前準備
「そうですか……」
脳の再起動を行った対策本部長は一周回って冷静だった
「ご安心下さい、人が生存できる環境です」
「良かった、教授、この後お時間宜しいですか」
そう蛯名教授に言った後、横に控えていた秘書をせっつく。
「何ボーッとしとる、対応会議をやるぞ、担当を招集しろ」
何故そうなるのかの説明をしたそうな蛯名教授には記者会見で思う存分話してもらうことにして、本部長はフラフラと執務室へ戻った。
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~首相官邸・危機管理センター~
「にしても何だよ、日本が平行世界に転移って、幾ら何でも荒唐無稽過ぎるぞ」
総務省の官僚が同僚に話しかける。
「ところがどっこい、現に北海道が消滅したし、何故かは知らんが『向こう側』のものと思われる海底地形と、ソレに付随する新種の海洋生物も確認されている……残念だが恐らく真実だ」
手元のPCに表示させている資料には、引き揚げられた見たことのない海洋生物の死骸の写真が添付されていた。
「それ大丈夫なのか?」
「現在厚労省と文科省が調査を行っているが、全く未知である以外は特に問題は見当たらないそうだ」
「未知のウイルスとか出てきたら手に負えんぞ」
「それは厚労省が……
言葉を続けようとした口を閉じ、大急ぎで席に戻る。
「総理、入られます」
大臣や官僚、自衛官等が一斉に起立し、礼をする。
「状況を」
防衛省の担当者が口を開く。
「現在南西諸島沖に『あかぎ』を基軸とする第一護衛艦隊群が展開しております。これの佐世保への撤収が後3~4日かかり、そのほか潜水艦が11隻程周辺海域に展開しておりますが、これの撤収にも後3日必要です。尚現在オーストラリアとの航路護衛にあたっている第五護衛艦隊群ですが、こちらは既に復路に付いており特異事象ありません」
「次、農水省」
「え~、現在有事を想定して貯蓄した国民標準食が二年分ありますが、北海道が消滅……転移した影響により今後の供給の見通しが立たない状況です。将来的な解決策として、一年以内に食糧供給ビルと海上開発農地の稼働を行いたいと考えます」
食料供給ビルとは、温暖化が進む中でも安定して食料を供給するためのビルである。一棟で3000人分の食料を賄える、日本の技術の粋を凝らした建造物であり、海上開発農地はそれより大型で、波力、風力、太陽光等の各種自然エネルギーと、補助的に陸地の管理施設から引いたパイプで肥料や不足分の電力を補う、日本の食料自給率を飛躍的に向上させると目されている大型施設である。
「次、経産省」
「戦略資源の管理については従来と同じく行いますが、一部の希少金属については海外からの輸入に100%依存しているものもあり、コレについてはなんとも……」
「よし、取り敢えず外貨準備金を全部投入して在外日本人、在日外国人の移動、希少資源の入手に全力を挙げるぞ……悟られるなよ」
「「はい」」
日本の様子が何かおかしいと話題になるのはその三日後の事である。
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~首相官邸・会見室~
「それでは只今より先日発生しました、北海道の消滅事象について、首相会見を始めます」
防災服に身を包んだ保野総理が壇上に上がる
「北海道の消滅現象について、文部科学省や各省庁、及び学術団体等と慎重かつ多角的な検討を行った結果、我々の世界と並行的に存在する別世界としか表現のしようがありませんが、大体このような場所に『転移』したのではないかという結論が出されました」
その瞬間、会見室の空気が凍った。
「その後の調査により、我が国すべての領域が、北海道と同じ様な形で『転移』する可能性を否定できない事が判明致しました」
凍った空気を切り裂くように、カメラの砲列からフラッシュの砲火が浴びせられる。
暫くして、落ち着きを取り戻したマスコミに保野総理が向きあう
「コレに対し日本国政府と致しましては、その対策に万全を期し、国民と領域を守り抜く所存で御座います」
そうキッパリと言い切り、マスコミからの質問の嵐を避け、会見場を後にした。
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「何故転移すると思われる環境が類似していると言えるのですか?」
一方、日本重力物理学会が某ホテルに設けた会見場では、質疑応答が行われていた。
「これは直接物理学とは関係ありませんが、北海道が転移した後に出現した大気、海水、及び海底等を調査した所、地球の組成とほぼ変わりがなかったため、大陸等の形は異なりますが、人間が住める環境であり、また、重力物理学的見地から言っても、平行する世界と釣り合いを取るために、平行世界から転移した地形である可能性が高いことから、その様に結論付けました」
「転移したら日本が水没するとかそういった事は無いのでしょうか」
「それなら北海道が存在した場所に水柱が立つ筈です。その様な事はありませんでした」
この後も質疑応答は続き、マスコミとSNSの手によって日本が平行世界へ転移する事が世界中に報じられたのである。
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~「あかぎ」艦橋~
「おもーかーじ」
「面舵15度」
「もどーせー」
「舵中央」
「取舵に当て」
「取舵7度」
「30度ヨーソロー」
「ヨーソロー30度」
「面舵30、ヨーソロー」
「両舷前進強速、黒15」
「両舷前進強速黒15ヨーソロー」
操舵手のよく通る声が艦橋内に響く
急遽佐世保へと帰還する羽目になったにも関わらず、艦長は安堵を覚えていた
「何とかあいつらと戦闘せずに済んだか……」
自分の任期中に絶対にこの艦を沈めない否、沈めてたまるか。
その覚悟を胸に帰還への途に就く。
艦橋で艦長が心の中で安堵する中、艦隊指揮所で同じく安堵する者が居た。
「良かったよ、うん、良かった」
第一護衛艦隊群司令、島津海将補である。
「各艦このまま回頭して佐世保へ」
前方の大型スクリーンと手元の端末を見ながら命令を下す。
「了解」
この後「あかぎ」は異世界での戦乱において強力な打撃力になるのだが、それはまだ先の話である