人と化け物
夢で見た光景を書きたくなったので、筆を執ります。
彼女には幼馴染がいた。
彼はとても強かった。
ヒーローだった。
目が覚める。
ベットだけが置かれた部屋に、カーテンの隙間から日差しが差し込んでいる。
その明かりを頼りにカーテンを開く。
赤い、
紅い、
朱い、
街は一面が紅に染まっている。
血だ。
ベランダには、腹に空間のできた人間が新鮮な状態で転がっている。
明朝に倒されたモノだろう。
「・・・供物を」
世界が黒に染まる。
赤だったものは、黒に満ちた後に元の色を取り戻す。
赤の世界に色彩が満ちる。
少量の満腹感に心を満たしながら、リビングへの扉を開けた。
『アー・・・、暇ですねェ・・・』
街を片手間に破壊しながら、音を立てて体を掻くのは紫の体をしたバケモノだった。
両腕は地面に付くほど長く、数メートルはあろうかというほどの身長の胴からは、幾又にも分かれた触手がうごめいている。
一目見た瞬間に、市民たちの肺が一時ばかり活動するのを停止した。
息継ぎを思い返す頃に、そのバケモノが視線を空中に向けた。
『アァ、お供え物は、あの御方に届いたようですねェ・・・』
嬉しそうに目を細めるソレは、今も手に持っている死体を一つずつ空中に放る。放られたそれは、空中で姿を消す。
また、ひとり、何処かへ。
バケモノの触手はひとり、またひとりと確実に人々を殺していっている。
『暇ですヨォ・・・』
ビルを駆ける一筋の影がバケモノを目指して飛んでいく。飛来するそれがバケモノに当たる直前、バケモノの触手が素早く動く。
何かを弾き飛ばす音。
ほぼ同時に隣のビルが倒壊した。
バケモノを見れば、触手の一本が半分ほどに切断されている。その断面は綺麗なもので、切れ味の相当な刃物によって切られたのだろう。
「いてぇー」
『面白くないですねェ・・・?』
倒壊したビルの真下から声が近づいてくる。それにいち早く反応したのは、バケモノであった。
不服そうな仕草でビルの方向にその巨躯を動かす。
ビルの下から出てきたのは痩せ細った男であった。腰まで届く黒い髪は、顔の半数以上を隠しヒトの味方である筈なのに不快感をこちらに与えてくる。
巨大な剣を地面に擦らせ、バケモノに近づく。その姿は死神のようにすら見える。
怠そうに体を動かす男は、『麻沼 猟』。
ヒーロー団体、強者ランキング19位。通称、地魚。
地面に溶け込む能力を持ち、地面を自由に泳ぐ。
『アラララ、宿敵認定者を寄越してくるとはネェ・・・』
「あー・・・、会いたかったぜー」
宿敵認定者。
ほぼ同格の実力を持つヒーローとバケモノの組み合わせ。対なる存在とも言われる二匹は、戦うことに因縁がある。
復讐の相手や、実の親子など様々であるが、基本的に同格のものが選ばれる。選ぶのはもちろん神であり、不服を持つモノも少なくない。
「なーんで、俺らが宿敵認定者かねー・・・」
『おかしいからですヨォ・・・』
「嫌悪感を抱いてる方向がねー・・・」
瞬間。
爆ぜる。
街が、人が、触手が。
拳と触手がぶつかり合う。ここまで戦う気配のなかったフタリは、息を合わせたようにぶつかっている。ヤル気はない。殺意も少ない。ただ、ただぶつかっている。
〈堕落の二対〉
日ごろからやる気のない二対は、会った途端にその堕落に、ダラクする。
どちらかが倒れるまで、その堕落に嫌悪を抱く。
殺すことのないのは殺意の矛先が、堕落に向かっているから。お互いがお互いの殺意に、堕落に、好意を抱いているから。
『アァ・・・・、いいですヨォ・・・!』
巨躯が跳ねる。
痩せ細った躰が地を泳ぐ。
「愛してるぜー、てめぇの殺意はな・・・・」
愛をささやく。
心からの愛を。
殺し合いは止まらない。
地面を泳ぐ。
猟の影が人間ではありえない速度で、バケモノに迫った。そこに、いくつもの触手が地面をえぐる。
どちらの攻撃も当たり、どちらの攻撃も当たらない。
ダメージはない。決定打はない。
『いい戦いだな』
響く言葉はどこからか。
声量はないはずの言葉が、街中に響く。
全ての視線がそこに集う。
宙に浮かんでいるのは、ヒトリのヒト型。白のフルフェイスマスクで顔を覆い、Tシャツにスキニージーンズという出で立ちで浮かぶそれに、人々は絶望の声を挙げる。
殺し愛をやめない二人も、そこに目をやり、姿を認識した途端手を止める。
「おいおい・・・、マジかー・・・」
『アァ、我等が神よッ!!!このような戦場にお越しになられるとは!!』
猟のめんどくさそうな声付きとは裏腹に、バケモノは堕落を忘れていた。
興奮した様子でヒト型へ崇拝を捧げるように頭を垂れる。
「神ねぇ・・・」
神。
それが、今世界を襲っている集団のボスとして、世間に初めて顔を出したのは、ここ数年のことだった。
初登場は強烈なものだった。
ヒーロー団体強者ランキング、1位から10位までの全員、そして総司令官までをも同時に相手取り、わずか数分で決着をつけたバケモノ。
ありとあらゆる化け物たちが彼に頭を垂れる。
反旗を翻した化け物は容易に処理された。
全てが全人類の目に焼き付けられた。
彼の能力はそのまま『神』と呼ばれていた。
いかなる攻撃も通さない堅固で、透明な盾。
いかなる防御も貫通し、持ち主に致命傷を及ぼす、無限とも思える数の剣。
不意を狙った攻撃もすべて無駄であった。
『シュバイン』
『ハぃ・・・・』
神の一言にバケモノ、シュバインが恐縮そうに声を返す。
恐怖の所為か、巨躯が小刻みに震えている。
眼も口も鼻もない、深淵のような黒をしたマスクが自身を真っ直ぐ捉え、離さない。
下手な動きをすれば、喰われる。
これまで捧げてきた贄のように。
『供物、どれも新鮮で旨かった。そこで褒美をやろう。・・・なにが良い?』
シュバインに告げられたそれは、本人にとっては凄くどうでも良いことであった。
信仰する神へと捧げるそれは、自身からの愛の象徴で、褒美を求めていたわけではなかった。
『いえいえェ・・・、ワタシに褒美ナド・・・ッ!?』
シュバインの前に神は居た。
それは確かに、自分より遥か先に居た。それを確認し、畏まりお辞儀をした時、それは下から自分を見上げていた。
『へぇ・・・断るのか』
その声が聞こえた瞬間には、猟の眼に神とシュバインの姿はなかった。
物音もなく、彼らは消えた。
街に騒音はもうない。
白。
一面が白で覆われた廊下を歩く。
後ろからは水気を多量に含んだ、重量のあるソレが地面を揺らしながら歩く。
前方を歩く彼は、その振動を気にする様子もなく、ただ、歩く。
延々と。
延々と続いたような廊下に、扉が現れる。全高5mにもなろうか。そんな扉。
シュバインが彼の後ろから手を伸ばし、扉を開ける。
「あぁ、ありがとう」
その声に先ほどまでの響きはない。
フルフェイスマスクの口元は外され、ピンク色が覗いている。日光に触れない肌は、病的なまでに白い。目元から鼻の下までは、マスクに覆われ、口以外の部位はまだ見えていない。
そんな。
普通な人間である部分を見ながらも、シュバインは恭しく敬礼を返し先を促す。
乾いた靴と床が、音を奏で、彼の入室を部屋にいた者たちに告げる。
「我らが神よ」
一人、落ち着いた男がそう告げると、部屋にいた全員がそれに続いて拝礼を捧げる。
その風景を視界にほとんど認識することなく、彼は歩みを進める。
目の先あるのは、一つの玉座。
白に覆われた部屋に、黒に染まった席が一つ。
他に目を向けることも無く、そこに彼は向かい、座る。
「さて、始めよう」
静かな部屋にその一言が響いた。