289.ですから変色性と申し上げました
ここにルキフェルがいたら、変色性について滾々と語られただろう。幸いにも彼は席を外しており、ルシファーは長い説明から逃れることが出来た。そんな幸運などつゆ知らず、ベールに分厚い本を手渡されて眉を寄せる。宝石関連の詳細が記された本は、ずっしりと重かった。
「過去の産出鉱石の一覧です。特性も載っていますので、よくご確認ください」
むすっとしながらも、ぺらぺらと捲って該当箇所を探す。何だかんだ、素直なルシファーだった。知らないことを知らないと口にし、教わることを当たり前だと認識している。この資質がなければ、とうに魔王の座を追われていた。目当てのページを見つけ、じっくり読んだあとで溜め息を吐く。
「色が変わるなら、変わると言えばいいじゃないか」
「ですから変色性と申し上げました」
話が通じていない。こんなやりとりも慣れているベールは、それ以上不毛な言い争いをしなかった。この辺は魔王城の上層部共通である。意義のあるやりとりでなければ、気分が悪くなるだけ損と考えていた。ある意味、真理をついている。
「別の石にするか」
うーんと悩む。リリスはピンクサファイアを選んだので、同じピンクでは芸がない。そのため赤紫を選択したのだが、まさか色が変わるとは。
「難しいですがやりがいはあります」
アラクネが声を上げれば、靴担当のケットシーも頷いた。
「両方に似合う色、グラデーションや変色性を持った素材を使いましょう」
石の種類で悩んでいる間に、ドレスや靴を作る職人集団は、何かを納得してしまった。口を挟む間もなく、互いにデザインの相談を始める。難しい案件ほど、全力投球で攻略したくなるらしい。ルシファーは首を傾げた。簡単なら、その方がいいと思うが……。この時点で、職人に向かないと確定した魔王陛下だった。
「ではお任せします。スプリガンの皆さんには、先に原石をお渡ししておきましょう」
「お預かりします」
一際大きな原石……これから削って磨いて小粒になり、さらに加工されていく。小人系のスプリガンが受け取ったせいもあるが、原石は驚く大きさだった。あのベールが両手で取り出すサイズである。両手で包んでもはみ出す巨大な原石は、すでにあらかたの研磨を終えていた。
「よいせっと」
苦労しながら、収納魔法に似た運搬用バッグに原石を押し込む。収納空間は中の刻が止まるが、運搬魔法はその制限がない。生き物でも運べる利点があった。別空間へ入れるわけではないので、大きさは変わらないが重さは消える。
軽いバッグを何人もの小人が担いで運ぶ姿は、不思議な愛らしさがあった。重さがないと知りつつ、手伝いたくなる。宝石の研磨は時間がかかるので、スプリガンの職人達はひと足先に退室した。
「お人形みたいよね」
「ああ。それだ!」
何かに似てると思いながら見送ったルシファーは、リリスの例えに頷いた。大量に並んだ頂き物の人形が、ちょうど同じくらいの背丈だった。
「魔王様、忙しいのでデザインを先に決めましょう」
時間がないと急かされ、魔王夫妻はデザイン画を広げたアラクネに近づく。巨大な女郎蜘蛛タイプの彼女らは、絹を特殊な蚕から作り出す技術で有名だった。正装関係はほとんど独占状態である。
「織り方を変えて、変色性を再現しますので布のご心配は不要です。形だけ決めてください」
必要な布の量だけ先に決めないと、蚕はある日突然大量の糸を吐いてくれるわけじゃないのだ。数十枚のデザイン画と格闘する夫妻を見ながら、ベールは予定表を確認した。
アスタロトが2日後に復帰するので、後は任せるとしましょう。引き継ぎの書類を作らなくては……空いている机で、ベールは淡々と作業を始めた。即位記念祭初日まで、あと半年を切っている。手配するアスタロトの不在を痛感しながら、書き終えた引き継ぎ書をベールは満足げに確認した。




