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「どうしてまた……」溜息混じりの気だるい声は、万丈目さんのものだった。
何も言わなかったが、天心先生も心なし不機嫌そうな雰囲気である。
それでも記館さんは、そんなことを一切気にする様子もなく、悪びれもせずにソファに座った。
「やれやれ――どうして帰ってきたんですか?」
万丈目さんとしては、不思議極まりないだろう。無論、天心先生にしたってこれは驚くべき事態であることに変わりはないのだが、万丈目さんにしてみれば、この部屋の出来事に関する記憶を、ほぼ全てにおいて消去されている記館さんが、解決編とばかりに部屋に入り込んできたのだ――一体何が起こっているのか、さっぱりだろう。
「証拠が見つかったからですよ」
「さっきまでは証拠はないと言っていたじゃないか」
天心先生も、至極真っ当な意見を言う。
その通り。先ほどまで彼女は、全く証拠が見つからないと言っていたのだ。天心先生が知っているかは別として、そこからさらに調査した記憶も飛んでいる。
どころか、彼女はそれについて、僕に訊きもしなかった――何を言っていたか、とは一度聞いてきたが、彼女は質問の内容すらも忘れているにも関わらず、それを僕に尋ねなかったのだ。
あるいはここで、直接訊くつもりなのかもしれない。
どちらにせよ、おそらく彼女はハッタリを言っている。
「それで、証拠とは?」
「その前に一度――いえ、もう一度、この部屋を調べさせてください」
「…………」
万丈目さんも、天心先生も黙り込んでいる。
普通なら、ここは拒絶する。なんせ二度も同じ部屋を探索させるなんて、ふざけた話もいいところだ。しかし彼女はその前に、証拠が見つかった、と言ったのだ。であれば、部屋の探索を拒否する方が、よっぽど不自然になってしまう。
「ちなみに、絵には触らないつもりですが、それ以外には触っても構いませんか?」
「……? ああ、好きにしろ」
この様子から察するに、おそらく万丈目さんは、天心先生に記憶消去したことを伝えていないのだろう。そこにどういった理由があるかは、分かるわけもないが、天心先生からしてみれば、この二度同じやり取りをするのは、謎めいている。
もし天心先生が万丈目さんのように頭が回り、さらに記館さんの記憶消した張本人なのであれば、条件を変えて、物に触るのすらも禁止にできたかもしれない。
……これはあくまでイフストーリーだが。
と言っているうちに、すでに記館さんは動いていた。しかしその様子は、最初に調べたときとまったく変わる様子はなく、相変わらず絵を鑑賞している風にしか見えなかった。記館さんの中で、この部屋を歩いた記憶は消えているので、当然の振る舞いなのかもしれない。
しかし。
記館さんの動きが、
変わった。
否。
止まった。
ぴたりと、それは天心先生の机の上で、足を止めた。
そしてあろうことか、机の上にある本を探り始めたのである――無論、これには何の問題もないだろう。当然だが、記館さんは天心先生に許可を求めていたし、天心先生はそれを認めていた。ならば、何の不思議もないのだが、僕と――そして万丈目さんが、唖然としている。
記館さんは、机にある五冊ほどの本を流し読み――読んでいない――で調べると、そのまま元の位置に戻した。だがどうやら、物的証拠と呼べるものは出てこなかったらしく、手には何も持っていないし、気のせいか、若干気を落としているように思う。
まさか、失敗?
そういうことなのか? 記館さんの読みが外れてしまったということなのか?
万丈目さんを見ると、安心しきったように口元が緩んでいるように見えた。いや、サングラスなんてものもないその口元は、間違いなく緩んでいた。
「あ!」
と、突然、記館さんが下を向いて言った。全員の体が少し動いたが、記館さんの動向を見守る。
記館さんはそのまま、腰を落として、机の下を探り始めた。ソファのある、僕らの位置からは、記館さんが完全に消え去ったようにも見える。
しかしすぐに、記館さんは立ち上がった。右手を高々と上げて、立ち上がった。
その右手から――何もなかったはずの右手から、一枚の紙が姿を現した。
「このか――」と、記館さんが、続けて何か言わんとした瞬間に、万丈目さんだけでなく、天心先生も体を思い切り持ち上げた。
「どうしてそこにある!」と、天心先生が激昂する。顏がこれ以上にないくらい赤く、燃え上がっている。
すると、記館さんが、僕――ではなく、天心先生でもなく、万丈目さんを指して、
「王手」
と、言った。
万丈目さんの右手は、何かを確認するように、スーツのポケットにつっこまれていた。