プロローグ
この世界は五年前に変わってしまった。
世界消費量の約五割もの石油を供給していた中東の油田帯が、枯渇してしまったのである。
新冷戦が終わってから保たれてきた世界秩序は崩壊、各国で自国第一主義が台頭し、米国は世界の警察ではなくなった。
世界中で飢餓と紛争が起こり、世界中で何十億もの人が死んだ。
しかし、それにも関わらず安定して成長を続ける国も幾つかあった。
G7の中で唯一東アジアに存在する島国、日本もその一つである。
国際金融秩序が次々に崩壊し、極端な円高により少なくない数の企業が倒産したが、それでも尚日本の経済は逞しく活動していた。
その原動力、それは、三年前から本格的採掘が始まった、南西海域に存在する巨大油田である。自国の消費量を賄える以上の生産量を確保した上で、大量の石油を確保していたのだ。
しかしそれが原因で南西海域の領有権を巡って隣国と対立関係にあり、度重なる関係改善の取り組みにも関わらず両国関係はトントン拍子で悪化した。
そこにこの資源危機である。
冷え込んでいた両国関係は熾烈化へとベクトルを変え、衝突寸前の状態になっていた。
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~南西海域 航空機搭載型護衛艦「あかぎ~
「直近20マイル以内に不明艦ナシ」
「了解、各員対空対水上警戒を厳となせ!」
ここ最近過激化していた某国海軍の行動は、第一護衛艦隊群の到着でかなり沈静化し、少なくともCUES海上衝突回避規範に違反する行動は無かった。
(このまま沈静化すると良いが……)
「あかぎ」艦長の今井一等海佐は、パイロット、飛行隊長、と順調にキャリアを進め、やっと憧れの艦長の椅子に座ったが、今は緊張で胃に穴が開きかけていた。
(どうせなるなら、五年以上前に艦長になりたかったなぁ……)
五年前、世界がまだ中東から石油を買えていた時代の話だ。
あの頃は未だ某国の行動も今より過激でなかった様に思える。
「サイダー、お飲みになられますか?」
航海長がサイダーの瓶を二本持って立っている
「頂こう」
サイダーの刺激で喉が満たされる
「ッハァー……ァ」
肺の空気を全て追い出すような深い溜息をついた後、双眼鏡で某国の艦艇を覗く。
石炭や原子力からでも供給される電力を大容量バッテリーに入れて航行する電気推進のその艦――つまり煙突が無いのだが……からは『軍艦にすら入れる石油が無い』という某国の石油事情が伺い知れる。
「奴さんも大変だなぁ……」
幸いにして未だ資源危機前とほぼ同じ生活を送っている本土の家族を想い、また深いため息をついた。
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~首相官邸・危機管理センター~
「では、当分の間、衝突は起こり得ない、そういうことで良いのか?」
保野総理大臣が手元の資料から顔をあげ、お茶を煽ってから担当者に質問する。
「はい、空母が展開する意味が分からない相手では無いでしょう」
「そうか……」
一週間前、この国から北海道が消滅した。
綺麗さっぱりこの世界から消え去ってしまったのである。
「あ~疲れた……さて」
そう呟いて大きく伸びた後、国内消費に纏わる資料を読んでいる本人は気付いて居ないが、普通の人間だと余裕で三途の川を渡河してそのままあの世で浸透作戦を行えるレベルの仕事量をこの一週間でこなしていた。
国家のトップがその状態に陥る程北海道の消滅は衝撃的な出来事だったのである。当たり前だが。
「問題は食料だな……外国からの輸入では必要量を賄えないし、国内生産では需要の70%しか供給できない、どうする?」
農林水産省と経済産業省、そして防衛省の担当者が順に答える。
「政府備蓄米の放出によってデンプンはしばらく持ちますが、乳製品がどうしても需要を満たせません。輸入を検討すべきかと」
「乳製品の輸入と各種薬剤の使用により国標食の供給はなんとかなりますが、民需の方はなんとも……」
「それに輸入するにしても船団を組んで護衛エスコートしないと海賊による被害の発生が懸念されます。一応海上戦力に余裕は有りますが、ココで戦略予備を失うのは痛いです」
「そうか……分かった。明日までに省庁間で調整しておいてくれ」
「「「分かりました」」」
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~北海道跡地上空・P-1哨戒機・「ウォッチマン」~
「『ウォッチマン』、こちら『ヤタガラス』貴機を基点として方位0-3-0、距離1-5-0高度32000に国籍不明機を確認、先程迎撃機が上がった。彼我の位置関係に注意せよ」
「『ヤタガラス』へ、こちら『ウォッチマン』、了解、哨戒を続行する」
AWACSとの交信がインターコムから漏れ聞こえる。
従来なら北海道に整備されたレーダーサイトで監視していた空域が北海道の消滅に伴って監視出来なくなったため、AWACSやAEWを上げてその代わりとして運用している。その交信だ。
「現在右側に観測艦『しょうなん』と巡視船『まつしま』を視認している」
「その他特異事象無し」
「了解ぃー」
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~ムサシ王国・ケテル城・会議室~
一方その頃、日本とは全く違う世界に存在するムサシ王国の中枢には、建国以来おそらく一番重苦しい空気が立ち込めていた。
「……もう帝国との戦争は避けられないのか?」
「残念ですが……」
双方とも悲痛な顔をして分かり切った事を確認する
「そうか……」
ムサシ王国の統治者、フォルイは頭を抱えた。
ムサシ王国は、フォルバン大陸の東端に位置する人口六千万人程度の地域大国である。
先代の王の時代に「ムサシ王国」と名を変え、虐げられていた獣人と人が共生する多民族共生国家になった。
その時代の後国王に即位したフォルイは、前々から進めていた技術革新を一気に加速、ハーバー・ボッシュ法や先進的製鉄設備を始めとして今までこの大陸に無かった「科学技術」で技術革命を引き起こした。
そんな中、フォルバン大陸での科学技術の台頭を恐れた北の魔導大帝国「ライタル帝国」が、ムサシ王国に対して軍事的制裁の準備を行っているとの情報が入り、現在、その対応策を協議している所であった。
「せめて同盟国が居れば……」
さて、この世界の中での獣人のルーツを辿るには、伝説上の古代帝国にまで遡る必要がある。
高い魔法、魔導技術を持っていたその帝国は、奴隷労働効率の改善を目的にありとあらゆる方法を用いて人体の改造を試みた。
その実験台となった多くの奴隷は死んだが、数十年に渡る研究の後、哺乳類と人、そしてその他の動物等と人の特性を併せ持つ「獣人」の開発に成功し、奴隷がその目的に応じて改造されていった。
高度な魔法技術によって制御された遺伝子は、その後も世代を超えて受け継がれ、その帝国が崩壊してから数千年経った今でも、獣人としてこの社会に存在している……。
と言われている。
実際にどうかは分からないが、これがこの世界の一般常識であり、実際にこの世界の奴隷の殆どが獣人である。
しかし、先代の王は元々労働効率の増進を目指して創られた獣人の可能性に着目、その特性を活かし、欠点を克服したり等出来るような社会づくりを進め、ソレが完了して数年した後に崩御した。
しかし、人と獣人が共存する国家というのは、人の国から見ても、また獣人の国からみても奇怪であり、従来からの友好国はあったものの軍事的同盟関係を構築するまでには関係が進展しなかった。
その上、人と獣人がコミュニケーションをとる手段として主に獣人が使う日本語を選択した結果、益々この国の社会が「尖って」見えるようになり、「変な国」と大陸社会で認識されていた。
唯一軍事同盟一歩手前まで関係の進展したアウガー王国も、つい最近ライタル帝国の侵攻を受け、併合されてしまった。
「戦争か……」
そうフォルイは呟き、大きくため息をついた。
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~首相官邸・地下危機対策センター・「北海道消滅災害等対策本部」~
「本部長、緊急でお会いしたいと蛯名教授が……」
久々のシャワーを浴びてスッキリしていると、文科省の担当者が大慌てで入室してきた。
「お通ししろ」
応接室に入り、早速ココに来た意図を尋ねる。
「教授、お話というのはどの様なものでしょうか?」
教授は鞄から数枚の資料を取り出し、内一枚のA4の資料を机の上に置いた。
「これは各地の重力顕微鏡の観測値をグラフ化したものと、北海道で観測された重力のひずみの推定値を比較したものです」
教授の口調から、不穏なモノを感じた対策本部長は、次に蛯名教授の口から紡がれる言葉に神経を集中した。
「恐らくですが、今後三週間程度の後に、この国そのものが消滅……否、この宇宙とは別の場所に転移すると考えて宜しいかと」
全身を貫く強い寒気を感じながら、なんとか表面には出さずに質問する。
「別の場所とは?」
「平行世界の地球です」
「……は?」
本部長の思考が一旦停止し、再起動するまでに相当の時間を必要とした。
憲政下一番の危機が、この国に迫っていた。
「避けられませんか」
「無理ですね」
そしてその危機は回避のしようの無い、絶対的なものだったのである。