356.魔王を打ち負かす一人娘
迎えに行った部屋で、リリスは大量の荷物を準備していた。自分の収納に入れようと頑張っているところへ到着し、事情を尋ねる。キャンプで使用するつもりと聞いて、荷解きを始めた。
まずベッドは不要だ。棚や数十枚のワンピース、タオルや食器まで。すべて置いていくよう話をする。最初は嫌がったリリスだが、時間をかけて説得した。ようやく納得した彼女を連れて戻れば、まるで罰ゲームのような英雄譚の読み聞かせに膝を突く。
気の毒そうな顔のグシオンとシトリーは、何も言わずに後ろで付き合ってくれた。ようやく立ち直ってテントに足を踏み入れる。途端に枕を引きずって近づくイヴに退治された。
「魔王め! この勇者が……えっと、倒してやる」
えいっと全力で叩きつけられた枕は、やはり簡単に結界を突破した。退治された魔王ルシファーは、がくりと絨毯に座り込む。後ろからリリスが顔を覗かせ、お転婆娘イヴを抱き上げた。重くなってきた娘を奥のベッドへ座らせる。
まだ立ち直れないルシファーに苦笑いし、リリスはイヴの隣に腰を下ろした。顔が直接見えないよう抱き締めて、イヴに語りかける。
「イヴはルシファーが嫌い?」
「ううん、好き」
「でも退治しちゃうの?」
「魔王だから」
「どうして魔王だと悪いのかしら。勇者もそう。どちらも悪くないのよ」
幼いイヴには難しいのでは? 周囲のそんな視線を受けながら、再び口を開くリリスは昔話を始めた。
「私がイヴと同じくらいの頃、勇者の紋章が出たの。ここよ」
左手を示すが、今は何も残っていない。生まれ変わった時に綺麗に消えてしまった。その左手の甲を撫でるイヴは、目を輝かせた。魔王だけじゃなく、勇者も近くにいたのだ。
「ママがパッパをやっつけたの?」
「いいえ。ママはパパを愛したの。勇者と魔王は戦う存在じゃなくて、愛し合って子どもが出来たのよ。それがイヴ。だからイヴは勇者と魔王の子よ」
いろいろ間違っている。だがうっかり指摘も出来ない。普段なら止めに入ったり訂正する魔王は、まだ撃沈状態だった。浮上には何か足りないらしい。
「イヴは魔王も勇者も選べるわ。でも誰かを傷つけるなら、魔王にも勇者にもなれないの」
「めっ?」
「そう、めっ! なの」
叱る時の「めっ」を使って会話する母娘は、何か通じ合ったようだ。イヴは大きく頷いた。
「ちゃんと勇者と魔王やる!」
「そうして頂戴。まずは床で泣いてる魔王を助けてあげて」
ずるりとベッドから滑り落ちたイヴは、とことこ歩いてルシファーの前に座る。俯いて顔が見えない純白の魔王を見つめ、頭の下に潜り込む形で寝転がった。
「パッパ、ごめんね」
「魔王でごめんな」
まさかの魔王の謝罪、周囲が凍りついた。側近の大公を連れてくるべきか、慌てるグシオンだが、すぐにシトリーに止められた。
「多分大丈夫よ」
プータナーやイポスも心配そうに見守る。イヴは両手を伸ばして、ルシファーの頭を撫でた。
「魔王でいいよ。ママが勇者だもん。私は両方なる」
「両方?」
「うん。勇者で戦って、魔王で守るの」
イヴの中のルシファー像は、常に誰かを守るイメージらしい。傷ついた魔王の硝子のハートは、優しい娘の気遣いで回復した。顔を上げたルシファーに抱っこされ、イヴはリリスへ手を伸ばす。仲のいい夫婦の様子だが、ここでリリスが予想外の行動に出た。
「ルシファーも回復したし、狩りをしましょう!」
狩り? そういえば、キャンプのしおりに「食料は基本、現地調達」と書いてあった。魔族らしいスパルタキャンプは、のんびり遊ぶ時間はなさそうだ。
テントから顔を出せば、すでに各テントから選抜された親子が、食料調達に動いていた。
「遅れをとったみたいだ。急ごう」
食料調達班は、当然ながら妊婦のリリスとシトリーは選ばれない。ルシファーとグシオンが担当することになった。




