魅入られる
この世には、ヒーローがいる。
全人類の六十%はヒーロー管理会社に属し、強者ランキングの番付に載る。
ヒーローたちは日夜襲い掛かってくる、怪物・エイリアン・テロ集団といった、人類に敵対するものと、相対する。
彼らは、いつだって戦う。
愛する者のために。
彼らは戦う。
人類を守る者たちと。
愉しむ為に、喜ぶ為に、復讐の為に、生きる為に、夢を叶える為に、自分にとっての唯一と出会う為に。
ヒーローたちと相対する彼らは、人外な外見をしている者も多く居るが、そればかりではない。
ヒトもいる。
ただ、全員が、ヒーローと戦えるだけの能力を持つ。
「さて、始めよう」
白い部屋に声が広がる。
座っていた数多の人々、怪物達がそちらを真剣な顔つきで見つめる。
そこに座る、自身達の神を見据える。
「ヒーロー団体の動向は?」
「未だ、ここの特定とまでは至って無いようですな。ただ、個々人の自宅が襲撃を受けている例が多数挙げられております。つい直近であれば、アリ型の一族の巣の千ほどの内、二、三百が一人の襲撃で墜とされております」
彼の言葉に即座に反応し、声を挙げたのは、丸い縁の大きなメガネをかけた、腕が六本ある老人であった。
老人は資料を片手に淡々と現状を告げる。
その報告に彼が続ける。
「で、被害を被った者たちの保証は、どうしている?」
「基本的には規則通りに。先ほどのアリ型の者たちは、被害が多少大きかったので、モグラ型の巣の一部を貸させてやって、カバーしております」
数の多い化け物たちは分かりやすい集団名で呼ばれる。
アリ型はここで一番数の多い化け物であった。
数の多い化け物にも順列がある。強きものは幹部となり、名前が与えられる。
名前が与えられれば、個人行動を許されその一族を率いることが、できるようになる。
つまり、この場にもアリ型の幹部に当たる者がいた。
ケーファー。
ドイツ語で小さい虫の意味を持つ彼は、その名に合わず百七十センチ後半程の身長をしている。
彼は人間を吸収した。
アリの化け物の全長は基本的に八十センチ程であるが、彼は貪食であった。
食料を得るために人々を襲い続けていた、そんなある日、彼は死にかけている一人の成人男性に出会った。
食欲は彼を暴走させた。
その男性を喰った。
頭から順番に。時間をかけてでも食べた。
一日はかかったが、その小さな体に一人の体を収めた。
翌日人々を襲ったときに、一人のヒーローを喰った。半日で一人を食べきった。
その翌日は四時間もかからなかった。
その翌日は・・・。
そんなことを繰り返していたある日、彼は宿敵認定者に出会った。その時、彼は成長した。身長が急激に伸びたとか、そう意味も含まれるが、能力自体も変貌した。
彼の顎はより強靭に、幾本もある腕の甲殻はより硬くなった。
「ケーファー」
「は、はい!」
ケーファーに声が降る。
心が震える。あぁ、この失態をどう言われてしまうだろうか。
恐る恐る顔を上げ、見えた口元は優しく微笑みを浮かべていた。心に溢れるは、神への信仰心か、食欲か。
「誰かは分かってる?」
かけられた言葉に、返すは一つの頷き。
それを見て、口角は上がり邪悪さを増す。
「喰えるか」
「骨の一つ残らず」
たった一言のやり取り。
ただ、ソレで良かった。思いは通じ合った。
神は自分を信じた。それに答えるのみ。
顎が自身の食欲を表すように、殺意を表すように乾いた音を奏でる。
それを見た神は、嬉しそうに頷いた後、ケーファーに退出を促した。
街は晴天。
今日も平和とは言い切れないものの、それでもいつもの日常が過ぎていた。
ヒーローと化け物達の戦いは起こり、破壊された街を修復系の能力を持つヒーローが走り回る。
街行く人々は、日常へと返っていく。
一人の男が車道の真ん中に横たわっている。
その男、ヒーローであった。
強者ランキング十四位。名を国取 煉。
自身の兵隊を生成し、戦わせる能力を持ち、アリ型の巣を破壊して回っているヒーローであった。
アリ型に宿敵認定者が居ないのを良い事に暴れまわっている。
「国取さん!そんなところで何しているんです?」
一人の青年が、国取に声をかける。
青年は国取の補助者を務めている。補助者はヒーローを最前線にて支える役割を果たしている。
基本的に回復系の能力を持つ者が多く、国取の補助者である彼もその一人であった。
「おーう、兵達が地下で迷っててな。俺が動かない方が位置の特定が楽なんだよ」
「そんなことを言いながら、寝てたんでしょ。働いてくださいよ」
補助者はボヤきながらも、国取に体力回復を施す。本人が怪我をする可能性の少ない国取の補助者は、疲労回復の得意な者を用意されていた。
包む空色は、彼の体の奥底に響く。
自身は体を動かしていないというのに、ただ兵を出すだけだというのに、心は不思議と疲れていた。兵達は、一人一人と自分の真下に集まり、自分に帰る。
痛みはない、感情はない。
一人。
「殺られたな」
「本当ですか」
たった一言。
一言告げて立ち上がれれば、二人に警戒が走る。
補助者とは長い付き合いだった。彼は、すぐさまに国取から離れ、本部へと連絡を入れ始める。
その姿に頷きながら、車道を殺された方へ歩く。
乾いた音をスニーカーが奏でる。
動きやすい恰好をと選んだのは、ストレッチジーンズと厚いパーカーだった。
少しの後悔は何故だろうか。
背中を走る冷たい汗のせいだろう。国取はそう決めつけ、一人歩く。
彼の兵達は強い。
一騎当千のランキング上位者たちに、一網打尽にされない程度には、攻撃性も、耐久性も持ち合わせている。
たった一人。
されど一人。
確かに殺された。確実にアリ型である。モグラ型は、攻撃を仕掛けない限り襲ってこない。ミミズ型が、自身の兵士を倒せるわけがない。
アリ型しかありえなかった。
ふと、数メートル先の地面に意識が向かう。
一つ、また一つと、亀裂が入っていく。
亀裂が広がり、穴が開いた。
国取にはその光景が、地獄への門が開いているようにも見えた。
今までは、数十メートル離れた位置から、黙々と兵を出していれば勝てていた。しかし、今は違う。明らかに、相手の間合いだった。
国取は、その穴から目を離さず、後ずさりで距離を開けていく。
距離が十数メートルに近づいたとき。
溢れた。
蟻たちは我先にと、穴から飛び出す。
国取の視界が黒に染まった。
絶望にはまだ早い。
「行くぞ」
たった一言、それと片足で二回地面を蹴る。ソレだけで良い。
足元から這いずるように、わらわらと、兵が沸く。
沸いた端から、敵に向かう。
視界は、光るシルバーの鎧と、黒の甲殻の丁度いい割合となった。
「やはり、強いな」
その声は国取の耳に粘り気を帯びて届く。甲殻同士を擦らせるようにして喋る声。
アリ型の喋る化け物はただ一人。暴食。
相対したヒーローの骨すら残さない。そんな化け物はヒーローなら誰しもが知っているほどの知名度を誇っていた。故に、国取も知っていた。
「ついに姿を現したな」
「ん、あぁ、待ったかい?」
お互いの兵達の攻撃が止まり、海を割るかのように、二人の直線状に道ができる。
国取の眼にそれが映る。
二本足で立ち、四本の足で腕を組む。頭から生える触手は小刻みに震え、何かを探知している。人間のような顔には、一色の瞳が浮かび、大顎同士がぶつかり合い音を奏でている。
自分の身長と差異は無かった。
姿を認識して呟いた声に、独特の声音で暴食が返す。
殺意は幻想に囚われたようだ。
不思議と、暴食を無感情に見つめる自分が立っている。
「復讐か」
口は自然と動いていた。国取は日ごろ無駄口を叩かないが、体は会話を望んでいたようだった。
首を傾げる暴食は、動こうとする気配もなく立っている。
酷く不気味である。
アリ型というモノは、基本的に群れで蹂躙することを得意とする。そこに戦略はない。生きるか、死ぬか、それしかない筈のアリ型が、戦闘を中断し二人の様子を見ている。
「復讐?何のだ。違う、腹が減った。腹が減ったんだ。食べたい、食べたい食べたいタベタイ。旨い、甘い、苦い、酸っぱい筋張った、筋肉の良く育った物が食べたい。・・・・あぁ、男が良い。そうだ男が良い」
暴食は国取と会話をしていなかった。
宙を見上げ、自分に問いかける。
返るのは食欲。変えるのは目的。
神の為?違う。喰う為だ。
心が定まった。
その双眸は傾きを保ったまま、今度は確かに国取を捉えていた。
魅入られていた。
一つの化け物というのは、こうして狂うのか。こうして人々を襲うのか。
捉えられた瞬間、瞳に跳ね返る自身の姿に恐怖を抱いた。心の底から這いあがるような恐れに、体は泡立つ。沸騰するような気分だった。
笑っていた。
確かに笑っていた。
殺したい。
そう思っていた。
「喰ってみな、旨いぞ」
零れた呟きに暴食は堪らなそうに身を震わせ、地にその六つの足を這わせた。
それに続くように、二本足で立てるはずの化け物達が地面に体を倒す。
兵達は距離を離し、隊列を整える。自身の武器は最高の状態だ。
何物をも貫く剣は錆びついていない。
「喰う」
「殺す」
お互いの感情に相違はさしてなかった。目的はどうあれ、既にお互いしか目に無かった。
先に動いたのはどちらだったか。
どちらにしろ、お互いにほぼ同時に動き出していた。
兵達がアリとぶつかり合う。