334.鈍った? お前ほどじゃない
肩に触れる長さの銀髪をさらりと揺らし、青い瞳を細めて一礼するベール。幻獣霊王の名を持つ彼は、多彩な技と、繊細な制御能力の持ち主だ。ある意味、ルシファーにとって苦手な相手と言ってもいい。
「陛下、参ります」
珍しく槍を取り出したので、応じるためにデスサイズを呼び出した。背の翼も念の為に4枚へと増量しておく。昔から勇者との対峙や、大公との模擬戦では、必ず翼を外へ出していた。その理由が、普段は滅多に出さなかったからだ。
民は翼を力の象徴と認識する。魔王の謁見や、即位記念祭での挨拶に翼を出す行為は、民の要望によるものだった。12枚の羽は、民にとって強い魔王の象徴なのだ。
魔王妃リリスが容易に受け入れられた背景もここにあった。彼女に白い翼が一対あったから。幼子の背で動く小さな羽に、彼らは未来を見た。やがて生まれたイヴにも翼があると知り、魔族は歓喜したのだ。
ベールは薄い羽を広げると、息を整える。整った顔に愉悦の色が浮かんだ。普段は冷静沈着を絵に描いたような男だが、実際は真逆の性格をしている。魔王の座を賭けた争いで、もっとも苛烈な戦闘を繰り返したのがベールだった。
「参る」
「来い」
ベールがふっと息を吐いた直後、後ろに浮かべた魔法陣を蹴って飛ぶ。突き出した槍と同化した動きで、残像が残るほどの速さだった。それを紙一重で交わし、呼び出したデスサイズの刃で受ける。弧を描く銀の刃を、槍の穂先が滑った。
すぐに切り返し、槍の握りを翻すように操るベールが、蹴りを放つ。左腕で受けて、払った。ルシファーが一瞬顔を顰める。
普段の戦いは、常に結界を纏っている。それは魔王も大公も同じだ。しかし模擬戦ではその結界を解く。互いに同じ条件だが、いつもと同じ受け方をすれば体は傷ついた。ミシッと骨に響いた痛みを無視し、ベールが放つ次の攻撃に備える。
「鈍ったのでは?」
「お前ほどじゃない」
ルシファーが笑いながら、現場に出なくなったベールを揶揄する。魔王軍の総指揮を任された男が、書類仕事に多くの時間を費やす状況は、本来の形ではなかった。
すぐ行動に移すアスタロトに目を奪われ、勘違いする者がいるが、本来のベールは武官に分類される。ベルゼビュートと同じ、動くことを優先するタイプだった。アスタロトの方が文官としての素質は高い。
一度距離を置いたベールが、ひとつ大きく深呼吸をした。次の攻撃が来る。ルシファーは背丈を超える大きな鎌を、右手でくるりと回した。戦いが終わるまで治療しない左腕は、やや腫れていた。
「いけっ! ベール」
ルキフェルの声援に、口角を上げたベールの周囲に風が巻き始める。そこへ氷の粒が混じり、すぐに槍を中心とした魔法を形成した。攻撃に特化した魔法は、魔法陣を設置していない。先読みが出来ない魔法による攻撃に対し、ルシファーは愛用のデスサイズを振りかぶるように構えた。
「決着をつけるぞ」
ルシファーの宣言と同時に、ベールの槍が主君の首を狙う。振り下ろして防いだら間に合わない。誰もが息を呑んだその時、デスサイズがくるりと姿を変えた。
双頭の黒犬、それはケルベロスと呼ばれる形態であり、自由意志で動き回る武器だ。咆哮を上げるケルベロスが槍の穂先を加え、大きく振る。割れた穂先が飛び散り、魔法の軸がブレた。
「っ!」
氷の旋風を纏った槍は粉々に砕け、その余波でベールの衣装が切り裂かれる。同じ風がケルベロスとルシファーを襲い、すぐに消え去った。傷ついたケルベロスに、ルシファーが治癒魔法をかける。
「すみません、制御し損ないました」
「いや、お前をそこまで追い込んだなら、上々だったな」
にやりと笑うルシファーに、ベールは「私の負けです」と戦いの終了を宣言した。




