344.まだママにはならないと思う
保育所にいく前は「お姉ちゃんになる」と意気込んでいた娘は、帰ってきたら「お姉ちゃんが出来た」に変化していた。
迎えに行ったルシファーは首を傾げるものの相槌を打つ。幼子に反論してはいけない。一度聞いて納得した後で、きちんと尋ね直せばいいのだ。この辺りの扱い方は、リリス相手にしっかり学んだ魔王だった。
「そうか、お姉ちゃんが出来たんだな。誰がお姉ちゃんなんだ?」
この尋ね方なら、イヴも答えやすいだろう。もし言い間違いだったら、自分を示せばいい。お姉ちゃんになるのはイヴなのだから。本当に誰かが姉代わりに遊んでくれる状況なら、その子の名前が出てくるはずだ。
「アイカちゃん」
「なるほど。イヴよりお姉さんだ」
確かに年上だし、あの子は母親に似て面倒見がいい。任せても問題ないだろう。保育士も常駐しているのだから、トラブルが起きれば仲裁に入るはずだ。
抱っこされたイヴはご機嫌で体を揺する。母リリスの時は危険だから我慢するが、ルシファーの時は遠慮しない。絶対に落とさない父の腕で、半分立ち上がるようにして体を揺らした。
「ママは?」
「少し具合が悪いみたいだ。熱があるから休んでるよ」
「おねちゅ……」
むっと考える。動きを止めて固まった娘の背中をぽんぽんと叩く。
「明日には元気だぞ。だから今日はオレとお風呂に入ろうな」
「うん」
元気よく頷いたイヴを抱き抱え直し、二人で言葉遊びを始めた。よく似た仲間の言葉を選んで答える遊びだ。
「ヤン」
「セーレ」
イヴの言葉に、ルシファーが返す。近い種類のものを答えて終わり、次はルシファーの順番だった。
「アラエル」
「ぴよ!」
鳳凰同士で、これも正解。言葉が遅かったイヴのために、工夫した遊びだ。リリスはあまり得意ではないが、ルシファーとイヴはよくこの遊びをした。
「青」
「水」
空でも良かったかな。ルシファーはそう呟くと、イヴは首を横に振った。別に空でも水でも青い。
「茶色」
「みどり」
正解は自分達で決められるので、険悪になる心配はない。森の色だと判断すれば、今の答えは正解だった。イヴは次の言葉を悩み始めた。
「お姉ちゃん」
「イヴ」
これは難しい。お姉ちゃんになる人も、すでにお姉ちゃんの人も正解だが……イヴは大喜びした。これが望んだ答えだったのだろう。頬を寄せてキスを降らせ、ルシファーは魔王城の庭先にある保育所から戻った。
「ここから歩く」
「承知しました、お姫様」
靴でしっかり地面を踏み締め、イヴはルシファーへ手を伸ばした。少し屈みながら歩き始める。あと1年もすれば、手を繋いで歩いても違和感ないだろう。4歳という年齢に見合わぬ、幼い外見のイヴはよちよちと足を前に出した。
ぐらぐら不安定なので、周囲がはらはらしながら見守る。城で働くデュラハンに手を振り、エルフ達に挨拶した。イヴの行動に、昔のリリスを思い出す。城で働く者によく声をかけ、手を振って撫でられていたっけ。
「どうしたの、パッパ」
「いや、昔のリリスにそっくりだと思って」
「イヴ、まだママにはならないと思う」
違う意味に捉えて困った顔をする娘に、ルシファーは声をあげて笑った。それから膝を突き、イヴの頬にキスをする。
「そうだな、ママになるのは千年は早いぞ」
聞き咎めて顔を引き攣らせる魔犬族の侍従に気づかず、ルシファーは上機嫌で愛娘と歩き出した。その後ろで、ひそひそと噂話が始まる。魔王様の愛娘と結婚するには、千年以上の寿命が必要だと。やがて尾鰭背鰭がついて成長しながら泳ぐ噂は、魔王様に勝たないと告白権が手に入らないところまで膨らみ……数ヶ月かけて萎んでいった。




