャンプも終わったので、久しぶりの勢揃いだった。周囲の子ども達は元気よく走り回り、それを目で追い掛けるモリーの尻尾が、大きく左右に揺れる。
「イヴ、モリーと遊んであげて。イヴがお姉ちゃんだから、優しくね」
実際の年齢では逆だが、イヴは「お姉ちゃん」という単語に張り切った。近づいて手を伸ばし、モリーに抱き付く。
「私がお姉ちゃん、おいでモリー」
ちらりと母親の顔を窺ったものの、モリーは素直にイヴと駆け出した。足が短いので、浮いてズルをする。皆と混じって遊び始めた。マーリーンが上手に纏めて面倒を見ている。キャロルは興奮して甲高い声をあげ、全体をスイが見守った。危険があれば、注意してくれるだろう。
順番に自己紹介をする。肩書きや余計な言葉を交えず、名前と子どもの数くらいの紹介だった。イポス、ルーサルカ、レライエ、シトリー、ルーシア。新しい話題も交え、上手にモラクスを会話に入れる。口下手な彼女も楽しそうに加わった。
ベルゼビュートが精霊を使って宙に浮かせたお茶に手を伸ばし、じっくり味わう。お菓子はリリスとルーサルカが収納から取り出し、シトリーが風を使って配った。もちろん子ども達も届けられる。お礼を言って焼き菓子を頬張る子ども達は、誰もが笑顔だった。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、迎えに来た魔王ルシファーを恨めしく思う。そんな自分に驚くモラクスへ、ルシファーが誘いを向けた。
「魔王城の裏に空いてる洞窟がある。しばらく滞在しないか? 気に入ったら住んで欲しい」
かなり迷った末、滞在ならとモラクスは同意した。結局住み着く未来を、モラクス以外の全員が予測しているとも知らずに。




