新世界の生き物 1
~水産庁・海洋生物研究所・特別研究棟~
ここには各地から、調査に向かった艦艇が釣り上げたり発見したりした海洋生物が集められ、体育館より広い階層全体で、死んでブルーシートの上に広げられたり、水槽の中の生きたまま捕らえた生物の、細菌の検査やその分類が日本中の研究者が集い行われていた。
「え~と、コリャダイオウイカの腕部かな? 」
水産庁の職員が「未確認」に分類されたサンプルのケースを開け、ゴム手袋越しに巨大なところてんの塊の様な物体を持ち上げる。
「それにしてはデカくないですか、ソレ」
「そうなんだよなぁ…」
「未確認」に分類されたサンプルには大きな共通点があった。
どれもこれも前の世界のソレよりデカいのである。
彼等は持っていたクリップボードに『ダイオウイカ科?』『巨大』『腐敗の兆候なし』
等の情報を書き込むと、後の分析を上に任せ、次のボックスを開けるべく立ち上がった。
「えーと……、このボックスの採取位置は沖ノ鳥島のEEZ周辺っと……」
ボックスに記入されていなかった情報を手元の書類を元に油性ペンで書き込む。
早速開封すると、大体は見たことのある魚だったが、5、6匹の魚が鋭利な刃物で切られたかの如く切断されていた。
「うわ、真っ二つ」
魚の上半分を持って切断部を確認すると、まるで刺身の様に綺麗に切れていた。
「スクリュー……ではないね」
スクリューに巻き込まれた可能性も疑ったが、ここまで綺麗に切れていると別の可能性を考慮せざるを得ない。
「天敵でも居るのかね?」
「さぁ?」
彼等はクリップボードに、『一部切断アリ』『追加調査検討要』と書き込むと、次のボックスを開けるべく立ち上がった……。
****
~航空自衛隊・防空指令所~
この世界に来てからも相変わらず、日本の空を守る組織の中枢を司るこの場所の空気はピリピリしていた。
「現在、国籍不明機ナシ、電波障害も確認されていません」
「了解した」
眠気覚ましのコーヒーを煽りながら正面の大モニターを凝視するこの男は、水岡健二一等空佐である。
モニターには電波障害の有無や各艦隊の護衛、各種物資の輸送の為に飛び回る飛行機の全てが表示されていたが、前の世界とは違って国籍不明機を示す記号は無かった。
「意外と平和だな……」
そう思った瞬間、北方の警戒監視にあたっていたAWACSから第一報が飛び込んできた。
「『ヤタガラス』が国籍不明機を捕捉、北部飛行隊が迎撃許可を求めています」
「了解、北部飛行隊に許可」
「了解」
通常はBADGEがここまでやってくれるのだが、今は不測の事態に備えて人の目が入っている。
「千歳から四機上がりました、以後これを『アスター』と呼称します、会敵予想時刻、アスター1520」
モニターに千歳から迎撃機を示す緑三角が四つ写し出される。
~北海道上空・「アスター」~
「『ヤタガラス』より『アスター』へ目標、エリアフォックストロット2-5からフォックストロット3-7に移動、方位0-6-0、アスター1515」
AWACSの誘導を頼りに機首を変針させる。
データリンクによってカラータッチパネルの戦術情報表示パネルに国籍不明機の位置が表示される。
「えらい遅いな……」
ロシア連邦の超音速偵察機の対処に慣れているスーパーイーグルパイロットの彼らは、目標がまるで複葉機の様な速度で移動している事に違和感を覚えていた。
「目標、速力、進路変わらず、方位0-5-7、アスター1520」
「あれか」
HMDにダイアモンドボックスが表示され、その中心に小さな赤い点が見えた。
「『アスター』より『ヤタガラス』へ、目標を目視した」
「『ヤタガラス』より『アスター』、接近は可能か?」
「『アスター』より『ヤタガラス』、了解、接近する」
~航空自衛隊・中央防空指揮本部~
「危険では?」
「さっさと追い返さないと人口密集地に入られる」
赤三角は既に領空に迫っていた。
「国籍不明機、領空内に侵入!」
択捉島の上空に赤三角が移動する。
「不味いな…」
何かを考えていた水岡健二三等空将が顔を上げた。
「警告射撃を許可する」
「しかし!」
「私は防空司令官であり、日本の空を守る義務がある、これ以上の領空侵犯を続けさせることは出来ない」
「了解しました」
副官が諦め、武器使用が許可された。
~北海道上空・「アスター」~
「『ヤタガラス』より『アスター』へ、国籍不明機に対し警告射撃を実施せよ」
「……復唱願う」
「国籍不明機に対し警告射撃を実施せよ」
「アスターワン、コピー」
「ツー」
この世界に転移して初めて遭遇する国籍不明機にいきなり警告射撃とは……、自衛隊も変わったなぁ……。
そんなことを考えながら機体を国籍不明機に接近させる。
「さて、どんな形かな……」
前方監視装置を起動し、国籍不明機を見る。
「ん……?」
国籍不明機の翼が上下に大きく動いていた。
よく見ると尻尾の様な物も付いている。
それを認識して二秒後、彼はAWACSに事態を通告した。
「『アスター』より『ヤタガラス』へ、目標は航空機ではない!繰り返す、目標は航空機ではない!」
~航空自衛隊・中央防空指揮本部~
「『ヤタガラス』より『中空防』へ、目標は航空機ではない、目標は航空機ではない!」
その瞬間、室内の空気が一気に凍り付き、瞬時に沸き立った。
「警告射撃中止!、大至急文科省と北海道庁に連絡!」
そもそも空自の国籍不明機に対するスクランブル発進は、飛行機が対象であって鳥が対象である訳ではない。
要するに今回のスクランブルは法的には無駄骨なのである。
何人かのオペレーターが走って分厚い対応マニュアルを持ってくる。
「え~と……あった、『飛行可能生物(ドラゴン/ワイバーン)に対する対処』」
転移前に大急ぎで様々なケースを想定して作られたマニュアルによれば、今後この仕事は文科省に引き継ぎ、空自は要請があるまで待機しなければならない。
万が一国土に被害が出た場合、都道府県からの災害派遣要請を貰い、更に国家安全保障会議の承認を貰ってから能動的対応をしなければならない。
「アスターはCAPに回せ!」
防空担当者が叫ぶ。
「文科省から通達はまだか!?」
情報集約担当が叫ぶ。
「二週間待ってくれとの事です!」
受話器を持ったまま管制官が叫ぶ。
「ふざけんな!CV-22を文科省に突っ込ませろ!」
防空司令官が叫ぶ。
「落ち着いて下さい!」
副官が叫ぶ。
「『ヤタガラス』より『中空防』、指示を乞う」
AWACSが困惑する。
とにかくグッチャグチャになった日本の防空中枢の音声記録は、今後長きに渡って幹部教育に用いられる事になる。
尚飛行可能生物はその後すぐ北方へ帰っていったそうです。