267.妻と教育方針でもめた
「あ、魔王様だ!」
ルーサルカと手を繋いだアベルが駆け寄ってくる。日本人の彼は、魔族の中でも寿命が短かった。そのため外見にも変化が出ている。まだ子どもの幼さがあった顔立ちは、精悍になった。髭を生やしたので、余計に外見年齢が上がっている。
「アベル、髭を生やしたのか」
「これでも父親っすからね」
よく分からない理論だ。それでいくと、子どものいる既婚男性は髭面ばかりになる。首を傾げるルシファーだが、追求はしなかった。お祭りムードのほろ酔い男と話しても、おそらく翌日は忘れている。
宴会での無礼や喧嘩は、翌日に引き摺らないのがルールだった。こうした決まりは、何か事件が起きるたびに追加される。代わりに不要になったルールも撤廃されてきた。
「神隠しは、日本人の言葉だったな」
「そうっす。でも隠された先で、神様を見なかったって聞いたですけど」
「ん? ああ、神とやらはいなかったが、ホムンクルスに似た小人はいたぞ」
どんな感じだったか説明し、彼らは現地に残してきた。あの地で生まれ育った彼らを、勝手に連れ帰るのは失礼だろう。魔力を込めた魔石を数個贈ったら、大喜びだった。あの世界では貴重なのだという。
「アベル、酔いすぎじゃない?」
「まだ飲めるって」
夫婦の会話を微笑ましく見守った。イザヤとアンナ夫妻も合流し、周囲はさらに賑やかになる。
「お帰りなさい、魔王様」
「大変でしたね」
労われて気づく。そういえば、誰も褒めてくれてない。追った先が異世界で、子ども達を探して全員連れ戻ったのに。愕然とした後、拗ねた口調になるルシファーにリリスが手を伸ばす。目一杯背伸びしても届かず、頭二つ分ほど空中に浮いて、純白の髪を撫でた。
「よく頑張りました。戻ってきてくれてありがとう、ルシファー」
嬉しそうに頬を緩める彼の様子に、ベールが眉を寄せる。隣でコカトリスの唐揚げを担当するアスタロトに、さっと合図を送った。二人の視線の先で、ルシファーはにこにこと美貌の笑みをばら撒いている。
「完全に酔ってますね」
「分離はどうしますか」
「私は放置します。珍しく酔っているなら、そういう気分なのでしょう」
アスタロトの言葉はもっともだ、とベールは納得した。実際のところ、ルシファーは体内のアルコールのコントロールを忘れていただけなのだが……ほろ酔いになって気分が上向くと、さらに酒に手を伸ばした。リリスが幼い頃は自制したし、いざとなれば酒精を一瞬で消せる。その油断が思わぬ事態を招く。
「ルシファー、コカトリス食べたいわ」
「じゃあ、アスタロトのところへ行くか」
イザヤ達と別れ、空中散歩中の愛娘イヴの迷子紐を引いて歩き出す。迷子紐は、空を飛ぶ竜族の子に使おうと開発された。その後ハルピュイアや精霊族など、羽や翼のある種族に愛用される一品だ。後ろ向きに引っ張られるイヴが、ぶぅと頬を膨らませて……いきなり炎を吹いた。
「うわっ!」
「イヴ? ダメよ、巨人族のおじさんの服が燃えちゃうでしょう」
驚いたルシファーをよそに、リリスは慣れた様子で嗜める。近くにいた巨人族に謝ると、快く許してくれた。樽で酒を飲んでいるので、お詫びとしてワインを差し入れる。ダメと聞いて、イヴは大人しく炎を飲み込んだ。まだ、ぷすんぷすんと黒煙が鼻から漏れている。
「……うちの娘が火竜に……?」
「炎はここ1年くらいね、遊び友達のキャロルに習ったみたい」
火竜ではなく、火龍の方だった。父グシオンに似たシトリーの娘は、とんでもない遊びを教えたらしい。紐を引っ張って招き寄せ、リリスは我が子を腕に抱いて叱る。
「人が大勢いる場所で炎を噴いたら、誰かがケガをするでしょ? そんな悪いことすると、お尻を炙りますよ」
「いやいやいや……物騒だろ」
「痛い目を見れば二度とやらないわ」
教育方針をめぐって、魔王夫妻は対立する。体罰に該当するか否か、エルフや吸血種、魔獣まで引っくるめて議論した挙句……結論が出ないまま、夜明けを迎えた。その時点で起きて議論していたのは、わずか2割ほどだ。残りは芝の上で爆睡していた。




