291.職場復帰に反省しきり
ルシファーが、着々と家族との時間を増やす手筈を整える間に、重鎮である側近の休みが終わった。ずっと起きていたため、久しぶりの充実した眠りを堪能した彼は機嫌がいいはず。誰もがそう思っていた。
「戻ってきたか、アスタロト」
ルシファーは仕事開始予定の時間より、5分早く顔を出した。アベル曰く、日本では仕事絡みは5分前に行動するらしい。取引相手の印象が良くなるのだとか。個人宅を訪問する際は5分遅れて行くのが礼儀、そう付け加えられ首を傾げた。
相手はぴたりの時間に合わせて準備する。だが大抵は何か忘れており、思い出して慌てるそうだ。その修正時間を読んで、5分遅れて行くと聞いて、なるほどと納得した。日本人とは気遣いの種族らしい。過去にこの世界に落ちて来た人族が、全部日本人なら、今も仲良く暮らせていただろう。
「おはようございます、ルシファー様」
アスタロトの顔色がいい。やっぱり寝不足は良くないな。以前のように定期的に休めるよう、予定を組んでやろう。そう決めたルシファーだが、予定を崩すのも彼である。その自覚はなかった。
「書類はきちんと処理してくださっていたようですね」
すでに文官から報告を受けたらしく、手元にある書類に目を通すアスタロトに胸を張った。
「もちろんだ。アスタロトがいないからと、城の業務を滞らせるのは魔王として情けないからな」
「ご立派です。私が出仕しなくても、きちんと処理できるようになれば完璧ですね」
珍しく嫌味もマイルドだ。これは相当機嫌がいいのだろう。前日から手配した掃除が行き届いた執務机に座り、ぐるりと見回す。掃除用具を置き忘れたりも……ないな。侍従ベリアルの仕事ぶりに頷き、ルシファーは積まれた書類に手を伸ばした。
今日の書類は低い。厚さにして中指から手首くらいまでだった。これなら午前中に終わらせて、午後は愛しいイヴのお迎えに行ける。お昼はリリスと一緒に食べられそうなので、ベリアルを読んで伝言を頼んだ。
久しぶりに夫婦でゆっくり散歩でもしようか。心弾むルシファーは、手元の書類に赤でバツを記した。適当な処理に見えても、きちんと内容は確認する。受理できない案件は、バツを付けて返却箱へ放り込んだ。
いつもより書類の分類が丁寧で、仕事が捗ることに気づき、そっと目で様子を窺った。
「お前、何時に来た?」
「夜明け頃ですね」
さらりと就業前の、とんでもない時間を告げられる。いくら今日から仕事に復帰すると言っても、張り切り過ぎじゃないか?
「早過ぎないか」
「ルシファー様が書類を溜め込んでいると思ったのです。分類や処理の目処を付けるつもりでしたが、綺麗に掃除も行き届いており、書類は積まれていませんでした」
「あ、うん」
めちゃくちゃな執務室を想像し、片付けようと思ったらしい。過去の自分の行いを振り返れば、間違ってないのが辛い。迷惑をかけて来たんだと反省するルシファーを横目に、アスタロトは口元を緩めた。
この反省、何度目でしょうね。50回くらいまでは数えたのですが……最近は面倒なので数えていませんでした。それでも反省しないよりマシ。しばらくは大人しく執務をこなしてくれるはずです。過去の経験から判断し、アスタロトは手元の書類処理に戻った。
数時間後、ルシファーの予想通りお昼前に書類を片付けた彼に「構いませんよ」と許可を出す。ゆっくり睡眠を取ったり、妻と過ごすのもいいが……この忙しい日々も悪くない。そう思う自分がおかしくて、アスタロトは声を上げて笑った。
うっかり通りかかった魔犬族の侍従フルフルが尻尾を丸めて怯え、上司ベリアルに報告する。曰く「アスタロト大公閣下が壊れた」と。数時間、誰も寄りつかない執務室で、アスタロトは快適に過ごしたらしい。




