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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

楽器

作者: 野宮

複数人で性癖キーワードを持ち寄り、くじで引いたものをテーマに短編小説を書く会で書きました。制限時間1時間半のところを倍くらい使ってしまった熱量のでかい百合に、ちょっぴり加筆修正。

 たぶん彼女は、作曲することですでに演奏者でもあったのだ、と私は考える。実際に楽器を扱う演奏者すら彼女にとっては楽器の一部なのだろうと、そう思ってしまうほど彼女の音楽は演奏者に解釈の余地を与えない。彼女の曲を演奏するとき、演奏者の手足や唇は、すべからく彼女のものになるのだ。

 そんな話をしていたら、彼女は何も言わずにただにこにこしていた。

 

 両側の窓の外には一面の牧草地が広がる、とある異国の片田舎を走るバスの中である。





 音楽好きの人間にとって、音大の大学祭は耳がものすごく幸せになれるイベントだ。私は中学校の途中までピアノを習っていただけのしがない理系学生だけど、そういうわけだから音楽はけっこう好きで、それで合コンで知り合ったよく知りもしないインテリっぽいお兄さんにのこのこ呼び出されて近所の音大の敷地に足を踏み入れたのだった。


 さすが音大、屋台で声を張ったり特設ステージで司会を務める学生たちはまるでイマドキの若者のように尻軽そうに、ちゃらんぽらんな振る舞いを演じているけれど、お嬢様お坊ちゃまらしい品の良さは隠せていない。そして専門で学んでいるだけあって、複数のステージで出し物として演奏される音楽はそのどれもがとびきり美しかった。


 横にいる男は蘊蓄を披露したかったみたいで、やれこれはガーシュウィンのなんとかでとかこれは誰それのなんとかマーチでとか喋っていたけれど、私の顔が彼に向くことはなかった。私だって音楽を愛する人間の端くれだ。

 たいていの曲は教えられずとも知っていたし、それになにより、専門に学んでいる彼らなら私たちよりも曲の構成や背景について深い理解と解釈を持っているはずなのだから、そんな彼らの演奏を聴くうえで大事なのは誰のどんな曲かじゃなくて誰がどう演奏しているかであると、私は思っていた。

 もし彼がこのピアノの人は面白い弾き方をするねとかトロンボーンがこんなに目立って聞こえるのは初めてだとかそういう感想を述べていたら、話はもっと弾んだのだろう。

 

 だから、その曲を聴いたとき、不思議な曲だ、と思った。

 コントラバスの刻む淡々としたリズムに乗って、まずトランペットのソロが。終わると同じメロディをチェロが。そして次はなんとアコーディオンが。つぎに別のトランペット。二人のバイオリンが順番に。ホルン、サックス、さっきと同じチェロ、アコーディオン再び。ステージに散らばる十人ほどの演奏者が、一人ずつ同じ旋律をソロで繰り返し演奏する曲は、たぶん作曲科の学生の作った曲なのだろう。隣の男は変な曲だと首を傾げた。


 確かに変な曲である。そうですね、なにが変だと思いましたか、と彼に尋ねると、彼はせっかくのアンサンブルなのに協調も何もそもそも一緒に演奏するパートがないとか旋律がひとつしかないとかその旋律もつまらないとか言っていたが、その時点で私はこの男はいいや、と思った。

 トイレに行くふりをして彼から離れ、少ししてから体調が悪くなったので帰ります、もう電車に乗ってしまったので送りは結構ですとメールを送る。適当な返事が来て、私はまた大学祭の喧騒に戻った。あの男は一人でここに居座るようなタイプではない。きっと私のメールを見てすぐにこの敷地を出て行っただろう。



 フランクフルトを齧りながらステージ前の客席の隅に座っていると、ふいに声をかけられた。

「あの」

 不機嫌そうな女の子だった。たぶん私と同年代くらいの。灰色がかった緑の髪をざっくりしたポニーテールにして、灰色のアイラインを目尻から飛び出させて。全く身に覚えがなくて、私はほあ?みたいな間抜けな声を出した。


「は、はい? なんでしょう」

「変ですか」

 変って何がだこの状況は明らかに変だしあなたの髪色も変だしあなたの顔立ちからしたらその垂れ目っぽいアイラインも雰囲気とあってなくて変だよ、とは思いつつもなんのことだかわからなくて黙っていると、その子はまた口をひらいた。


「わたしの曲。変って言ってるの、うしろで聞いてました」

 んんん? 曲? と少し考えてから、あー、と私は先ほどの男とのやり取りを思い出す。

「あの曲を作った方ですか」

 彼女はうなずいた。

「聴いてくれてありがとうございました」

 表情はそのままだが彼女の言葉に棘はなくて、あ、この子不機嫌な表情してるんじゃなくて元の顔の作りが不機嫌な感じなんだ、と私は少しおかしくなる。


「ああ、あの曲、すごいですね」

「すごい? とは」

「いいことなのかわからないので気を悪くされたら申し訳ないんですけど」

「うん」

「演奏してる人たちの個性に気付けないくらい、強烈なメロディでした」


 同じ旋律、同じ曲でも演奏者によって強弱の付け方や息の入れ方は異なるし、そうなれば聴き手からの印象も異なる。より多くの聴き手にいい印象を与えられる演奏者が、世で評価される演奏者だ。ともかく、人が変われば同じ旋律も少しずつ違って聞こえるはずなのだ。彼女がにっこり微笑んだので、私は安心した。


「一緒にいた男は変な旋律とか言ってたけど、私はあれ、好きですよ」

「お世辞でもうれしい。ありがとうございます」

「お世辞じゃない。でも、そうだな、あなたの外見の印象とは違いますね」

「よく言われます」

 あんなメロディを書けるのは、もう少し年を重ねた、美しくて仄暗くて、退廃的な雰囲気を纏うような人だろうと思っていたから。彼女の容姿は、大人しめのガールズバンドのベース兼コーラスってほうがしっくりくる。彼女はそうでしょうと言って笑った。


「ここの学生ではなさそうですね」

「**大学の学生してます。ここには付き合いで来たんだけど、いいところですね」

「そう。音楽やってる人ですか?」

「むかーし、ピアノをちょっとだけ」

 人見知りそうに見えたけれど、彼女は案外よく喋り、そしてちょっと大胆だった。

「うん、そんな感じします。私の曲、弾きますか」


 それからのことはよく覚えていない。ええーとびっくりしている私の手を彼女が引いて、気が付いたらどこかのレッスン室で、私は楽譜が印刷されたコピー用紙を前に椅子に座らされていた。

 リズムも難しくないし片手で弾ける旋律だから私はすぐに弾けるようになって、彼女は満足げに私の左に座った。


「演奏してくれた子たち、みんな、やってて気持ちいいって言ってくれるんです。気持ちいいですか?」

 旋律の切れ間に、彼女がたずねてくる。指を動かすのに集中していたこともあって、私は無言でうなずく。視界の端で肩が揺れて、彼女が笑っているのがわかった。それから、彼女の左手が鍵盤の上に持ち上げられる。

「ベース、合わせてあげます」

 彼女は素人の子供のように握った手から突き出した人差し指を鍵盤に振り下ろす。ぼん、と低い音が乱入してきて、身構えていたはずなのに私はびくりと肩を揺らした。

「かわいい」

 横長椅子の両端に座っているから近いとはいえ私たちには一定の距離があって、それは一切詰まっていないのに、なぜだか突然耳元で囁かれたように錯覚して心臓がその動きを速めた。

 緊張感に思わず指が走りそうになったけれど、コントラバスのパートを淡々と紡ぐ彼女の人差し指がそれを許さない。動きたいのに後ろから抱きすくめられて動けないような、妙な焦燥感があった。



 終わりがあってないような曲だから、いつまでそうして弾き続けていたのかわからない。でもピアノの音が止んでからもしばらく私はぼんやりしていた気がする。


 そうしてぼやぼやしていたら、いつのまにか二人で三駅離れた居酒屋でハイボールを飲んでいて、気が付いたら彼女を家に泊めていた。朝起きて茫然として、思わず着衣を確認してしまったくらいだ。


 だからたぶん、一緒に住むようになったのもなんとなく、なのだ。

 出会って一か月後には二人で2LDKに住んでいた。邪魔なんだけど腐れ縁だから、と言って彼女は持ちこんだグランドピアノの蓋を友達のように叩いたけれど、本当に腐れ縁でしかないらしく彼女がピアノを弾くところは数回しか見なかった。作曲するとき、彼女はパソコンに接続したキーボードの音をヘッドホンで聞きながら音符を入力するのだ。作る旋律はクラシカルなのに作業環境はデジタルなんだね、と笑った記憶がある。


 私たちは同時に大学を卒業して、私のほうは同じ県内の企業に就職が決まった。彼女は欧州に留学が決まったからといって、私に腐れ縁のピアノを押し付けてチェコだかスペインだかなんだかよくわからないけれどその辺の国に飛んでいってしまった。

 ピアノくんの家賃くらいは払うから、と彼女は私に毎月家賃の数割分の金額を振り込んでくる。連絡をとることは稀だったから、毎月通帳に記帳される振り込み履歴がそのまま彼女の消息だった。


 だから、寂しくなったのかもしれない。久しぶりに彼女の顔が見たくなって、私はたまっていた有給を一気に消化して彼女のいる国へ飛んだのだ。


「久しぶりだね」

 事前の連絡を受けて空港に迎えに来てくれた彼女は、髪をきれいに黒くして、ちゃんとしっくりくるアイラインを控えめに引いて、一人前の女性、という雰囲気を漂わせていた。

「うん。来ちゃった」


 彼女の住む町は空港から中型バスで三時間ほどのところにあり、移動の最中私たちは卒業してからこれまでの話を散々に交わした。



「ほんとはね」

 そうして冒頭の、彼女の音楽についての話をしたあと、彼女はふと真面目な顔になってこちらに向き直った。

「来るって言ってくれる前にわたしがこっちに呼ぼうと思ってたの。わたし、ほら、親が金持ってるから、なんならエアメールに航空券を同封して、みたいなのとかやろうと思えばできるし、国際学会行ってたからあなたがパスポート持ってるのは知ってたし」

「う、うん?」

「でもまあいいや、来てくれたのはうれしいし。ねえ、あなたもこっちで一緒に暮らさない?」

「う、うううん?」

 突然の勧誘に私は驚いて窓に頭をぶつけた。こちらを振り向く人はいない。そもそも乗客が少ないのだ。


「英語話せればこの国はわりとちゃんとやってけるから、あなたなら仕事に困らないと思うし、働きたくないならわたしがなんとかするし」

「え、えーと? うん?」

「この国、全体的には治安よくないけど、わたしの町はわりと穏やかだし。一人で町の中歩いても平気だよ」

「いや、ちょっとまって、いやいや」

 混乱する私に、彼女は「いや?」と首をかしげる。かわいい。いや、そうじゃなくて。


「唐突すぎない? というか、そしたらあなたのピアノくんはどうするの。さすがに連れてこれないでしょ」

「ピアノは捨てればいいよ」

「えええ、そんな、腐れ縁なんじゃないの」

「卒業のときに捨ててもよかったけど、そしたらあなたとのつながりが消えちゃう気がして。まああいつはさ、保険みたいなものだったから。来てくれるなら捨てちゃっていいよ」

 えええ、と言いつつも、私は心の隅で、たぶん私はこの国に住むことになるだろうと覚悟を決め始める。彼女はときどきこうして大胆なのだ。そしてわたしは、その大胆さになんとなく流されるのが嫌いではない。


「教えてもらいたい先生がいたからってのがもちろん一番の理由なんだけど」

 私の胸中に気付いてか気付かずか、彼女はにこにこしながら話を続ける。

「この国を選んだ理由。同性婚オッケーなんだよね。ね、どう?」

                                


時間がない、字数多すぎ、という切迫した状況のせいでオチがめちゃくちゃ雑になってしまい申し訳ない。

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