173.海王は人望がまったくなかった
降伏を申し出たのは、あの場にいる全員として受け入れられた。代表としてタコが交渉役に名乗り出る。
「降参します。命を保証してください」
ぺこりと頭を下げるタコの足は、5本しかなかった。降伏を宣言する前にアスタロトに切り落とされたのだ。慌てて「降伏します、助けて」と叫んだことで、残りの足を死守した。その際に舌打ちしたアスタロトが「娘のタコ焼き用に3本確保したので、よしとしましょう」と呟いたことで、海の生き物は震えあがった。
陸の上は怖い。海では強者に分類される巨大タコを捕まえて、その足を食べると言うのだ。過去に倒されたイカも、きっと食われたに違いない。ぶるりと震え、見守っていた魚や貝など全員が降伏を宣言した。おかげで戦おうにも敵が消えたアスタロトが、不満たらたらでルシファーの元へ戻り、ルキフェルとの話を小耳に挟んでしまった。
「すでに切り落とした手足は返せませんが、構いませんか?」
娘が美味しく頂くので……そんな副音声が聞こえ、震えあがった海の住人達は首を縦に振った。勢い良すぎて、何度も振っている。タコは泣きたい気分だが、うっかり足を返してくれと言ったら本体ごと食べられるのではないかと怯えた。
「か、構いません」
「海王というのは、どこでしょう」
「えっと……海の底に隠れています」
サメがつるりと喋ってしまう。隠し立てして、殺されたくない。探しているのが海王なら、さっさと差し出してしまおう。そんな本音が透けて見えた。アスタロトにとっては好都合だ。庇い立てされると面倒だと考えていたため、見せしめに海岸に干しておこうと笑う。
これが地上なら、と想像してアスタロトは後ろを振り返った。外交を任せたルシファーは、目を伏せて腕を組んでいる。空中に浮いているが、間違いなく惰眠を貪っていると思われた。もし彼の居場所を同様の方法で尋ねたら、誰もが魔王城の位置を知らせる。
それが最強の魔王への敬意の示し方なのだ。代わりに戦って時間を稼いだり、居場所を誤魔化す必要はなかった。まさか、海王も同様の可能性がある……?
にやりと怖い笑みを浮かべたアスタロトは「それならそれで」と呟いた。構わない、それなら私が倒せばいい。見ないふりをする魔王軍の精鋭達は、視線を海の波や魔王の背に固定した。アスタロトと目を合わせることが恐怖なのだ。
「海王の情報をいただけますか? そうしたら捕虜としての待遇を保証し……」
「えっと巨大イカです」
「血が出ると泣きます」
「強そうですが弱いっす」
「巣穴に逃げ込まれると、引っ張り出すのが大変ですよ」
籠城戦が得意な巨大イカで弱者――十数人が話した結果を集約したアスタロトは、得られた結論に眉を寄せた。なぜそれが王なのか、尋ねた返答は意外なものだった。面倒だから誰も引き受けず、消去法で彼に決まったらしい。ババ抜きのジョーカー扱いである。
「では引っ張り出しに行きましょう」
案内役を申し出たサメと連れ立って、アスタロトは海へと潜る。見送ったルキフェルが、隣のルシファーを見上げた。まだ腕を組んで偉そうに浮いている魔王の袖を引っ張る。
「ん?」
「アスタロトが海へ入った。海王を倒して来るってさ」
「そうか……はふっ」
口を開いたことで欠伸が出てしまい、慌てて手で覆う。その姿は、隣の側近と「これからの殺戮方法」を話し合う魔王だった。そうでなければ、悪だくみをしているように見える。眠いせいで目つきの悪い魔王ルシファーは、海の生き物達に盛大な恐怖を振り撒きながら、もうひとつ欠伸した。




