272.視察という名の家族サービス
リリスのように急速な成長がなかったイヴを、まだ見守ることができる。巻き返しは可能だ。ルシファーはそう考えることにした。悩んで悔やんでも、時間を戻す魔術はない。
「イヴ、パパと遊びに行こう」
「ぱっぱ!」
視察に向かうので、リリスと一緒に準備を整えた。書類処理は先日まとめて終わらせたので、数日は猶予がある。泊まりがけの視察は久しぶりで、気分が浮き立った。転移魔法陣を設置したため、どこへ出張しても日帰りが可能になった。
しかし今回は、温泉街にある屋敷に泊まる予定である。屋敷の点検も兼ねて、新しく湧いた湯の確認が宿泊の名目だった。視察の一環という体を取ったのだ。そこまでしなくても、普通に休暇を取ればいいのだが……3年間も配下を働かせた手前、バツが悪いらしい。
実際のところ、アスタロトは長期休暇を申し出た。2ヶ月ほど寝倒すようだ。普段はほとんど睡眠を必要としない吸血鬼王だが、まとめて眠る時期が近づいた。それに合わせ、今回は妻のアデーレも1ヶ月の休暇申請を提出している。
「アデーレ達、次の赤ちゃん産むのかしら」
「は? そんな話になっていたのか」
知らなかった。だが、前から娘を欲しがっていたし……ルーサルカを養女にして諦めたのかと。そうか、でもアデーレも出産は百年ぶりくらいだろう。あれこれ仕事のスケジュールも調整しないといけないな。
「ルシファー、まだ休暇前だから、子どもは出来てないわ」
「ああ。そうだった。つい先走ってしまって」
出産の原因となるあれこれがまだなのに、早くも育児休暇を考えてしまった。苦笑いし、リリスと手を繋ぐ。イヴは覚えた浮遊が楽しいらしく、ふわふわと漂っていた。もちろん、きちんと迷子紐で繋いでる。
「リリス、イヴ、飛ぶぞ」
「いいわ」
「あい、ぱっぱ」
友人との遊びで覚えた敬礼に似た仕草をする娘に微笑んで、転移魔法を発動する。ぽんと現れた先は、ミヒャール湖畔だった。
過去に海を見張る名目で作ったリゾート施設だが、しっかり活用されている。魔族は誰もが自由に使用可能で、運営費は魔王城から支出された。侍女達が定期的に掃除に訪れ、侍従も消耗品の追加に顔を見せる。そのついでに、休憩時間を湖畔で過ごす姿も珍しくなかった。
「うわっ、混んでるな」
驚くほど混雑している。海の潮風でベタついた肌や髪を洗うお風呂や、休憩所として作った建物は満員御礼だった。視察用のシートに「追加開発の必要あり」と記載する。
湖は真水が沸いているので、お風呂のお湯はここから汲み上げた。排水の処理は、近くに作った池経由で行われる。と言っても、そこは魔法が得意な魔族の施設だ。立派な魔法陣により、定期的な浄化が行われていた。その動力となる魔力を、お風呂の利用者から徴収する仕組みは、なかなかに画期的だった。
利用した者が、その汚れを浄化すればいい。考えてみればその通りだった。浄化の魔法陣が使えない者もいるが、彼らがお風呂に浸かる間に魔力を少量回収させてもらい、まとめて浄化用として流し込む。これなら魔法陣を直接扱わないため、誰でも利用が可能だった。
「大人しくせよ、こらっ!」
聞き覚えのある声に湖をみれば、興奮した魔狼の子達が群れで飛び込む。統率役として、ヤンが同行していた。叱る声に慌てて浮かび上がり、泳いで戻ってくる。言うことを聞かずに遊ぶ子は、ヤンに捕まって首を噛まれた。ぶらんと両手足を垂らした姿は反省しているのか、耳や尻尾も大人しい。
近くで巨大ドラゴン同士がケンカを始め、片方が湖に突き飛ばされた。派手に水飛沫と悲鳴が上がるものの、すぐに歓声に変わる。水飛沫で見事な虹が現れたのだ。
「賑やかだが……リゾートってのはこんなものだ」
うん、頷いて納得したルシファーは「大きな問題なし」と書いて報告書を城へ飛ばした。
「さあ、オレ達も遊ぶか!」




