ようこそ日本国へ
~政府専用機・シグナス1~
「皆さま、席へお戻り下さい、間もなく当機は、成田空港に着陸します」
機長のアナウンスを受け、用を済ませたキャリローが席へ戻ると、眼下には海上に浮かぶ大量の巨大な筏の様な物が見えた。
「何ですか?アレは?」
「この国の食料生産を支えている、海上食料プラントです。アレ一基で約二千人分の食料を生産できます」
待ってましたと言わんばかりに農林水産省の官僚が質問に答える。
「管理……大変そうですね……」
「生産は自動なのですが、保守点検が……」
苦虫を噛み潰した様な顔で官僚が返答する。
「ご苦労様です」
「有難うございます」
そうこうしているうちに、機体は降下を開始し、無事に着陸した。
「皆様、ようこそ日本国へ、当機は無事、成田空港に着陸いたしました」
機内が高揚感に包まれ、各自が荷物を抱えて日本の土を踏む準備をする。
フォルイを先頭に、その後ろにキャリロー、官僚、軍人、技官、民間……と続く。
ドアが解放され、接続されたタラップからムサシ王国の人間がぞろぞろと降り立ち、フォルイが日本に降り立った瞬間、辺りを轟音が包んだ。
礼砲が放たれたのである。
国家元首相手なので二十一発、四秒間隔で既に現役を退いた105ミリりゅう弾砲が空砲を放つ。
「思ってたよりも迫力があるな……」
現在陸自が主に使用している155ミリりゅう弾砲よりも砲口径が小さいため、そこまでの迫力は無いと思っていたが、実際に体感してみると威圧感を感じる程度には迫力があった。
しかし、事前に知らされていた以上、うろたえる訳にもいかず、特別儀じょう隊の前に敷かれた真っ赤なカーペットの上を歩いてゆく。
その後日本側の官僚の歓迎を受け、その後更に栄誉礼を受ける。
そしてその後車に乗り、ホテルまで護送される。
ここまでの流れにおいて報道機関は、フラッシュを禁止され、その上訪日団から直接見えない場所から、限られた人数のみでの撮影を行った為、比較的静かに以上の流れが行われた。
しかし、大半の訪日団の獣人はその優れた聴覚故に礼砲の迫力に圧倒され、何人か倒れそうにはなってしまってはいたのだが……。
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~都内某所・ライタル帝国訪日外交団・第三外交部~
「ああ~疲れた~」
さて、ムサシ王国側とは違い、純然たる外交交渉団である彼らは形式的な儀式は殆どなく、ほぼホテルに直行したのだが、途中でデモ隊の襲撃に遭ったりした為、ホテルに到着した時間はムサシ王国側と大して変わらなかった。
そして、部屋に魔導的異常存在が存在していない事と、視線が無い事を確認したストレンは、鞄から仕事道具を取り出し、窓越しに夜空を見上げた。
「さ~て、仕事だ」
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~都内某所・ライタル帝国訪日外交団・第一外交部~
「なんということだ……」
さて、日本にやってきた外交団のうち、戦争に関連しない交渉を行う予定の第一外交部は、機内で見せられたビデオの内容について精査した後、機内の窓から見た日本の風景を見てほぼ絶望していた。
それにこのホテルで出された食事、機材、空調、街ゆく人、輸送機械を見て更に絶望した。
どれもポコロジア帝国のものと比較しても遜色が無い…と彼等は感じていた。
「こんな国が我が国の目と鼻の先に突如現れるとは……」
しかも現れた場所が不味い事この上なかった。
「しかも南ポコロジアへの重要海上交通路の三つと、最重要海上交通路……否、我が国の東側の航路を全て押さえられる位置だぞ、クソッ!」
更に悪いことは続く。
「その上島国、しかも強力な軍事力を保有すると来た」
そして最悪の事実がこれだ。
「皇帝陛下はこの国と国交ではなく主従関係を結べと仰せだ、そして、我が国はムサシ王国とニホンとの間に既に戦端を開いて、負けた」
大人しく、「港を使わせてください」で終われないのがこの世界の超大国の一つであるライタル帝国の外交の辛いところである。
これまで彼らが積み重ねてきた実績がもたらすプライドが、一回は負けたとはいえ自分の国よりも遥かに小さなこの国に頭を下げることを許さない。
「どうすればいいんだか……」
彼らの長い夜は続く。
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~首相官邸・五階~
先程連絡を受けた首相秘書官が、官邸五階の総理執務室に入室し、少々興奮した様子で報告する。
「情報庁からです、無事にムサシ王国とライタル帝国の訪日団のホテルへの搬送が完了したそうです」
「そうか、分かった」
そう保野総理は言うと、目の前の資料を取り上げる。
「ライタル帝国…ねぇ…」
秘密裏にF-15EJを使って打ち上げた超小型人工衛星から入手したこの世界の地図を見ながら、今現在戦争中の国に思いを馳せる。
その人工衛星の寿命は短く、『ライタル大陸』と便宜上呼称する事になった大陸しか観測できなかったが、貴重な情報をもたらしてくれた。
もう夏も終わり、秋に差し掛かろうかという少し暖かくも冷たい空の下、保野総理は日本という船のかじ取りを懸命に行っていた。
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~都内某所・国王付日本派遣団~
「すごい!この布団フッカフカ!フッカフカですよ!」
さて、特に何事もなく事が運んだムサシ王国の方は、予定の時間通りにホテルに到着し、夕食を食べた後、各自割り当てられた部屋でくつろいでいた。
その中の一人、キャリローは、くつろぐというよりは雪を見た犬の如くはしゃいでいた。
因みに確認だが彼女は猫の獣人である。猫の癖に犬の如くはしゃいでいるのである。一言で言うと異様な光景だ。
「そうかーよかったなー」
さて、その隣のベッドに腰かけるのは国王、フォルイである。
「なんでそんなに棒読みなんですか!陛下!」
キャリローが獣人特有の俊敏さを以て素早くフォルイの隣に座る。
「当たり前だろ!女性と同じ部屋に二人きりで押し込められて、しかもベットが隣なんだぞ!誰だってこうなるわ!」
そう叫ぶと頭を抱える。
「仕方ないじゃないですか、部屋が二人部屋なんですから」
「防諜って大変だなぁ……じゃなくて……はぁ……」
このホテルは、情報庁とムサシ王国陸軍第一情報師団によって厳重な警備と防諜体制が敷かれ、その上防疫体制も整えられていた為、十分な数の部屋が確保できなかったのである。
「安心して下さい、流石に陛下を襲うようなことはしませんよ」
と、キャリローが先程のベッドの上のテンションそのままで言った。
「一寸待て、落ち着け」
ベットからゆっくりと立ち上がり距離をとる。
「私は十分に冷静ですよ~?フフフ……」
いつも明るく明快、かつ冷静なキャリローが、人が変わったように興奮している。
「あ……これは……」
状況を認識した瞬間、ある程度の覚悟と、この事態に対処する人間が自分しかいないことを自覚する。
「確認だが、君はその……猫の血が少し入っているよな?」
「そうですよ、ほら、耳が頭に四つもあるんですよ~すごいでしょ~よかったら触りますか~?」
以前離島へ視察した際やってしまい、あんなにも嫌がられた猫耳を触る行為を自ら催促する。どう考えても冷静ではない。
「そういえば最近、一緒に夜遅くまで仕事してくれたよな……」
そうしみじみと呟く。
「どうしました~?」
猫、長時間の高照度光源への曝露、そしてまだ日が長いこの季節。
発情期である。
恐らく、これまでは彼女の持つ理性と性格で何とか誤魔化しており、周囲も特に気付くことはなかったのだろう。しかし、この異国……まだこの世界に来て一年経たない地に降り立つにあたり、極度の不安と興奮で押しつぶされそうに……否、押しつぶされてしまったのが、自らが最も信頼するフォルイと密閉した部屋の中で二人きりになったことで爆発し、このようなことになっているのである。
そもそも人と他の動物を魔法で掛け合わせて生み出された獣人は、人の「食欲」「睡眠欲」「性欲」の三大欲求と、夫々の動物に由来する欲求を持ち合わせている。
普段は理性で抑えたり、少しずつ発散したりして対処するのだが、人が元来持ち、動物の欲求にも通ずる三大欲求が溜まると爆発する事がある。
これはあくまで生理現象であり、通常は他の同種の獣人が対処したり、周りの人間が十分な配慮をしたりするのだが、「食欲」「睡眠欲」はどうにかなっても「性欲」はどうしようもない。
だから通常は先に述べた通り定期的に発散したりするのだが、キャリローの場合、激務が重なりそれが出来なかった。
そしてこうなった。
つまりこうなった原因は彼女の自己管理能力の不足が原因なのだが、その雇用主たるフォルイにも原因がある。
自分が良いからと仕事をやり過ぎたのである。
国家元首の仕事というのは、大体が承認、決断、資料の読み込みである。そしてそれらは、下で動く数多くの役人によって支えられている。
フォルイにはその意識が欠如していたのである。
そして唯一の秘書官、キャリローが最初にこうなった。もし日本に来ていなかったら下手したらムサシ王国の上層の統治機構がオーバーワークでマヒする所であった。
「否、ホントごめんな……帰ってから一緒に休もうな……」
献身的に執務を支えてくれたキャリローに思わず涙がこぼれる。
「やった!楽しみにしてますよ~」
そう上ずった声で言いつつ身体をこちらに擦り付けてくる。
「さてと、どうやって朝まで乗り切るか……」
唯一の救いは、獣人の発情期は短く、大体一日程度で終わる事である。
現在時刻2230、そして翌朝の起床予定時刻は0730である。慣れない飛行機の旅で疲れただろうと、長めに睡眠時間を取った日本側の配慮がこの部屋の中だけ裏目に出た。
そしてフォルイがこの世界に転生してから一番長い夜が始まった。
発情してしまった秘書と、そして自分の本能と闘いながら朝まで持ちこたえる。
手を出しても誰も何も言わないだろう、しかし、それは自分の信義がそれを許さない。
確かにキャリローは魅力的で自分に好意を抱いている。しかし、こんな酔っ払った状態よりひどい状況の部下に手を出して果たしてそれは善か悪かどちらだろうか。
悪である、絶対悪である。
「据え膳食わぬは男の恥」と言う言葉もある。しかし現時点では適用されない。
と……以上の様な思考を経て彼は自らの本能を抑える事に成功した。
七時間後、彼らの部屋にはフォルイの腕の中で穏やかにスヤスヤと眠るキャリローと、死闘を制したフォルイが横たわっていた。
「ありがとな……キャリロー……」
そう言うと、彼は部屋の照明を落とし、意識を手放した。
そして二時間後、彼らの二日目の日程は無慈悲にも予定通り開始したのである。




