360.寂しかったので里帰りしてみた
部屋を見まわし、溜め息をつく。ルシファーとイヴはキャンプ場だし、アデーレは休暇中。ヤンとイポスもキャンプに参加してたわね。リリスは指折りして、残っている人を数えた。
「シトリーは残ってる」
妊婦同士、キャンプの参加を断られた。キャロルとグシオンがいないなら……あ、ネイトがいるわ。シトリーは長男が残っているので、一人ではない。残念と肩を落とした。
一人で寝るのが寂しい。考えてみたら、誰もいないのよね。そう思った途端、余計に寂しくなった。魔王妃でルシファーのお嫁さんだから、男性と一緒は問題だ。そのくらいは理解している。こっそりルシファーに会いに行こうか。呼んだら来てくれないかな。
魔がさすものの、緊急時でもないのに召喚するのは諦めた。いくら寂しくても、やってはいけないと思う。ぐじぐじ考えながらベッドに寝転んだ。広いベッドが、いつもの倍くらいに感じた。綺麗に整えられたシーツを撫でて、まだ膨らんでいないお腹をさする。
「シアやルカを巻き込めないわ」
ごろんと寝返りを打った。ゆっくり深呼吸して目を閉じ、何も考えない。眠れなくてもこうしていたら、体は休まるわよね。明日に……あ、会えるのは明後日だったわ。余計なことに気づいて、さらに落ち込んだ。
ふと、呼ぶ声がして起き上がる。テラスへ続くガラス扉へ近づき、そっと開いた。魔王城の近くまで茂る森の木がざわりと揺れる。葉擦れの音に耳を傾け、リリスはちらりと後ろを振り返った。誰もいない。
「いいわよ、今から行くわ」
手を伸ばしたリリスは、躊躇いなく魔力を使った。一番近くにある大木へ飛び、抱き付く。その姿はあっという間に木へ溶け込んで飲まれた。誰も目撃者はおらず、書き置きのひとつもない。
翌朝大騒ぎになるまでに戻ればいい。リリスはそう考え、連れ去った魔の森の母リリンは、キャンプで合流する明後日前に返せばいいと思った。僅かな思考のズレは、リリスが完全に魔の森から独立した存在になった証だ。
リリスの気軽な里帰りは、翌朝の魔王城を震撼させた。魔王の留守を預かる魔王妃が、部屋から消えたのだ。それも悲鳴のひとつもなく、護衛に立った騎士は誰も出入りしなかったと証言した。転移禁止の魔法陣が発動した城内で、魔王ルシファー以外に転移出来る者はいないはず。
混乱した魔王城の侍従長ベリアルは、魔王ルシファーへ使いを出した。何も知らないルシファーは、イヴを膝に乗せて朝食のパンを頬張る。イヴが千切って差し出すパンを口一杯に詰め込み、スープを娘の口に運んだ。その間にまたパンが千切られる。
「イヴ、パン以外も食べたいんだが」
「やだ!」
イヤイヤ期か? そういえばリリスもそんな時期があったな。懐かしく思い出し、工夫したあの頃の記憶を辿る。そんなほのぼのした光景に、転移で魔犬族の侍従が乱入した。
アベルと仲のいいフルフルだ。彼は短い両手を振り回して訴えた。
「魔王陛下におかれましてはご機嫌麗しく……なくなるかもしれませんが、ご報告します」
途中まで貴族らしい挨拶を口にして、慌てて報告内容を並べた。
「魔王妃殿下が昨夜……ん? 順番が違う。昨夜、魔王妃殿下がお部屋と、消えました」
慌てたのと生来のおっちょこちょいな部分が混じり合い、カオスな報告がなされた。ルシファーは「リリスが?」と眉を寄せる。
「部屋と消えた、部屋で?」
解読する能力に長けたルシファーは、事情をあらかた掴んだ。愛しい妻リリスが昨夜、魔王城内の部屋から消えた。きちんと翻訳し終わった報告の内容が、頭を駆け回る。
「リリスが消えた?! すぐに軍を動かせ、いやオレが動く。イヴ、パンとスープは後だ!」
「イヴは勇者だから、パン我慢する」
似た者親子は勢いよく立ち上がった。




