361.身重の魔王妃失踪事件
キャンプそっちのけで騒ぐ魔王と一人娘が転移し、残ったイポスは対応に困った。
魔王妃の護衛が仕事なので、通常なら我が子を家に戻して向かうべきだろう。しかし現在は休暇中である。相談した先輩のヤンは「行かなくてよいぞ」と一刀両断だった。そこで割り切って「じゃあ、キャンプ楽しみます」と言えないのがイポスの性格だ。
キャンプを楽しみにしていた娘マーリーンの気持ちを考えると、置いていくのも後ろ髪を引かれる。そんなイポスのママ友になったプータナーは、からりと笑って指摘した。
「魔王陛下は同行しろと仰らなかった。そういうことさ」
イポスの手を借りたい状況なら、彼女の同行を望んだ。だが魔王ルシファーは自分達だけ消えた。その心を汲んで、我々はここに残るべきだ。それがプータナーの言い分だった。
「そういうものか」
「ああ。あの魔王陛下が、何も言わない。それは自信があるからだろう」
納得したイポスと、問題はすぐ解決すると笑うプータナー。同じテントで我が子にジュースを飲ませながら、グシオンは言葉を飲み込んだ。
たぶん、魔王様は慌てすぎて忘れたんだと思うぞ。護衛のイポスがいたこと自体、すっかり頭から抜けているだけ。グシオンがそう考える理由の一つが、テントの外でひ孫を遊ばせるフェンリルの存在だった。
いつもなら連れていくよな……余計なことは言わないけど。沈黙は金、イザヤに教わった格言を自分に言い聞かせ、グシオンは娘キャロルを着替えさせた。
その頃のルシファーは、転移に失敗していた。
「パッパ、おっきい水たまり!」
「海だな、なぜだ?」
海を目指した覚えはない。溜め息を吐いて、もう一度終点を設定し直した。今度は魔法陣を使い、きっちり飛ぶ。
「今度は大丈夫だった」
ほっとしながら、大急ぎで階段を駆け上った。緊急事態ということもあり、留守番のベールが部屋の状況を調べている。キャンプに参加したベルゼビュートは残し、ルキフェルはキャンプの護衛をドラゴン達に任せ、大急ぎで戻ってきた。
「魔法陣の痕跡はないね」
専門家であるルキフェルの断言で、誰かに攫われた可能性は下がった。そうなると、リリスのいない理由が分からない。魔王が留守の城を守るのは、妃であるリリスの役割だった。本人もそれを理解しているはず。
魔法陣を使わない魔法は、魔力しか残らない。ルシファーが探っても、第三者の魔力は感じなかった。眉を寄せて考えるルシファーの腕を、イヴがぺちぺちと手で叩いた。
「ん? どうした」
「パッパ、ママいた」
イヴが指さすのは、窓から見える大きな木だ。巨木と呼ぶ程ではないが、魔王城の庭にある魔の森の木々の中で、太い方だった。その幹を指差し、イヴはママと呼ぶ。
「もしかして、リリンと一緒か?」
「魔の森と……可能性はあります」
ベールが慎重に言葉を選んで頷く。魔の森の魔力も、部屋に暮らすリリスの魔力も残っている。だから調査対象から外されていた。その濃度を調べるようにルシファーが探査を行い、大きく息を吐いた。
「イヴの言う通りだ。リリスはあの木を通じて移動したらしい。ちょっと迎えに行ってくるから、後始末を頼む」
「承知いたしました。戻られましたら、魔王妃殿下にお話があります」
「あ、うん」
ベールがわざわざ肩書きで呼んだ。リリスの説教が決まった瞬間だった。騒ぎになってしまったのと、タイミングが悪かったな。説教が終わったら、慰めるとしよう。
自分は説教を逃れて、叱られて拗ねたリリスを慰めることに徹する。遠回しにリリスを見捨てている自覚はあった。妻を迎えにいくため、母の領域へ向かう。ルシファーはリリスの魔力を終点に設定して飛んだ。




