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無忘探偵の偽物暴ーニセモノアバキー  作者: 厳原玄彦
1話 てんさいスティール
7/32

 この場で状況を一番理解できていないのは、間違いなく僕だった。

 探偵は喜び、画家は怒り、万屋は絶望し、僕だけが無感情で眺めている。

 A4の紙が無忘探偵の手にあるが、はたしてそれがどういう紙なのかは、さっぱり分からない。しかしそれは、どうやら証拠らしかった。

 そして同様に、万丈目さんの手にも、A4の紙がある。どうやらこれも証拠らしかった。

 記館さんの方に関しては、どう見たって、何も書いていない紙だが……。


「そうではありません。そもそも、これは証拠ではありませんよ」

「え? ……え?」


 何を言っているんだ。あなたは先程、これが証拠だと言わんばかりに、喜んでいたじゃないか――


「ですから、これは、証拠を見つけ出すための布石だったんです。そもそも、私はこの部屋であった一連の出来事を綺麗さっぱり忘れてしまっているのに、証拠なんて見つけられるはずがないじゃないですか」


 成程――ようやく、恥ずかしながら、多少ではあるが、この状況を理解することができた。つまり、記館さんが右手で上げた紙は、何のことはない、本当にただの白い紙だったのだ。もし、万丈目さんが、あるいは天心先生が、証拠の紙を持っていたのであれば、当然ありえない事態だと思うだろう。何故なら、自分が持っているはずのものが、記館さんの右手にあるのだから、驚くのも無理はない。記館さんも紙をひらひらとさせて、あえて誰にも、それがどんな紙であるか分からないようにしていた。


 であれば、誰でも心理的に、思わず隠しているものを確認したくなるはずだ。

 それに、たとえそれが違うと判断がついたとしても、すぐには判断できない――おそらく若干のタイムラグが発生するのは間違いない。そしてそれを、記館さんが見逃すわけもないだろう。


「だったら、どうして分かったんですか……」


 と、万丈目さんが落胆した声で言っている。僕は未だに何のことかは、よく分かっていないが、万丈目さんは記館さんの罠に嵌ったということだけは、何となく分かった。

 記館さんは、それを見て、いつも通りに笑っている。


「迂闊でしたね、万丈目さん。確かに、私の記憶を消したのは悪い手ではありませんでしたが、消した内容、というよりは残しておいた記憶の方がいいヒントになりました」


 残しておいた記憶といえば、ほとんどないはずだ。一体何が残っている?


「部屋ですよ。この部屋の配置――絵だったり、ソファだったり、机だったり、あるいは本だったり……それを私は、完璧に憶えています」

「それでも、それだけでは分からないはず……」

「いいえ、それだけで充分ですよ。私の記憶力を侮らないでください。私ほどの記憶力があれば、部屋に入った瞬間の記憶でも、本がわずかに動いていることなんて、瞬時に分かります。たとえそれが微々たるものでも、変化があれば私は見逃しません。見逃せません」


 つまり、記館さんが机付近で止まり、本を調べたのは、最初部屋に入ったとき――あるいは部屋を出たとき――の記憶にある本と、何かが違っていたからだ。おそらく、扉の外に出された後に聞こえた何か作業をしている音ですでに、何かしらが動いていると確信していたのだろう。


 だが、結果として何も見つからなかった。しかしそれすらも、記館さんは予測していた。本を使って何かを作業していたが、本に証拠らしきものはなかった。ということは、もともと本に隠されていたそれを、誰かが隠し持ったということになる(あるいは捨てたという線もあるが、それならそれで記館さんは気付くはず)。そして機転を利かせ、証拠の在り処を暴いた。


 最初に天心先生が、部屋の探索を許可したとき、すでに本には証拠があったのだろう。ただ、天心先生はそれを知っているのにも関わらず、どうして許可をしたのかが謎ではある。


「私が部屋にいた、あるいはこういう依頼をされた記憶そのものを全て消してしまえば良かったのでしょうけれど、それだと私がどうしてここにいるのか――という疑問で、色々嗅ぎまわる可能性を考慮したのでしょう。確かに、この豪邸を探索される方がよっぽど、都合が悪いでしょうからね。おまけに神梨さんもいます。また依頼されるでしょうから、そうなるとたまったものじゃありませんよね」


 だとすると、万丈目さんも万丈目さんで、最良の選択をしたということだろうか。


「いえ、神梨さん。それは違います。最良の選択は、何もしないで部屋を追い出すことだったんです。万丈目さんが私の記憶の一部を消したことで、間違いなくあそこに証拠があると確信できたのですから」


 隠蔽。

 何かがあるという状態を、まるで何もなかったようにすること。

 つまり、万丈目さんは、この部屋には何かがあるということを、遠回しに証明してしまった。それもこれも、記館さんの記憶力を侮っていたのが、全ての原因なのだろう。


「さて、では、証拠を見せてください」


 と、記館さんは言った。

 そうか。記館さん自身も、万丈目さんが持っているそれが、一体何なのか分からないままなのだ。だとすれば、恐るべき探偵である。何の証拠かも分からないまま、証拠を見つけてしまっているのだから。


 万丈目さんも、今までとは違う哀しい息を吐きながら、紙を渡してきた――よく見てみると、そこには「西園寺遠志」と、その後に続けて電話番号が記載されていた。

 何処かで聞いたことがあるような――いや、聞いたというよりは……。

 見たことがある。


「その通りです、神梨さん。あなたはこの人の名前を知っています。私も知っています。天心さんも、万丈目さんも、全員知っています」


 記館さんはすでに分かっているのか。まあ、この人ほどの記憶力ならば、何の不思議もない。


「じゃあ、この人は一体、誰なんですか?」

「あなたの絵を評価してくれた、張本人ですよ」

「な……それって、『天心先生の作品とそっくりですね』って書いた人……じゃあ、ありませんでしたよね」


 それはさすがに、僕の記憶力でも憶えている範囲だ。あの言葉を書いた人の名前は、確か『花乃下萌子』であり、少なくとも女性だった。


「はい。ただ、この西園寺さんも三人の中の一人でした。それは私の記憶にあるので、しっかりと憶えています。そしてその、西園寺さんこそが、証拠であり、犯人なんです」


 犯人……?

 犯人は、どう考えても、天心先生だと分かっているはずだが……。

 僕が疑問を抱いた顏をしたのを読み取ってか、記館さんは、


「色々飛ばし過ぎましたね。申し訳ありません。では順を追って説明しましょう」


 と言って、再び、ソファに腰掛けた。


「では、神梨さん。この部屋に最初入ったとき、どう思いました?」

「え……」


 それははたして、天心先生の前で言っていいのだろうか。いくら憎き相手とはいえ、遠慮はしてしまう。


「言いたいことをはっきり言え」


 天心先生は、少し苛立ちながら言った。事件解決のため――と自分に言い訳をして、僕は正直に答えることにした。


「はっきり言って、気持ち悪く感じました」


 横目で天心先生を見たが、元から苛立っているので、問題はないのだろう。


「そうでしょうね。多分、この部屋に入った人は皆、気持ち悪いと思うでしょう。じゃあどうして、気持ち悪いと感じたと思いますか?」

「そ、それは、この部屋が一面、絵で囲まれているからだと思いますけど……」

「いいえ、それは違います」


 その言葉に少し驚いたが、記館さんはそのまま続けた。


「一面が絵だろうと、不思議には思いますが、気持ち悪いとはならないはずなんです。そうですね――たとえば、海の中にしましょうか。海の中に入ったとして、自分を囲うように魚がいたら、それは綺麗だと思いますよね。美しいと、感じるはずです。ですがもし、海の中に、魚だけでなく、ライオンだったり、鳥だったり、本来海にいない生物がいたらどうですか? まあ気持ち悪いとはまではいかないかもしれませんが、変だとは思います。少なくとも、それが美しい光景であると、私は思いません。そして同じことが、この空間においても言えるのですよ」


「どういう……記館さん、比喩はいいので、いい加減教えてくれませんか?」


 僕は記館さんほど記憶力がいいわけではないから、正直、話が全く頭に入らない。


「つまり、この絵は全部が全部、全くの別物なんです」


 そんなの当たり前――だとか、僕は言わなかった。多分そういう意味ではないからだ。


「〈全創全作〉――なんて言われていますが、たとえどんなに独創的な美術家であろうとも、全てが根本から違う作品を描ける美術家なんていないはずです。何かしらその人の世界観が、どこかに滲み出ているはずなんです。が、この作品には、そう言ったものが全く感じられません。全てが違う世界観で描かれていて、何一つとしてかみ合っていないように思います。だから、気持ち悪いんです」


 ようやく見えてきた。

 一体、彼女が何を言わんとしているのか。

 天心先生とはなんなのか。

 西園寺遠志とは何者なのか。

 つまり、彼は――


「――ゴーストペインター」

「その通りです」

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