329.私、来月からお休みをいただきます
雨により鎮火したことで、薬草の臭いも収まっていく。周囲の騒動が落ち着いたのを確かめて、ルシファーは炎の精霊に近づいた。湿気で弱った炎の頭部分をぽかりと叩く。
「オレを攻撃するのは認められるが、周囲を巻き込んだら失格だぞ」
「すみません」
素直に謝った精霊は、煙も出さずに薬草を炭や灰にした。これから魔獣達に謝ってくると言うので、謝罪に条件を出す。彼らが困ったとき、炎の精霊が助けてやること。魔力はあっても魔法が使えない魔獣にとって、炎を操ることは不可能に近い。
必要な時に火を貸してやって欲しい。願われた内容に、ライアットは頷いた。それから魔獣達と約束を交わし、一礼して下がった。残念ながら褒美はないが、精霊女王であるベルゼビュートは苦笑いして受け入れた。
「失敗したわね。でも次の機会を狙いなさい」
「はい」
しょげた炎の精霊の頭をぐりぐりと乱暴に撫でて、ベルゼビュートは無責任に請け負った。
「あなたの仇はわたくしが討つわ」
「その前に首を落としましょうか」
ぞくりと背筋が凍るような声で、アスタロトが釘を刺す。剣と変わらないような太さの釘に、ベルゼビュートの顔が引き攣った。
「や、やだわ。言葉の綾よ。彼を励ますための、リップサービス」
「ベルゼ、それは彼が可哀想だ」
ルシファーが、項垂れた炎の精霊を擁護する。前門の虎ならぬアスタロト、後門の狼ならぬ魔王ルシファー。挟まれたベルゼビュートは、開き直った。
「はっきり言わせていただきますけど、精霊がミスったのを慰めるのは女王たるわたくしの役目よね? なんでアスタロトが口を挟むのよ。越権行為だわ。それに、陛下だってわたくしを責める前に、止める方法をもう少し考えてくれてもよかったんじゃありません?」
「ベルゼ姉さん、命が惜しかったら口を噤んだほうがいいわ」
珍しく空気を読んだリリスの指摘に、ふんぞり返って一気に捲し立てた精霊女王は青ざめた。慌てて転移で消えようとするも、あっさり巻き毛を吸血鬼王に捕獲された。
「いたっ、痛い」
「もう一度、同じ言葉をいただけますか?」
満面の笑みで詰め寄るアスタロトへ、悲鳴をあげるベルゼビュート。カオスな状況に、思わぬ助け舟が入った。
「アスタロト大公閣下、大切なお話がありますの」
「何でしょうか、侍女長」
夫婦なのに役職で呼び合う二人の間で、リリスがきょろきょろと顔を見る。ルシファーがそっと腕を引き、抱き締めた。あの場所はなんだか危険だ。
「私、来月からお休みをいただきます」
「は?」
「え……」
「嘘っ!」
関係者からさまざまな声が上がる。魔王城の侍女長であるアデーレは、さまざまな部署に通じている。魔王の私室に入る許可を持ち、魔王妃リリスの教育係を勤め、専属の侍女として仕えた。城の侍女達を束ね監督する重要な役割を持っている。
アスタロト大公夫人であり、城の要の彼女が休職を申し出たことに、ルシファーも青ざめた。彼女が休んでしまったら、城の業務が回らなくなる。
「休職の理由、は?」
掠れた声で確認する魔王へ一礼し、再び夫アスタロトに向き直った。意味ありげに腹を撫で、微笑む。
「心当たりがあるわよね、あなた」
「まさか!?」
さすがのアスタロトも驚きに目を見開く。その視線が、彼女の腹部に注がれた。つまり、そういうことだ。下品な表現をするなら、注いだのは視線だけでなかった――失言魔王ルシファーも無言を貫く。ここで余計な一言は、文字通り命取りだった。
「ええ、できちゃいましたの」
やっぱり……というか、どうして衆目の的になる場で発表した? 集まった魔族はほぼ全員が、同じ疑問に首を傾げた。




