第14話 少女の遺体
エリスはベラクールを貫通していた腕を引き抜く。
その拍子に、貫かれていた男が支えを無くして力なく地面に倒れこんだ。動く気配もない。
それを確認した後、エリスは相手の血で汚れた腕に顔を顰めつつ、腕を振って血を払う。
そこで微かに声が聞こえた。
倒れているベラクールだ。
「……お、まえら……は……みなごろ、し……だ」
「まだ生きていたか」
身体の中身がごっそりと無くなっている筈なのに生きているベラクールに、エリスは驚く。
彼女が見るに、明らかに即死しているであろう負傷だ。
だが、それでも男は生きていた。それは男の執念といえるだろう。
「ネル、ソン様……が、かな……らず、お前ら……を……みな、ごろ……しにす……る」
「…………」
血を撒き散らしながら、男は話すのをやめない。
呪詛のように、彼はエリスへと呟く。そして嗤う。
「恐怖、しろ……獣、ども……」
そう言って、ベラクールは歪んだ笑みを残したまま息絶えた。
不吉な言葉を残して。
「ネルソン、か」
エリスはポツリと呟いた後、ハルバードを再度生成した。
暫くは壊れた状態のため鈍器代わりとなるが、それを気にせずに残っている敵の掃討を行う。
指揮官のいなくなった軍ほど弱いものはない。
包囲と指揮官の敗北によって混乱を極めたレニエアルド軍が壊滅したのは、それから間も無くのことだった。
「終わった、のか?」
「はい、帝。この度の決着、我らの勝利です」
「そっか……」
秋貴の呟きにウォーレスが答える。
指揮官が倒れたという事で瓦解したレニエアルド軍の処理を、前線にいたウォーレスは他の者に任せて秋貴の元へと戻ってきていた。
すでにウォーレスの雰囲気は、戦いが始まる前に戻っている。
「これから、どうしようか?」
秋貴は、死体が其処彼処にある光景を見ながら言った。
その声はどこか虚ろだ。
「そうですな。まず、生き残っている敵を捕虜として捕えて尋問し、情報を集める必要があります」
ウォーレスはそれに答える。
尋問という言葉に咄嗟に反応する秋貴だったが、結局口を開かずに頷くだけに留めた。
殺しを扇動しておいて、尋問に口を出すことの愚かさに気づいたからだ。
そして、終わった後の虚しさが秋貴の心を曇らせてもいた。
助けようとしていた人を助けることができなかった。
それが、思いの外秋貴の心の負担となっていた。
そんな秋貴を見て、ウォーレスは気付いているのかいないのか、彼の近くに寄ると恭しく頭を下げて口を開いた。
「帝、その御方は我が丁重にお棺に入れてまいります。他のグランディアの者たちも同様に」
「……うん、お願い」
いつまでも少女の亡骸を抱いているわけにもいかない。
秋貴はウォーレスの言葉に従って、少女を渡す。
この後、少女の遺体は作られた棺に収容されるようだ。
ウォーレスは壊れ物を扱うかのように丁寧に少女を受け取り、抱き上げる。
それから、秋貴に申し訳ないというように言った。
「アングリフ殿は簡易天幕にて治療を行なっております。じきに目がさめるでしょう。その時に、辛いとは思いますが……」
「そうだね。これは、俺が言わないといけないんだろうね」
「申し訳ありませぬ。我の代わりにゴットハルトを同行させます故」
ウォーレスはそこで暫しお待ちを、と秋貴に言うとお辞儀をしてからその場を離れる。
そして言われた通りに少し待っていると、ゴットハルトが現れた。
どうやら彼を呼んできてくれていたらしい。
その魔法騎士は厳つい表情をしつつも膝をついて秋貴に最上礼をする。
「ゴットハルト、ただ今御身の前に参上いたしました」
普段であればこんな仰々しい挨拶に秋貴はしどろもどろになってしまうところだが、今は兎に角この後の事で頭がいっぱいな彼は、気の無い返事でゴットハルトに言った。
「うん。早速だけど、グランディア帝国の生き残っっている人の所に行きたい。頼める?」
「はっ!」
それでもゴットハルトは秋貴の言葉に従い、彼をアングリフの元へと案内する。
そして辿り着いたそこは、ウォーレスの言う通り白い布で作られたシンプルな天幕だった。
そこから医師であろう白い服を着た人物が丁度天幕から出てくるのを確認した秋貴は、その人物に声をかける。
「アングリフ軍団長の容態はどうかな?」
「おお、これは陛下! 丁度お伝えしようと思っていた所です」
声をかけられた医師は、秋貴を見ると驚きつつも喜ぶように口を開く。
「伝えたい事?」
秋貴はそう返すが、医師の嬉しそうな表情から予想はできた。
「はい、アングリフ軍団長殿が先ほど目を覚まされました。怪我の方も命に別状はなく、足の怪我さえ良くなれば問題なく動けるようになりましょう」
「それは良かった」
「ただ……」
「?」
良い報告に多少安堵した秋貴だったが、医師が言いにくそうに言葉を濁したのに首を傾げる。
「グランディア帝国の王の事を、陛下に頼みたいと……」
「…………」
来たか、という思いで秋貴に緊張が走った。
アングリフは途中で気絶してしまったために、彼女が亡くなってしまったことを知らないのだろう。
だからあの軍団長は、ヒオウを未だに頼みたいと秋貴に伝えようとしている。
それが既に叶わぬことだと知らずに。
「陛下、大丈夫でしょうか?」
「……うん、大丈夫。ありがとうゴットハルト」
厳つい表情を浮かべたまま声を掛けるゴットハルトに、秋貴はお礼を言って大丈夫というように手を振る。
ここで言わなくてもいずれアングリフに彼女が死んでしまっている事が耳に入るだろう。
ならば、それを今ここで秋貴自身が告げる方がまだ良い。
嫌なことを伝えるというのは殊の外精神に負担を強いるが、それが相手に対する誠意だろうと秋貴は思っていた。
「では、私はアングリフ軍団長殿に陛下が来られたことを告げてまいります」
「分かった」
医師は秋貴のそんな気持ちを察してか、恭しく頭を下げてからアングリフの下へと戻っていった。
そして少ししてから医師からどうぞ、と声を聞いて秋貴とゴットハルトも天幕へと入る。
秋貴の目に映ったのは、何枚かの布を敷布団にした簡易ベッドに上半身だけを起こした白い獅子の姿だった。
まさに、秋貴がゲームのイラストで見た姿そのものだ。
だがその姿も、かなり激しい戦いをしたせいか白い体毛に走る傷がどこか生々しい。
それでもそんな事を気にせずに、アングリフは上半身だけを折り曲げて秋貴に礼をした。
「この度は、助けていただき感謝の念に堪えません。普段ならこちらから赴かねばならないところ、そしてこのような姿であることをご容赦いただきたい」
「あ、いや……いいんだ。気にしていない」
真摯な言葉とその態度に、秋貴は首を振ってこたえる。
見た目が巨漢で尚且つ獅子の獣人という、秋貴からしてその容姿は十分恐ろしい存在なのだが、誠実なその姿が不思議と恐怖心を抱くことはなかった。
そんなアングリフは直ぐに顔を上げると、秋貴と会った時に既に言うことを決めていたかのように口を開く。
それは、秋貴自身が真っ先に言わなければいけない事でもあった。
「ウルスラグナ皇国のアキタカ陛下にお願いしたい事があります。我がグランディア帝国の王であるヒオウ陛下を救っていただきたいのです」
「…………」
真っ直ぐに秋貴を見つめるアングリフは、丁寧な言葉ながらもどこか焦っている様にも見える。
それはきっとまだ彼の王が無事かどうかを確認出来ていないからだろう。
秋貴は唇を噛み締めて俯いた。
アングリフの言葉に答える為に口を開こうとしたが、上手くいかない。
「陛下……」
ゴットハルトが心配そうに声を掛ける。
その声が、秋貴の代わりに伝えようと悩んでいるのが何となくわかった。
だが、これだけは言うと決めているのだ。
他の者に任せてしまっては、皇帝として演じているとはいえ、上に立つ者として立つ瀬がない。
秋貴は一度呼吸を整える。
そしてアングリフをしっかりと見て、彼に告げた。
「アングリフ軍団長。貴方の願いを叶えることは出来ない」
「っ!? ど、どうしてか理由を教えていただきたい!」
秋貴の返答にアングリフは自分の怪我の事も忘れて立ち上がろうとしたが、医師が慌ててその身体を押さえる。
それでもアングリフの力は余ほど強いのか、医師を半ば引きずるかのように秋貴に近づこうとしたところで、ゴットハルトが前に立ち塞がった。
「それ以上陛下に近づくことは止めていただきたい」
「くっ!」
アングリフは顔を歪める。
無意識に秋貴に伸ばしていた手も遮られたことで行き場を失って下におろした。
その地面に下ろした腕は、かなり力が入っているのか震えており、拳からは皮膚が破れたのか血が滴り落ちていた。
また、無理に歩こうとしたことで怪我した足からも傷が開き血が滲んでいる。
その姿が、彼の王であるヒオウをいかに慕っているかが秋貴にも伝わった。
それでも、彼には伝えなくてはならない。
残酷な言葉を、秋貴はゴットハルトの前に出てアングリフに伝えるために口を開いた。
「……彼女は、もう亡くなった。だから、叶えることは出来ない。すまない」
「…………」
その言葉を聞いた瞬間、アングリフはまるで生気が抜けたような顔をして秋貴を見ていた。
まるで、耳には入っていても脳が理解を拒んでいるかのように固まったまま動かない。
その様子を見て、秋貴の後ろにいたゴットハルトが腰に差している剣を握った。
アングリフが錯乱して暴れるかもしれない。
その考えからゴットハルトは秋貴を守るために、目を光らせてアングリフの一挙手一投足を注目していた。
だが、アングリフは錯乱して暴れることもなく、下を向いているだけだ。
「彼女の遺体は今、丁重に扱い、棺の中に収めるように指示してある」
秋貴はひりつく喉を無理矢理開くようにして話す。
打ちひしがれている男は無言でそれを聞いていた。
全く反応が無いことがその衝撃を物語っているように思えて、秋貴も迂闊に言葉をつづけられない。
だが、暫くしてアングリフは下を向いたまま言った。
それは秋貴が辛うじて聞き取れるくらいの声だった。
「陛下の玉体を……御遺体をこの目で見たい……一目、お別れを……」
「…………分かった。ゴットハルト」
「はっ、しばしお待ちください」
最後の願いとでも言うように、アングリフはそういった。
それを聞いて秋貴は頷くと、ゴットハルトに指示を出す。
ゴットハルトもそれを受けると、すぐさま天幕から出て行った。
アングリフを乗せるための馬を取りに行ったようだ。
そして、残っている秋貴は見ない振りをしているがアングリフが下を向いたまま涙を流しているのが分かった。
また、彼の仲間であろう者たちに謝罪を繰り返している声も。
「本当に、すまない」
居た堪れなくなって秋貴は謝罪する。
それでも、アングリフはそれに反応することはなかった。
「陛下、準備が整いました」
少しして、ゴットハルトが2頭の馬を連れて戻ってきた。
秋貴とアングリフが乗るための馬だろう。
まず秋貴が手伝われながら馬に乗ると、アングリフも同様に馬へと乗せられた。
そして、ゴットハルトはその2頭の手綱を持って先導しつつ歩く。
着いたのは、これまた簡単に設置された天幕だった。
近くにはウォーレスとエリスがおり、合わせて秋貴に礼をする。
「帝、お待ちしておりました。かの御遺体は棺に納めております」
「私とサムライはここにいる。何かあったら呼んで欲しい」
秋貴は頷くと、アングリフと共に馬から下ろしてもらい天幕へと入った。
アングリフはゴットハルトに肩を貸してもらいながら後に続いている。
秋貴が天幕の中に入ると、そこには奥にポツンと一つの白い木の箱が置いてあるだけだった。
その白い箱の中には、秋貴が救えなかった少女がいる。
彼はゆっくりとそこへ向かい、中を見た。
汚れを落とされて綺麗にされた少女が胸の上で手を重ね、眠るように目を閉じていた姿が目に入る。
緩く三つ編みにされていた茶髪は解かれて、それが彼女の幼い印象を変えていた。
何処か人形にさえ思えるような姿が、生前の少女の姿と違いすぎて秋貴は咄嗟に目を逸らす。
そして、そのまま秋貴はアングリフに見えるようにその場を退いた。
「アングリフ軍団長」
「…………」
呼ばれたアングリフは暫く動かなかったが、再度呼ばれると震えながらも少女が眠る棺へと肩を貸してもらいつつ近づいていった。
ゆっくりと近づくことでどこか心の整理をしているかのようにアングリフは、白い棺から目を離さない。
そして、アングリフはやっとそこで棺の中が見えるところまで来た。
「ヒオウ陛下……」
そう呟き、アングリフは少女を見る。
名前を呼べば目を覚ますのではないかと思えるほど静かに眠る少女、だがもう2度と目を覚ますことはないであろう彼女を目にして、アングリフは目を見開いた。
「……ちがう」
「え?」
少女を見た瞬間、アングリフは茫然とそう呟く。
そして、彼は衝撃の言葉を秋貴たちに告げた。
「この者は…………ヒオウ陛下ではない」




